麟と幸宗
モモはクロとしばしの会話を終えると、名残惜しげにしっぽを揺らしながら部屋の隅へと戻っていった。
クロもまた、どこか困ったような、それでいて少し嬉しそうな複雑な表情を浮かべたまま、ふっと小さくため息をつく。
「クロ……大変だね、モテるのも」
麟が苦笑しながら近づくと、クロはきまり悪そうに耳を伏せた。
「そんなつもりはないんですけど……みんな、ただ懐いてるだけで」
「うーん? そうかな~? でも、あんな目で見つめられたら気付くでしょ?」
「……できれば気付かないフリをしたいです」
そう言ってしょんぼりと項垂れるクロの姿に、麟はつい笑ってしまう。
すると背後から、ゆったりとした足音が近づいてきた。
「クロのことは、放っておくとすぐ溺れちゃいそうだからねぇ。ほどほどに気を配ってあげてくださいな、世話人さん」
声の主は、FlyingCatの店主・蒼龍 幸宗だった。
涼やかな色の作務衣をまとい、軽く口元に笑みを浮かべて立っている。年齢は五十手前といったところか、穏やかな物腰の中に、鋭く人を見る眼差しを宿している人物だった。
「蒼龍さん……今日は本当にありがとうございます。暑い中わざわざ……」
「いえいえ、こちらこそ。中町の皆さんには昔から随分お世話になってますから。お礼の一つや二つ、当然のことです」
そう言いながら、蒼龍はそっと腰を下ろした。
その手には、猫たちに渡された新作のおもちゃと、冷えた小箱の包みが残っていた。
「モモが失礼していませんでしたか?」
「いえ、すごく……素直な子ですね。ちょっと驚きましたけど、ちゃんと話してくれました」
「ふふ、それは良かった。あの子、普段は天真爛漫なのに、ことクロ君の話になると急に真剣になるんですよ」
「うわ、それ、ちょっとわかります……なんか一途でかわいくて」
「その“一途”が曲者なんですよ。可愛い反面、思い込みも強い。ま、クロ君がちゃんと向き合えば問題ないですけどねぇ」
蒼龍の言葉には、どこか意味深な響きがあった。
彼はしばし猫たちの遊ぶ様子を見つめ、それからゆっくりと視線を麟に戻した。
「……ところで麟さん」
「はい?」
「麟さんは、随分と不思議な空気を纏っている。クロ君や猫たちにとって、家族でもあり、友人でもあり、そして――導き手にもなっている」
「そんな……私はただ、一緒にいて楽しいなって思うだけで」
「それが一番、猫たちには心地いいんです。彼らは“無理”や“嘘”を嫌いますからね。心からの気持ちで接してくれる人間には、すぐに懐きます」
「……そんな風に言われると、ちょっと照れます」
「照れていいんですよ。でも、覚えておいてください。君のような“中核”になる子がいると、町の猫たち、いや――この地域全体が変わっていく」
麟はふと、先日出会った南町の奈月や、扇チャンネルでの出来事を思い出した。
自然と町の境界が薄れ、猫たちが互いに行き来しはじめている今、その言葉の意味が少しだけわかる気がした。
「そうなると、私の仕事……というか“世話人”って、何なんでしょうね?」
「大げさに言えば、“秩序と心の拠り所”でしょうか。小さな世界の守り手ですよ、君たちは」
「……なんだか、重いな」
「でも、それを“楽しんでる”じゃないですか。今の麟さんを見ていると、ちゃんと“居場所”になってる」
静かな時間が流れた。
猫たちの遊ぶ声、風鈴の音、そして微かな笑い声――。
やがて、蒼龍が立ち上がりながら言った。
「今日はそろそろ帰ります。冷えたおもちゃもこの時期は長く持たないんで。モモも迎えに来ますよ」
「はい、こちらから声かけておきます」
「また何かあれば、FlyingCatに連絡を。……あ、そうそう。例のゲーム機、反響がすごいですよ。南町や西町の子も、興味を持ち始めてるらしい」
「また猫たちの火種が増えそうな予感しかしませんねぇ……」
「ふふ、楽しみにしてますよ。中町の世話人さんが、どう切り抜けていくのか」
軽く手を振って、蒼龍はにこやかに屋敷を後にした。
その背中を見送りながら、麟は小さく息を吐いた。
「……もうすぐ、夏祭りもあるし……これは、忙しくなるなぁ……」
そしてふと、近くにいたクロをちらりと見た。
「クロ、お願いだから、トラブルは……なるべく自分で収めてよね?」
「え、僕ですか!? 無理ですよそんなの!!」
「ははっ、やっぱりね~……」
笑いながら、麟は猫たちの待つ部屋へと戻っていった。




