クロとモモ
「そ、そんなにたくさんはいませんってば!」
クロは耳をぴんと立てて必死に否定するが、その様子が逆に怪しさを増幅させているようにしか見えなかった。
「ふふ、どうだかねぇ~」
麟は腕を組み、疑惑の視線をクロに向けながらも口元には笑みが浮かんでいる。あきらかにからかっている態度だったが、クロはどうにもこの状況に弱かった。
「と、とにかくですね、私はそんな……モテてなんかいませんよ」
「でもクロって、いろんな町の猫に名前知られてるよねぇ? この前だって、鈴音が北町から突然来たし……今日だってモモちゃんが会いたがって来てるじゃない」
「う……」
「なにか言いたいことは?」
「……偶然です」
「はっはぁーん……」
麟がニヤニヤと笑うと、クロはますますしっぽを膨らませて視線を逸らした。
「……ね、絶対“いる”よね、西町にもさ。こういう感じの猫が」
「……麟さん、本当に何を言ってるんですか?」
「いやいや、だってもうさぁ、北町の鈴音でしょ? 南町にはレッカさん、そして東町のモモちゃんでしょ? 。みんな“クロに会いたい”って訪ねてきてさ。しかも揃いも揃って美猫なんだよ? 西町にいないわけがないじゃん」
「や、やめてくださいよぉ……」
「クロ、もしかして昔どっかでアイドル活動とかしてなかった? 雑誌の表紙とか飾ってない? 何かとんでもない過去があるでしょ?」
「ありませんっ!! そんな派手な経歴、まったくもってありませんからっ!」
子猫たちがくすくすと笑い、玄関先では幸宗が荷物を運び入れながら「はは、賑やかでいいですねぇ」と目を細める。屋敷の空気は柔らかく、午後の陽射しに照らされてどこか穏やかなひとときが流れていた。
クロはその縁側に背を預け、昼寝の続きを楽しもうとしていたところだったが麟に詰め寄られる――その傍に、そっと足音もなく近づく影があった。
「……クロさん?」
その小さな声に、クロはゆっくりとまぶたを開いた。光の加減で細くなった目の向こうには、小さな青いグレーの毛並みを持つ猫――モモがいた。少し緊張したような面持ちで、けれど目を逸らすことなくクロをじっと見ている。
「……あなたが、モモさん?」
クロの声は低く静かで、けれどどこか柔らかさを含んでいた。
モモはぴんと背筋を伸ばして、丁寧にお辞儀をした。
「そうだったんですね。ようこそ、中町へ。わざわざ足を運んでくださって、ありがとうございます」
丁寧にお辞儀を返すクロに、モモは一瞬、ぽかんとした顔をした。
(……話に聞いてたとおり。すごく落ち着いてて、丁寧で……なんだか、やっぱり、すごい猫だなぁ)
彼女がそう思っていると、クロはゆっくりと姿勢を正し、縁側の隣を軽く前足で示した。
「少し、ここでお話でもしませんか?」
「……えっ、いいんですか?」
「もちろん。わざわざ来てくださったんですから」
クロの優しい言葉に、モモは顔をほんのりと赤らめながら、隣にちょこんと座った。静かに、遠くから聞こえる子猫たちの笑い声。庭を渡る風が、ふたりの毛並みを軽く揺らした。
「……その、実はですね」
モモは前足をもじもじと揃えながら、言いにくそうに口を開いた。
「前に……お兄ちゃんから麟さんがFlyingCatに来たって聞いたんです。それで、クロさんのことも聞いて……どうしても、気になってしまって」
「私のことを?」
「はい……変ですよね。会ったこともないのに、気になっちゃって。でも……話を聞くうちに、なんとなく、わかる気がしたんです。どうして、皆がクロさんを好きになるのか」
クロは少しだけ目を細めた。モモの言葉に対して、何かを深く考えるような、どこか懐かしさを感じるような表情だった。
「私は……そんなに特別な存在じゃありませんよ。ここで、猫たちと一緒に静かに暮らしているだけです」
「それが素敵なんです」
モモはクロをまっすぐに見つめた。
「私、ちょっと賑やかな場所で暮らしてて……毎日忙しくて、誰かが遊びに来たり、お兄ちゃんもよく出かけたりして。クロさんみたいに、穏やかに猫たちと過ごす時間があるって、ちょっと憧れちゃって」
クロは目を伏せて、しばらくの間、何も言わなかった。けれどその沈黙は、決して不快なものではなかった。モモもまた、ただ静かにその時間を受け入れていた。
「……僕も、かつてはあちこちで落ち着かずにいたことがあります」
クロが静かに口を開いた。
「でも、この屋敷に来て、麟さんと出会って……ここでの暮らしを知って。ようやく、自分の居場所というものに気づけたような気がするんです」
「居場所……」
モモはその言葉を、ゆっくりと胸に落とした。まるで、それが自分にも必要なものだと感じているように。
「モモさんも、疲れたらいつでもここに遊びに来てください。僕も、麟さんも、そしてこの子たちも――歓迎しますから」
その言葉に、モモの目が潤む。
「ありがとうございます……クロさん」
しばし、ふたりは何も言わずに庭を眺めていた。
やがてモモがそっと尋ねる。
「……クロさんって、今好きな猫とか……いますか?」
クロは少し驚いた顔でモモを見た。が、すぐに静かな表情に戻り、ふっと笑みを浮かべた。
「……秘密です」
「えぇーっ!? ずるいです!」
「ふふ」
そのやりとりの向こうで、どこからか聞き耳を立てていた麟が盛大にくしゃみをした。
「……なんでこう、話が進んでるのよぉ……」
思わずそうぼやきつつ、麟は頭を抱える。
クロとモモが縁側で穏やかに語らう様子を、屋敷の中から見ていた麟は、そっと障子の影から顔をのぞかせていた。
(なにあれ……空気が柔らかい……)
微笑みながら会話を交わすクロとモモ。普段どこか達観したように落ち着いているクロの表情が、ほんの少しだけ緩んでいるのが麟には見えた。
(クロのあんな顔、初めて見たかも……)
隣にいた星夜が、首をかしげながら言った。
「……なんだか、姉ちゃんが言ってた“恋の予感”ってやつに似てない?」
「ちょ、やめて、星夜、そういうの言うとなんか……私が気にしてるみたいじゃん……」
「え、気にしてるの?」
「……う、うるさいっ」
思わず星夜の頭を軽く叩きながら、麟は顔を背けた。だけど頬が少し熱いのを自分でも感じている。
(クロって、ほんと何考えてるのかわかんないとこあるし……でも、いつの間にあんなに自然に距離詰めてるの……?)
それでも――。
モモのことを、麟は悪い気はしなかった。初対面の猫とは思えないほど自然体で、気取りがなくて、何よりクロに対してまっすぐだった。まるで長く会いたかった相手に、ようやく巡り合えたような目をしていた。
(……うーん、でもやっぱりなんか、複雑……)
「ちょっと、様子見てくる」
麟は立ち上がって、縁側へ向かった。
縁側の柱の陰からそっと顔を出すと、モモがクロの話を真剣に聞いているのが見えた。
「――そうなんですね。麟さんって、そんなふうに世話人になったんですか。すごいなぁ……」
「ええ、麟さんは最初から子猫たちに好かれていましたし。何より、真っ直ぐで裏表のない方です」
「……ふふ、なんか、ちょっとわかる気がします」
その会話に、麟は「なに見てんのよ」みたいな気分になりながらも、心の中がほんのり温かくなるのを否定できなかった。




