世話人という繋がり
「う、うそーっ!? なんで!? なんで!? なんで~~~っ!?」
私はもう完全にパニック状態だった。
「本当に!? 先生も世話人なんですか!?
他に世話人がいるなんて、私……聞いてないっ!」
訳が分からず、頭を抱える私に、獣医は笑いながら肩をすくめて言った。
「ははは、世界中に人がいるように、猫だって世界中にいっぱいいるんだよ。
世話人がひとりだけってことはないだろ?」
「……まさか、世界中の猫たちの面倒を、君ひとりで見るつもりだったのかい?」
ニヤリと笑う獣医。
「あ……たしかに。言われてみれば……猫って、世界中にたくさんいるんだよね……」
「そうそう。それをひとりで抱えるなんて無理に決まってるじゃないか」
「……ってことは、この近くにも他に世話人がいるってこと?」
「ああ。いるよ、わりと近くに何人かは、ね」
私は興味津々で身を乗り出した。
「世話人同士って、出会ったりするものなんですか?」
「不思議な縁があるんだ。いつかきっと巡り合うよ。
どこで、どう出会うか……それがまた、いいんだよ」
「わぁ……なんだか楽しみになってきました!」
「みんな、気のいい連中ばかりさ。楽しみにしておくといい」
「……でも教えてくれないんですね?」
先生はニッと笑って言った。
「私はね、“どこで、どんなふうに出会うか”がとても大事だと思ってる。
いずれ出会うとしても、ネタバレしちゃったら面白くないだろ?」
「ふふっ……確かに。出会いって、運命みたいなものですよね」
「出会いによって、人生が変わることもある。
視野が広がって、無限の可能性が生まれるんだ」
先生の目をまっすぐ見ながら、私は深く頷いた。
「現に……今日、先生と出会えて、本当にいろんなことを感じました」
「ほう?」
「自分でできることの限界とか、人に頼ることのありがたさとか……
大変だったけど、ものすごく勉強になりました」
「それは何よりだよ」
私たちは顔を見合わせ、自然と笑いがこぼれた。
しばらくして、私はふと思い出して、クロにちょっと怒り気味で言った。
「ところでクロ。……ねぇ、私に“他にも世話人がいる”って、言ってなかったよね?」
するとクロは、目をそらしながら小さな声でとぼけた。
「……え? え~っと……お話し……していませんでしたっけ?」
「ひど~~~~い!!」
私のツッコミに、先生とクロ、そして私自身もつられて大笑い。
診察室には穏やかであたたかな笑い声が満ちて、
しばしの間、ゆっくりとした時間が流れていった。
「さて、今日はもう夜も遅い。いったん帰りなさい。送っていくから」
優しく声をかけてくれた先生に、私は少し戸惑いながら答える。
「……でも、私……この子が心配で……」
「大丈夫。ここは私に任せて。送ってる間は助手に見てもらうからね」
「え?助手さんがいるんですか?」
「うん、いるよ。猫の助手だけどね」
ニヤッと笑いながら、先生は軽くウインクする。
「お〜い、リリー! いたら、こっち来て〜」
「ニャーン」
どこからともなく現れたのは、真っ白な長毛にサファイア色の瞳を持つ、美しい猫だった。
音もなく滑るように現れ、先生の横にちょこんと座る。
「こちら、うちの看護助手のリリーです」
「ニャア」
優しく鳴くその姿に、私は思わず見惚れていた。
「かわいい……すごく綺麗な猫……」
「この子ね、先代の頃からずっと僕の助手をやってくれてる。
処置の補助も記録も、僕より優秀なくらいだよ」
その時、先生がふと私に目を向けて言った。
「そう言えば……まだ名前、聞いてなかったね」
「あっ!! すみませんでした。私は麟、颯麒 麟です。
“麟”と呼んでください」
「なるほど、麟ちゃんね。私の名は玄岩 武です。こちらこそよろしく」
ふたりが握手を交わそうとしたその瞬間、リリーが前足でトントンと床を叩いて言った。
「あら?クロがいるじゃないの」
リリーの視線に凄い冷や汗と共に直立するクロ
「クロが居るって事は…そう…あなたがお隣の世話人なのね。」
「えっ……!?」
一瞬驚いたが、すぐに笑って頷く。
「私はリリー。ここの看護助手をしてるわ。よろしくね」
「よろしくお願いします……!」
「安心して。この子猫ちゃんのことは、ちゃんと私が見ておくから」
リリーの声は優しく、凛としていて、それだけで不思議と心が落ち着いた。
私は深く頭を下げた。
「本当に……ありがとうございます」
リリーに見送られ、先生と私とクロは診察室の外へと出る。
ふと見上げる空には、幾千もの星が煌めいていた。
きっとこの夜を、ずっと忘れないだろう。
駐車場に停められた車は、白いステーションワゴンだった。
先生が運転席に乗り込み、クロは後部席へ私は助手席へと座る。
「じゃあ、出発するよ。安全運転でね」
エンジンが静かに唸りを上げ、車は夜の静寂をすべるように走り出した。
窓の外には、オレンジ色の街灯に照らされた道。
しばらく無言だったが、先生が口を開いた。
「……今日は、本当によく頑張ったね」
「……はい。でも、私ひとりじゃ何もできなかったと思います」
「ひとりじゃなかったから、出来たんだよ。クロや僕、それにリリーもいた。
それって、これからの“世話人”として大事なことだと思う」
「……はい、ありがとうございます」
車内に流れるラジオの音が、ふっと耳に心地よい。
「あ、ここで大丈夫です。角を曲がったところが私の家なので」
「了解。じゃ、ここで停めよう」
ゆっくりと停車し、私はクロと共に車から降りる。
「本当に……ありがとうございました。先生、今日は色々と助けてもらって」
「いいって、こっちも楽しかったよ。また困ったことがあったら、いつでも連絡して」
「はい!」
笑顔で頭を下げると、先生は軽く手を振って車を出した。
テールランプが夜道の先へと消えていく。
クロは屋敷へ戻り、私は家のドアを開け、そっと息をついた。
今日一日がまるで夢のようで、けれど確かに――暖かかった。