中学1年生⑤ 二人だけの場所
拓海と美空は家をあとにした。自転車で街道を500メートルほど走ると公園に到着し、敷地の端に自転車を停める。
校庭の4分の1はある長方形の敷地は、緑色の針金フェンスで囲まれている。そのフェンスに沿って木が茂っているため、公園は中心に行くに従って日当たりが良くなる。園内には滑り台が1台と鉄棒が5セット、20メートルはある雲梯があり、自転車置き場の対角線上の位置にブランコが置かれている。遊具が置かれていないスペースの方が多く、鬼ごっこやサッカーをしている幼稚園生とその様子をベンチに座って見守る保護者達もいる。
「土曜日だからか子どもが多いな」
「そうだね。邪魔にならない所で遊ぼうよ」
午後2時を知らせる市のアナウンスが流れた。西日が滑り台のメッキを煌々と照り付けている。
2人は鉄棒の方へ向かうと、美空は鉄棒を握った。腕を伸ばしてようやく届くほどの高さであることを気にも留めず、腕と肩を使い懸垂をし始めた。グッ、と苦しそうな声を上げて10回体を持ち上げたところで鉄棒から降りる。美空は二の腕を摩りながら
「やっぱり全然できないや。筋肉が足りないな」
「いや、すごいよ。僕なんて多分1回もできないし」
「やってみたらどうなの? 試しにさ」
「えー、どうだろうね」
自分の運動能力に自信がない拓海は、鉄棒に手をかけてぶら下がる。
「待って、きついきつい」
懸垂7回を過ぎたところで拓海の腕はプルプルと震えだし、懸垂をしようと力を入れても、少ししか腕は曲がらなかった。険しい顔つきが現れると足もバタバタと藻搔くようになり、やがて手を離してしまった。掌が棒で擦れてヒリヒリするのを見つめる拓海。
「痛い。まったくできなかった。どうしたら10回もできるの?」
「鍛えればいいんだよ、鍛えれば。私だってまだまだできない方だよ」
「小学校のとき筋トレをサボりがちだったツケがここにきて回ってくるとは」
「いいのよ。これから取り返そう」
そう言うと美空はバットを握り、遊具から離れて人のいないスペースに向かった。拓海もそれについて行く。
美空は腕を軽く振りながら疲れを和らげていた。
「懸垂はウォーミングアップだね。本当は素振りをしたいの」
「そうなんだ。へぇー」
拓海は抑揚のない声で返事をし、周りの木々を見つめた。美空は約20メートル先の木に対して右斜めに体を構えて視線をその木に合わせる。グリップの下から左手、右手を順に握り締めて右肩と右肘を引き上げる。体を右後ろに僅かにねじると、溜めた勢いに任せて一気にバットを振り切る。バットからは、スッと空気を切るような音を上げた。再びバットを構えては素振りを繰り返す。闇雲に振っているのではなく1回ごとに集中して振っているのが拓海の目にも明らかだった。美空の真剣な眼差しに立ち入る隙を見つけようと7回目の素振りが終わったところで、
「ちなみにこれを何回やるの?」
拓海が問うと、美空は素振りを続けながら、
「何回だろうね。私の気が済むまでかな」
拓海は手伝うこともできずただ美空を眺めているだけで飽き始めていた。美空はそんな彼を余所に、また1回バットを振った。
「嫌なことがあっても、ソフトボールに打ちこんでいる内は気を紛らわせられるの」
また1回振った。その言葉は、唐原のことを紛らわせられない拓海の心に深く楔を打ちつけた。
彼は、美空だけがのうのうと唐原を忘れていられることを羨ましく思い、同時に妬ましく思った。
ふと嫌な奴を思い出してしまった拓海は、靴を地面に擦りつけて、必死に忘れようとした。幸いにも、そのおかしな挙動を美空には見られていなかった。
美空のこめかみから汗が垂れだし、日の光に照らされる。彼女の前に出て見ると、雨を被ったように額も濡れていた。
