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成人式① 帰郷

1月9日。


 白濁と淀んだ空が寒冷を帯びる美登(みと)市。東京の中心部から二時間かけて北に下った先にある人口は三万人にも満たない小さな市である。下り電車の車窓からは工業地帯、次第に広大な田んぼが映る。


 その壮大ながらも単調な景色を眺めながら、宮浦(みやうら)拓海(たくみ)は上京以来、約2年ぶりに帰郷した。


 木造建築の駅舎は一部ニスがはがれて汚れも目立ち、拓海がいない間にさらに古臭くなっていた。駅の改札を通過し東に出ると、開発途中の駅前広場が広がり、タクシーがその周りをたむろしている。


 この中途半端な街並みで拓海は地元の空気を思い出した。



 今日、美登市では成人式が行われ、大学も学生のささやかな祝福をするように冬期休校を設けている。


 拓海は入学式以来のスーツを着た。食生活が乱れ食事量が減ったせいでズボンに二センチほどの隙間ができ、ベルトをきつく締めなければ、ずれ落ちてしまいそうだった。


 息を吐けば口内の水蒸気が一瞬の内に白煙へと変わり、手、膝、首、体表のあらゆる箇所が小刻みに震えるため、拓海は背負うリュックから紺色のコートを取り出して着込む。


 寒波は人の流れを抑制するストッパーとなり得るが、それでも寂れるはずの街並みは活気に溢れていた。


 木造の駅舎を降りて線路方向と垂直に舗装された駅前の長い通りを歩くと、左手にはインドカレー屋とおもちゃ屋、右手には中華料理屋や和菓子屋が並んでいる。拓海が市にいない間に閉店した店もあるが、概ね店の並びは昔と同じ、良い意味で変わっていなかった。そこにいる人間も含めて。


 駅前通りの先には、駅からはっきりと形を確認できるドーム状の市民会館が聳え立っている。


 拓海が軽く周りを見回すと、若者たちは一目散にそこを目指しているのが見える。「やっほー、久しぶり」などと言いながら駆け寄り幼馴染二、三人で群がっている者たちは、寒さで引き攣った頬を解すように、互いの容姿や互いの知らない学生時代の話を弾ませる。


 街並みは男女の二属で大まかに分かれた。男は今日のために髪を整え、新調したスーツを着こなし、寒さ対策でコートを羽織る者、拓海の左前方の男グループには袴を着る者もいる。この地域で成人式に袴を着る男は珍しく、周りの人間からも興味の的となり、


「おっ、かっこいいじゃん」

「だろ。俺、成人式では袴が良かったんだよ」

「似合っているぞ。でも結構目立つな」

「袴なんて目立ってなんぼさ。ハハッ」

 と、はやし立てられる。


 女は一生に数度しかない派手な振袖に身を包み、簪を挿して、慣れない草履を履いている。


「ねぇ、この牡丹の柄かわいいでしょ」

「すごいかわいい。どこで着付けをしたの? お金かかったでしょ」

「実は母親のお下がりなんだ」

「いいなぁー」


 化粧は厚く塗られていて、遠目からでは例え同じ小中学校を過ごした者であろうと判別がつけられないほどであった。多様な柄の振袖は、コンクリートの無機質な地面とは対照的な彩りを加える。


 彼女らが小さな歩幅でトコトコと歩く横を、拓海は大股で通り過ぎた。


 久方ぶりでも馴れ合える友達にまだ出会えていない拓海は、周囲を一瞬見ながらそそっかしく両手を擦り合わせた。彼らのように友と再会することを羨む気持ちは僅かにあった。


(僕も誰かに会えないかな。欲を言えば……、()()に会いたい)


 一人で駅前通りを歩いていると、カタカタと革靴がコンクリートに打ちつける音が鳴り、次第に音の間隔は早くなる。拓海がその音の方向を振り返ると、スーツを着た大柄な男が小走りでやって来て、拓海の肩を掴んだ。


「よっ、拓海か?」


「……あぁっ、そうだよ。久しぶり光太郎」


 拓海は一瞬キョドっとしたが気さくに返事をした。


 砂川(すなかわ)光太郎(こうたろう)は、拓海が中学時代に頻繁につるんでいた男。街中で見かけたら躊躇せず話しかけに来るその姿勢が、拓海には少し鬱陶しくも感じられた。光太郎は、拓海の首一個分高い目線からニヤリ顔で、


