婚約破棄は命を懸けて遂行するものですよ?
「侯爵令嬢エリシア・レヴァント、お前との婚約を破棄する!」
夜会の喧騒を切り裂くように、ひときわ甲高い声が大広間に響き渡った。
黄金に飾られたシャンデリアの光がきらめくその場で、第一王子レオン様は胸を張り、私――エリシア・レヴァントを真っすぐに指さしている。
「繰り返す! エリシア・レヴァント! お前との婚約をこの場をもって破棄する!」
……婚約破棄?
耳に入った言葉を理解するまで数秒の時間がかかった。
王城の大広間。
今日は私と殿下の婚約を祝う夜会――貴族諸侯や有力者が集い、王国中の視線が注がれる華やかな催し――だったはず。
しかし殿下はそんなめでたい夜会で、一片の迷いもなく婚約破棄を告げてきた。
「理由をお聞かせくださいませ、レオン様」
私は無表情のまま問いかける。
一方のレオン様は「ふん」と鼻息を荒げた。
「理由? 簡単だ。お前が“冷酷無比の氷姫”だからだ。笑顔も見せず、友を持たず、ただ家の権威を盾に威圧する。王妃には温かみと優しさが必要だ。だが、お前にはそれが欠けている!」
周囲から小さなどよめきが起きる。
レヴァント家の氷姫。
確かに私は社交場で多くを語らず、家の名に恥じぬ態度を貫いてきた。
だが、それは王家との婚約者として慎重を期しただけ。
冷酷などという中傷は初耳である。
レオン様はさらに続けた。
「だから僕はお前との婚約を破棄し、そして今日この場で真実の愛を選ぶ。紹介しよう――この女性こそ僕が愛すべき女性だ!」
レオン様の隣に現れたのは、亜麻色の髪を持つ少女。
子爵家のミレーヌ・ハミルトン。
小鳥のように可憐な顔立ちで、庇護欲をそそる雰囲気を醸し出している。
「レオン様……」
ミレーヌは頬を染めてレオン様の腕に身を寄せる。
「わたくしこそがレオン様の唯一の理解者。エリシア様のような冷たい人では、レオン様を幸せにできませんもの」
彼女の甘ったるい声に、レオン様は満足げにうなずいた。
「そういうことだ、諸君! 本日をもって僕はエリシアとの婚約を破棄し、ミレーヌと新たな婚約を結ぶ!」
ざわめきが大広間を満たす。
取り巻きの若い貴族たちは、レオン様に媚びるように拍手を始めた。
だが、その輪の外で老練な貴族たちは眉をひそめ、無言のまま事態を見守っている。
(なんて愚か者なの……)
胸の奥で冷たい微笑が込み上げてくる。
この一か月、レオン様の不審な動きは全て掴んでいた。
私の家――レヴァント公爵家は王国最大の諜報網を持つ家柄だ。
レオン様個人が国費を横領し、ミレーヌの一族であるハミルトン家と裏で取引していた証拠はすでに揃っていた。
さあ、ここからが本番。
「レオン様。わたくしの不徳が理由であれば、婚約破棄は甘んじて受けましょう」
頭を下げると、レオン様は得意げに下卑た笑いを浮かべる。
「当然だ。己の無愛想さを省み――」
「ですが王家と侯爵家との婚約を正式に破棄する前に、本日お越しの王国監査院、ならびに管財庁の方々にレオン様ご自身の国家に対する重大な反逆行為について申し上げたいことがございます」
レオン様の笑みが一瞬で凍る。
同時に、大広間奥の扉が開き、黒衣の役人たちが入場した。
その先頭に立つのは、現国王の腹心である宰相ベルンハルト卿――そして、私の実兄である。
「レオン殿下」
ベルンハルト卿の低い声が大広間に響く。
「あなたが王国資金を不正に流用し、ハミルトン子爵家へ多額の金銭を渡していた記録がここにございます。いわゆる裏帳簿というものです。そしてこの裏帳簿の主な内容は最近国内に流通している違法な薬物と販売についてです」
ざわめきが悲鳴へと変わった。
レオン様は顔面蒼白になり、ミレーヌも足をがたがたと震わせる。
「そ、それは……捏造だ! 僕は……」
「捏造かどうか、今宵ここで審問を行います」
ベルンハルト卿が冷ややかに告げると、近衛騎士たちがレオン様とミレーヌを取り囲んだ。
「や、やめろ! 僕は第一王太子だぞ! 父上が黙って――」
「国王陛下はすでにご存知です」
別の扉が開き、白髪の国王がゆっくりと入場する。
現国王陛下のシグルド様だ。
「レオン。お前の私利私欲による不正は余が直々に確認した。王家の名を汚した罪、もはや弁明の余地なし」
「父上、待ってください! これは何かの間違いです! そうだ、すべてはエリシアが――」
「黙れ!」
レオン様の言い逃れは、シグルド様の雷鳴のような一喝に掻き消された。
「レオン。この場をもってお前の王太子の地位を廃する。むろん王位継承権も剥奪だ」
膝から崩れ落ちるレオン様。
そしてミレーヌは蒼白のまま、近衛に引き立てられた。
行き先は地獄――もとい牢獄だ。
大広間は凍りついた沈黙に包まれる。
一方の私は静かに国王へ一礼する。
「陛下。レヴァント家は今後とも王国に忠誠を誓います。どうかこの件、王家の威信を守るためにも厳正にご処断くださいませ」
「うむ……エリシア侯爵令嬢、よくぞ冷静に対処した。そなたこそ王家が誇るべき貴族の鑑である」
シグルド様は深くうなずき、次いでこの場にいる全員に宣言した。
「本日をもって、レオンの婚約は完全に破棄とする。そしてエリシアは次期王妃候補として、我が第二王子ユリウスと求婚することを許す」
「御意」
と貴族諸侯の中から私の元へ一人の青年が歩いてくる。
漆黒の髪を持つ第二王子ユリウス殿下――実は私が密かに心を寄せてきた御方。
「エリシア殿。あなたが王国の未来を共に歩むなら、これほど光栄なことはありません。どうかわたしと結婚していただけますか?」
ユリウス様のその瞳には温かな決意が宿っていた。
私の胸の奥で、長く凍っていた氷が静かに溶けていく感じを覚えた。
「喜んで、お受けいたします」
大広間に歓声が湧き起こった。
貴族諸侯たちは一斉に拍手を送り、王国の新たな絆を祝福する。
その中で床に崩れたままのレオン様は、呆然と私を見上げていた。
第一王太子としての栄華も、ミレーヌとの甘い蜜のような愛も――そのすべてを自らの愚行で失った男の哀れな瞳。
(あなたが捨てた“氷姫”は、最初から氷ではなかったのよ)
私は静かに背を向けた。
同時に午後十時を告げる鐘の音が聞こえてくる。
それは私とユリウス様の将来を祝福する音でありながら、レオン様とミレーヌの破滅を告げる終焉の音であった。
〈Fin〉
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