美空が拓海に気が付くと、1度バットを下ろして公園のベンチに座る。拓海は立ったまま先程まで素振りの練習をしていた箇所、及び遊具で遊ぶ子どもを眺める。
「拓海君、どうしたの? 座らないの?」
「座らなくていいかな。そんな運動をしていないから汗もかいていないし」
美空は水筒の麦茶を飲みながらタオルで汗を拭いて涼んでいる。
「拓海君ちょっとお願いしていい?」
拓海はすぐに振り返った。美空はタオルを1枚手に取り、
「これを濡らしてきてくれないかな?」
美空は公園の入り口付近にある水道を指さした。あーいいよ、と拓海は承諾しタオルを受け取る。
水道は木の葉が影を作るジメジメとした場所にあり、そこまで約20メートルであった。水道は飲用に上に噴き出す蛇口しかない。その蛇口をひねり、チョビチョビと出る水をタオルで上から塞ぐように吸わせた。豊潤なタオルの端を持ち、土の上で水を切ると美空の元へと戻った。
「拓海君ありがとう」
美空は濡れたタオルを受け取るとバットを拭き始めた。付着した土埃は多くはないが丁寧に、まるで赤子をあやすように汚れを取っていく。その様を拓海はただ見つめるだけだった。
「道具大事にしているんだね」
「これが初めて買ったバットだからね。ペットみたいなものだよ。いつかは買い替えると思うけどね」
拓海はさほど興味を示せず、取ってつけたような相槌しか打てなかった。それが場を取り繕うための態度であることが美空にはうっすらとバレていた。
「ごめんね、私の勝手な練習に付き合わせちゃって。多分だけどつまらなかったでしょ?」
「……うん、まぁ……ちょっとはね」
「そうだよね。そもそも今日遊びに誘ったのも私だし。私が公園に行こうなんて言っちゃったから拓海君を退屈にさせちゃった」
拓海はそれに反論することはなかったが、立ちこむ無言は美空の言い分を暗に肯定していた。
美空は黙々とバットを袋に詰める。
「お待たせ。次は拓海君の行きたい所に行こうよ」
「僕の、行きたい所……」
欲を言うと拓海は帰りたがっており、後の予定も帰宅を前提に考えてはいた。
しかし美空はまだ拓海といるつもりらしく、そんな彼女を思って何とか捻りだした場所は、
「図書館に行くのはどうかな?」
拓海が言うと美空は不安そうな表情を浮かべて考え込む。
「図書館かー、私あまり本を読まないからなー」
「漫画もあるし行くだけ行ってみようよ」
拓海は説得した。図書館なら沈黙が苦にならず、自分の興味に従がって本を読めることは拓海にとっての平穏であった。
漫画ならまぁ、と美空も決して納得してはいないが、素振り練習との交換条件であると考えると渋々拓海の希望を受け入れた。
自転車に跨り公園を抜けて街道を走る。拓海が先導し美空がそれを追う。風の抵抗に逆らいながら美空は声を張り上げて、
「ねぇっ! 拓海君はサッカーの練習をしないの?」
拓海は右斜め後ろを見て車通りを確認するついでに美空に言った。
「仮に練習をするとしたら美空はそれに付き合ってくれるの?」
「するよっ! ボールなんて全く蹴ったことないけど」
「全然ダメじゃん」
2人は笑った。そして話を広げる間もないうちに街道脇の図書館に着いた。
10万を超える蔵書数は美登市内の他の図書館よりも多く、暇を持て余した高齢者や、読み書きができるようになりだした子どもたちの憩いの場としての機能を果たしている。1.5メートルほどの塀に囲まれた2階建ての建物で、1階には貸出カウンターと膨大な資料が棚に収められており、2階には自主学習用机が20台と、蔵書スペースから隔てられたバルコニーが備えられている。
2人は自転車を止めて館内に入ると、1階の漫画が収められた棚に向かった。基本的に新しい漫画は無く、児童用の学習漫画が主であった。