「元気にしていたか?」


「まぁ元気だったよ。光太郎も全然変わっていないね」


「だろぉっ⁉」


「うん。今なにやっているの?」


「俺は消防士になりたくて消防学校に行っている。寮生活で実家を離れているからここに戻ってくるのも久しぶりだなぁ。そういう拓海は?」


「僕は東京の大学に行っているよ。普段は一人暮らしをしているけど、今日は光太郎(そっち)と同じで久しぶりに帰って来た」


「へぇ、いいな。大学生なんていっぱい遊べそうで羨ましいぜ」


「遊ぶ暇なんか全然ないよ。勉強に追いつくだけで手いっぱいだし」


「そうなのか。頑張れよ」


「うん。消防士の方はどうなの?」


「多分大学生のお前と同じぐらい大変なんじゃないかな。勉強と体の鍛錬は欠かせないしかなり辛いよ」


「まぁでも心身ともに、相当鍛えられるんじゃないかな」


「そうでもねえよ、何日経っても辛い。あとお金はあるけど遊ぶ時間がない」


「僕はお金も時間もない」


「バイトしろよ」


「する時間もない」


 二人は馴れ馴れしく止めどなく話した。久方ぶりでも互いに抵抗感はなく、拓海の感じていた鬱陶しいという気持ちも話すにつれてなくなった。


 一通り話し終えると、二人の間に沈黙が流れるが、二人はそれを気まずくは思わなかった。


 次に話を紡いだのは光太郎の方からで、


「なぁ拓海。今日の同窓会、来るか?」


 拓海は声に詰まった後、うん、と応えた。その返事は少し活気がなく、拓海は目線を僅かに下げ、顎髭を撫でるようにして考え込んだ。


「どうした、急に俯いて」


「いや、一つだけ気がかりなことがあって」


「何だよ」


 拓海の脳内には、小柄な一人の少女が映し出された。脳内映像の少女は、拓海に優しく微笑み……そして、殺気を含んだような眼差しで拓海を見つめると、そのうち笑みが消えた。


 拓海は視点を現実に戻し、


「あのさぁ、美空(みそら)って覚えているかな?」


「美空?」


 光太郎は中学時代の記憶を手繰り寄せる。


「あぁ、鈴木(すずき)さん……だよね?」


「そう、その人。鈴木美空」


「懐かしい名前だな。あの人も何してるんだろうな? どこにいるのかも全く知らないし」


「やっぱり知らないのか」


「お前も知らないのか。昔仲良かったじゃないか」


「仲良いからって連絡を取っているとは限らないだろ。現に僕と光太郎だって今日再会したわけだし」


「まぁそうだな」


「それで、鈴木美空は同窓会に来るのかな、と思ってさ」


「来ないんじゃないかな、多分」


「そうだよね。仮に来たとしても気まずいだろうしね」


 光太郎は何も情報を持ち合わせてはいなかった。

 拓海は、消えてしまった美空の今とそれ以前を何度も想像したことがある。


(でも憶測で美空を語りたくはない。新たな偏見を生んでしまいたくはない。これ以上彼女を悲しませないために)


 美空の話題が一度途切れると、拓海の脳内に映し出された彼女は靄がかかったように次第に消えていった。


 寒さは一段と冷え込み自然と歩く速度も上がっていく。


「なぁ拓海、周りの女子たちの振袖には興味ないのか?」


「うぅん、そうだね。あんまり興味ないかな。小中学校のときあまり女子と話さなかったから、顔を見てもわからないだろうし。鈴木美空とかいたらわかるかもしれないけど」


 再び出した美空の名前。拓海は、美空と歩めなかった過去を埋め合わせるためにやって来た。


 (美空に会いたい。金輪際会えないかもしれない。会ったところでまともに話せないかもしれない)


 そう思うと、拓海の胸は締め付けられそうだった。


 駅前通りを歩くと、次第に人は増えていき、市民会館前の溢れんばかりの人の群れが、順調に歩けた足の動きを鈍くさせる。


 横十列にもなるほどの人ごみを少しずつ進むと、視界にはスーツと振袖だらけになった。


「全然進まねえな」


 と光太郎が愚痴をこぼすと、拓海もそれに頷く。


 市民会館に入れず、寒さに当てられながら過ごす退屈な時間。拓海は慣れない革靴でつま先立ちをした。



 すると、人ごみに映る一人の振袖の女の後姿を、一瞬の間に見つけた。そして前方を注視して人の隙間を辿り、十メートル先にいるその女の姿を拓海は逃さなかった。


 小柄な体型に首まで下ろされた黒髪、それに刺さる花の(かんざし)。紺色を基調とし、花柄を散りばめた振袖。慣れない草履で覚束ない歩きをしているところも含めてその姿に間違いは無かった。


 ――美空


 拓海が会いたかった、そして会わなければならなかった女。

 

 美空だと確信すると、拓海は混み入る人をかき分けるように、前方の紺色の振袖を目指して行った。係員の注意も上手に聞き取れないほど無我夢中で駆け寄ろうとする。


「お前どこに行くんだよ?」


 光太郎の問いかけには雑に、「ごめん後で会おう」とだけ言った。


 拓海は必死に進もうとするが、彼の流れに付随して列全体も流れていき、もがけばもがくだけ美空に近づけなくなる。


 やがて市民会館に入ると、押し潰されそうな流れも緩やかになった。美空と思しき人との距離は依然として十メートルのまま変わらなかったが、いつでも話しかけられる距離ではあった。


(このまま彼女に話しかけるべきか? そもそも一切会っていないのに美空と気安く呼んでも良いのか?)


 拓海の心の中で、疑問が木霊する。


(でも他人行儀でいくよりも、僕と絡んでいた当時の呼び名の方が親しんでもらえるのではないか)


 拓海はそう思うと、唾を飲み込んで自身を奮い立たせた。


「美そら……」


 拓海が声をかけた途端、中学生の頃の忌まわしくも決して背けられない過去が突風のように襲いかかった。出会ってから別れた後まで。情報量の波は、半ば成熟した拓海の心を羞恥に染め上げていく。


 声をかける勇気は一度消え失せた。拓海は美空にバレないように距離を取りながら、彼女の動向を見守った。

読んでいただきありがとうございます。

本作品は全部で約10万字です。

毎日投稿していきますので、気に入っていただけましたら、ブックマーク、ポイント、感想、SNSでの拡散等をよろしくお願いいたします!



三峰勾洋

X:@mitsu_kooyoo

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