9・無能であることの負い目
「ライナス殿下、ミレーユです。奥様をお連れしました」
城内を歩いて。
ミレーユさんはある一室の前で立ち止まると、そう言いながら扉をノックした。
『入ってくれ』
すると、間髪入れずに扉の向こうからライナス殿下の返事。
緊張しながらもミレーユさんに背中を押され、私はゆっくりとドアノブを捻った。
「で、殿下。おはようございます、アリシアです。朝のご挨拶のために参りました」
「おはよう」
そう言って、ライナス殿下は優しげに微笑む。
どうやら、ここは執務室のようだ。
ライナス殿下の前の執務机には、大量の本や書類が置かれている。
彼の右手にはペンが握られており、今さっきまで仕事をしていたのがはっきりと分かった。
「お忙しそうですし……また、時間をあらためましょうか?」
「そんなことをする必要はない。俺にとって、君に会う方が大切だ。それよりも……」
一転。
ライナス殿下は顎を手で撫で、私の姿をじーっと眺めながらこう言った。
「──キレイだ。君の美しさは衣装や化粧に左右されるものでもないと思うが、こうしてあらためて見るとやはり際立って映る。ますます君のことが好きになったよ」
「──っ!」
今まで、『キレイ』だとか『美しい』なんてことは、一度も言われたことはない。
実家であるルネヴァン家では、美しさの象徴といえば妹のシルヴィア。
姉である私は、いつも影の存在だった。
それなのに、ましてやライナス殿下からそんな嬉しい言葉をかけてくれるなんて……。
彼の目が見られなくなり、反射的に視線を逸らしてしまう。
「ふふふ、ライナス殿下も意外とそんなことを言えたんですね。では、お邪魔な私はこれで……」
隣で微笑ましそうに私を眺めていたミレーユさんは、そう一礼して執務室から出ていった。
あぁ……行ってしまう。
まだ、ライナス殿下と二人きりになるのは慣れないのに……。
「それで……今日は朝の挨拶だけだったか? 君の表情から察するに、他にもありそうだが」
ミレーユさんがいなくなってから、ライナス殿下は私に問いかける。
さすが、ライナス殿下。全部お見通しみたい。
私は胸を押さえながら大きく深呼吸をして、こう口を開いた。
「実は……私について、まだお話していないことがありまして」
真剣な空気を感じ取ったのか、ライナス殿下は黙って顔の前で手を組み、私の言葉を待った。
「私は、魔力を持たない『無能』なんです」
「なんだと?」
ライナス殿下の眉間がピクリと動く。
「貴族として生まれたからには、魔力を両親から受け継いでいるのが普通なのは存じ上げています。ですが、今まで何度か魔力の有無を確かめましたが……全て空振りでした」
シルヴィアはルネヴァン家──いや、国内でも随一の魔力量を誇っているのを考えたら、雲泥の差だ。
両親の私に対する仕打ちは、年月が経つにつれて苛烈になっていった。
もっとも、『私はルネヴァン家で使用人同然として扱われ、『選定の儀』に臨んだのも捨てられたから』──。
とライナス殿下に伝えて、このことが両親にバレたら、なにをされるか分かったものじゃない。報復があるかもしれない。
私だけならともかく、ライナス殿下には迷惑をかけたくない。
そう思い、実家での扱いについては、当面の間は黙っておくことにした。
「殿下が八年間も、私を想い続けてくれたことは光栄です。ですが、私が『無能』だということは知らなかったでしょうし……もし、婚約を取り消すなら、早い方がいいと思いまして」
「なにを言うんだ」
ライナス殿下は苦笑してから、諭すように続けた。
「魔力を持たないことには驚いたが、別に俺は君の魔力が目的で婚約したわけじゃない。俺は、君が好きだから婚約したんだ。それを聞いて揺らぐほど、君への想いは柔じゃない」
「殿下……っ!」
ほっと胸を撫で下ろす。
よかった……。
まだ自分の立場には戸惑っているものの、ここで婚約を取り消されても、私には帰る場所がない。
『無能』ではあるが、貴族らしい桃色の髪をしている私は、他の家で使用人をしようにも煙たがられるだろう。
誰もトラブルは嫌なのだ。
廃嫡された貴族令嬢など、誰も雇いたがらない。
「それとも……やっぱり、君は俺と婚約することが嫌なのか? そうだったら、こちらも考えるが……」
「い、いえいえ! そんなことはありません!」
慌てて否定する。
せっかく、懸念事項が一つ潰れたのだ。ここで婚約が白紙になるなど、溜まったものじゃない。
「それはよかった」
ライナス殿下もほっと安堵の息を吐き、表情を柔らかくした。
本当に、優しそうな人だな……。
切れ長の瞳で見つめられると一瞬ビクッとしてしまうが、表情自体は優しいものだ。
それなのに、どうして残虐非道の冷酷な王子なんて言われているんだろう?
「あらためて、よろしく頼む。気になることがあれば、すぐになんでも言ってくれ。俺は、君の願いを全て叶えたいと思っているんだ」
「では、一つだけ……」
短いながらもライナス殿下と言葉を交わし、余裕が出てきたのもあるんだろう。
私は彼の瞳を見つめて、こう問いかけた。
「これから、私の仕事はなにになるんでしょうか?」
「はあ?」
今度は、「なにを言ってるんだ、こいつ」と言わんばかりに、ライナス殿下が怪訝そうな顔をする。
「殿下の婚約者といえども、なにもしないわけにはいかないでしょう。タダで城に住まわせていただくのも、申し訳ありません。私……お掃除でも料理でも裁縫でも、なんでもやります! お申し付けくださいませ!」
「そんなことはしなくてもいい」
……え?
ライナス殿下の言ったことに、一瞬思考が停止してしまう。
「君はこのままいけば、未来の王妃なんだぞ? 何故、次期王妃が使用人のような仕事をしなければならない。王妃教育は受けてもらうつもりだが……それも、もう少し後だ。すぐに取り掛かる必要はない」
「そんな……では、私はなにをすればいいんですか!」
「なにもしなくていい。基本的には、部屋でゴロゴロしていて問題ない」
部屋でゴロゴロ……?
え、なに、その概念……。
実家では、朝から晩まで働き詰めで、お暇を与えられたことは一度もなかったし。
「ゴ、ゴロゴロとは、具体的になにをすればいいんですか?」
「ゴロゴロといえば、ゴロゴロだ。どうやら君は、なにがなんでもやることが必要なようだな」
呆れたように溜め息を吐くライナス殿下。
そういえば……シルヴィンも、家の中では特になにかをしている素振りはなかった。
外ではお茶会やダンスパーティーに興じているようだが、どちらも未体験の私では出来そうにない。
「まあ、だが……なにもせずにゴロゴロするというのも、それはそれで辛いかもしれないな」
次期王妃としてなにをすればいいか分からず、上手く返事が出来ない私を見かねてか、ライナス殿下が席を立った。
「俺が、城の中を案内しよう」
「ラ、ライナス殿下が、ですか? そんな恐れ多い……殿下直々にやるべきことではないと思います」
「いいから来るんだ。城の内観を覚えるのも、次期王妃としての立派な仕事だから」
頑なななライナス殿下。
ここは、彼の言葉通りにした方がよさそう。
そう思った私はライナス殿下の後に続き、その場を後にするのであった。
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