美空は棚の3列を埋め尽くす歴史漫画に注目し、徐に5冊取り出す。拓海は自然に関する本が収められている棚に行き、厚さ2センチほどの植物図鑑を手に取った。
美空はささやいて、
「ねぇ、どこで読む? バルコニー?」
「あー、バルコニー使う?」
「私、ここの図書館初めてだからバルコニーを使ってみたい」
「わかった。行こう」
拓海は美空の取った本を2冊持った。2人は階段を上りバルコニーへの扉を開けた。
バルコニーは高さ2メートルのガラスに囲まれている。丸テーブルが7台あり、1つのテーブルにつき椅子が3台置かれている。テーブルの内2つは高齢男性が新聞を読むために使っていた。
「他の人がいるから外だけど静かにしてね」
拓海がそう言うと、2人はテーブルの直径を結ぶように座った。丸の中心には棚から拝借した本を置く。
読書に励む2人、そよ風は靡き午後の陽が包み込む。
拓海が図鑑を読むのに飽きだした頃、ふと視線を外すと、美空が本を開きながら自分の右腕を枕代わりに伏して寝ているのが目に入った。
拓海は荷物を置いたまま本を元の棚に返し、伝記を1冊持ってバルコニーに戻った。
椅子を引いて座ると同時に美空が、はっ、と顔を急に上げてぼやけた思考のまま周囲を見回す。
「私、寝ちゃったのか」
「他の利用客に迷惑だから居眠りも程々にね」
「うん、ごめんなさい」
美空は積んである本を整理して返却に向かおうとする。
「拓海君は何時ごろに帰る?」
拓海は読む手を止めて、
「そうだなー、この伝記がキリ良く読み終わるまでかな」
伝記のページがほとんどめくられていないのに気が付いた美空。彼女自身は本を読むのに疲れだした。
本を抱え込むとバットを含む自分の荷物を肩にかけ、
「私、そろそろ帰ろうかな……」
美空がそう言うと同時に、午後4時を知らせる市内アナウンスが流れた。
「もうこんな時間か。キリが良いし私は帰るね」
「僕はもう少しだけ残ろうかな」
「そう、わかった。それじゃあ、ここでさようならだね」
美空は思い出に浸ったように足を止め、拓海の方を振り向き艶然と微笑んだ。
「今日は本当にありがとう。バイバイ」
「うん、じゃあね」
拓海は軽く右手を振った。美空はバルコニーに来た高齢女性と入れ替わりで館内に戻った。
一緒に遊んでいた人が消えた。バルコニーには外を走る車の轟きと風の吹く音だけが響く。
拓海は文字を追うごとに今日の出来事が掘り返された。
(本当に図書館に来てよかったのか? 美空は帰った。理由はキリの良い時刻だからなのか? 本を読むのに飽きたから僕と一緒にいたくなくなったのではないか?)
拓海はそんなことを考えた。自分の思い込みであることを感じながらもそれらの問いが思考に巣食うと、自分の希望に正直になりすぎたことを改めて思う。
拓海は立ち上がるとバルコニーのガラス越しに駐輪場を見下ろす。美空は自転車に跨ったところであった。そしてバルコニーへ視線は向けられず、そのまま街道に出て行った。
振り返ってもらえなかったことは心残りであった。楽しんでくれていたら良いなとは思いつつ、拓海は美空の心情を考えずにはいられなかった。そして伝記を読む手が滞ったため本は返却し図書館を去った。
帰りの1本道、美空もついさっきまで同じ道を走っていたのだ、と思いをはせながらバランスを崩さないほどのゆったりとしたスピードで走る。
1年かかっても美空が拓海を好きなのか、答えはわからなかった。美空に対するあやふやな心情は雪崩の如く押し寄せては散った。ただ1つ、自分の本心に向き合った。
(女子とつるむのは嫌いじゃない。でも楽しくはなかった気がする)
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三峰勾洋
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