夏祭り
夏の空はまだ薄暮の色を残し、街は赤く染まった光から夜の藍へと変わろうとしていた。屋敷の庭に響くのは子猫たちのはしゃぎ声。昼間の熱気がまだ石畳にこもっているけれど、時折吹き抜ける風が浴衣の袖を揺らし、汗ばんだ頬をひんやりと撫でていく。
毎年恒例の「四町合同夏祭り」の日がやって来た。
「今年は……奈月と一緒に行くんだ」
麟は鏡の前で浴衣の裾を整えながら、少し照れくさそうに呟いた。
南町の世話人、小鳥遊奈月から「せっかくだから一緒に行こう」と誘われたのだ。
学校でもクラスが違い、普段は廊下ですれ違う程度。しかしVTuber“扇”としての顔、世話人としての立場を知って以来、二人の距離はぐっと縮まっていた。
麟は約束の場所へ向かう途中、すれ違う人々が皆、思い思いの浴衣姿で祭りに向かっているのを見て、胸が高鳴るのを感じていた。
今日の麟は深い藍色の浴衣に、金魚の柄が涼しげに泳いでいる。帯は明るい水色で、結びは少し緩やかに可愛らしく仕立ててもらった。髪は普段は下ろしているが、今日は首筋を見せるように後ろでまとめ、小さな簪を挿している。
(なんだか、ちょっと背筋がしゃんとするな……)
普段の制服姿とは違う装いに、少しだけ照れくさい。
待ち合わせ場所に着くと、奈月がすでに立っていた。
彼女は白地に朝顔が散りばめられた浴衣を身にまとい、帯は淡い藤色。夜の帳が降りかかる中、その姿は柔らかな灯りのように映えて見えた。
「麟!」
奈月がぱっと顔をほころばせ、手を軽く振る。
「ごめん、待った?」
「私も今来たところ」
二人は向かい合って、お互いの姿を見つめ合った。自然と笑みがこぼれる。
「……奈月、すごく似合ってる。なんだか大人っぽい」
「そんな……麟こそ! 金魚の柄、すごく可愛いよ」
「ありがとう……ちょっと恥ずかしいけど」
頬を赤らめる麟に、奈月は小さく微笑んだ。浴衣姿の二人は、まるで祭りの提灯に照らされた舞台に上がった役者のようだった。
屋台の通り
二人が歩き出すと、屋台の並ぶ通りに足を踏み入れる。赤い提灯が一斉に灯り、甘いソースの香りや香ばしい焼き鳥の匂いが風に混じって漂ってくる。人混みのざわめきと笑い声に包まれて、祭りの熱気が体に伝わる。
「どこから行く?」
「ん~……金魚すくい! あれ、やってみたい」
麟が指を差すと、奈月も笑顔でうなずいた。
金魚すくいの屋台には小さな子どもから大人までが並び、すくい網を慎重に水面へと伸ばしていた。二人も挑戦することにした。
麟は慎重に狙いを定めるが、ポイが水に触れた途端、紙が破れてしまう。
「わっ、あぁぁ~! もう破けちゃった!」
思わず情けない声を上げる麟に、奈月は思わず吹き出してしまう。
一方奈月は、意外にも器用に金魚をすくい上げ、小さな器へ移した。
「やった! 一匹取れた!」
「すごい……奈月、器用なんだね」
「ふふ、普段から猫たちのお世話をしてますから、細かい作業は得意かもね?」
二人はその後も、りんご飴を買って半分ずつ食べたり、ヨーヨー釣りで笑い合ったりしながら、次々と屋台を巡った。
射的の勝負
やがて二人は射的の屋台へと辿り着いた。
「これ、やってみたい!」と奈月が目を輝かせる。
麟も挑戦することになった。
先に挑戦した麟は、狙いを定めるものの弾は外れ、景品は微動だにしない。
「あれ? 全然当たらないんだけど!」
麟がむくれると、奈月はくすりと笑いながら銃を構えた。
奈月の指先は迷いなく、弾は狙った景品を直撃し、小さな人形が台から落ちた。
「やった、取れた!」
「えぇ!? すごい! 何それ、反則級に上手いじゃん!」
奈月は戦利品を手に嬉しそうに微笑む。
「はい、麟にプレゼント」
「えっ……ありがとう! でも、負けた気がするなぁ……」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
花火の瞬間
屋台を巡り終えた頃、夜空に一発目の花火が上がった。
ドーン、と大きな音が響き、光の花が夜空に咲き誇る。
「わぁ……!」
二人は足を止め、同時に見上げた。
色とりどりの花火が、夜空を鮮やかに彩っていく。光に照らされた奈月の横顔は驚くほど大人びて見え、麟は思わず見とれてしまった。
「来てよかったね、奈月」
「……うん。麟と一緒だから、もっと楽しい」
静かに笑い合い、二人は肩を並べて夜空を見上げ続けた。
夜空に咲いた大輪の花火は次々と形を変え、やがて静かに終わりを迎えた。
大きな歓声と拍手が町中に響き渡り、祭りは再びざわめきに包まれる。
麟と奈月はしばらくその場に立ち尽くし、名残惜しそうに夜空を見上げていた。
「……終わっちゃったね」
「うん、ちょっと寂しいね」
花火が消えた夜空には、夏の星々が瞬いている。二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
「じゃあ、もう少し屋台を見て回ろうか」
「そうだね! 花火のあとはちょっとお腹が空いてきたし」
人混みの波に乗りながら、二人は再び屋台の並ぶ通りへと戻った。
焼きそばの屋台
まず目についたのは、大きな鉄板でソースの匂いを立ちのぼらせる焼きそば屋。
「うわぁ、いい匂い……」麟のお腹がぐぅと鳴る。
「ふふふ、正直だねぇ」奈月が小さく笑い、二人で分け合うことにした。
紙舟に盛られた焼きそばを手に取り、二人は道端に腰を下ろして食べる。
「ん~、おいしい! 屋台の味って特別だね」
「本当だね……。あ、麟、ソースが口元に……」
奈月が指でそっと指摘すると、麟は慌てて口元を拭った。
「わっ、恥ずかしい……」
「ふふ、可愛い~」
その言葉に、麟の頬がほんのり赤く染まった。
射的のリベンジ
再び通りを歩いていると、昼間挑戦した射的の屋台が目に入った。
「……もう一回やっていい?」
麟が真剣な顔で言う。
「リベンジだね」奈月がくすっと笑う。
麟は再び銃を手に取り、目を細めて狙いを定めた。
今度は慎重に、景品の端を狙う。ぱん、と音が響き、狙った小さな鈴のキーホルダーが台から落ちた。
「やったぁ! 今度は成功!」
「お見事!」
麟は嬉しそうに景品を手にし、しばらく迷った末に奈月へ差し出した。
「奈月にあげる。さっき奈月がくれたから、今度はお返し」
「……ありがとう。大切にするね。」
綿菓子と小さな秘密
通りの奥には綿菓子の屋台があった。カラフルな袋に詰められた綿菓子が風に揺れている。
「懐かしいなぁ……」麟が呟く。
「買う?」
「うん!」
ふわふわの綿菓子を受け取ると、麟はちぎって口に入れ、目を細めた。
「……甘い。やっぱりお祭りの味だね」
奈月も一口もらい、口元に笑みを浮かべる。
人混みの喧騒の中、二人はほんの少しだけ声を潜めた。
「ねぇ奈月」
「はい?」
「こうやって一緒に祭りを回るの、すごく楽しい。なんだか、不思議な気分」
「私もです。……実は、麟とこうして歩ける日を、ちょっと楽しみにしてた」
その言葉に、麟は驚いたように奈月を見つめる。けれどすぐに、柔らかい笑顔が浮かんだ。
帰り道へ
祭りの通りを歩き尽くし、提灯の灯りも少しずつ消え始める頃、二人は屋敷へ戻る道を歩いていた。
夜風が心地よく、遠くでまだ残り火のように小さな花火が上がっている。
「来年も……一緒に行けたらいいなぁ~」
奈月の言葉に、麟はにっこりと頷いた。
「うん、絶対に」
二人の笑い声が、夜の静けさの中に溶けていった。




