ちょっと気になる話
暑さが残るある日の午後。中町の屋敷の縁側では、ゆるやかな風鈴の音が鳴り響いていた。鈴の音とセミの声が混じる中、麟は冷たい麦茶を一口すすり、扇風機の風にあたりながら、のんびりと涼をとっていた。
「はぁ~、こう暑いと何もやる気しないよねぇ……」
誰に言うでもなくそう呟くと、畳の上でごろんと寝そべっていたクロがちらりと顔を上げた。
「まあ、夏ってのはそんなもんですよ。無理せず、のんびり過ごすに限ります」
「はぁ~……でも、なんかさ、落ち着かないんだよねぇ~」
「落ち着かない?」
クロが首をかしげる。麟はぼんやりと天井を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「なんか、妙な予感がするのよねぇ~……。クロの周り、妙に華やかというか、ざわざわしてるっていうか……」
「また妙なことを」
「妙じゃないって! だって、北町には鈴音でしょ? 東町にはモモちゃん。南町にはレッカさん……。絶対、西町にも何かあるよねぇ~」
クロはピクリと反応した。ほんの一瞬だったが、麟は見逃さなかった。
「……あれ? 今、反応したよね?」
「してませんよ」
「してたってば!」
クロはそっぽを向いて毛づくろいを始めたが、その耳は僅かに赤らんでいた。麟はその様子をじっと観察する。
「……クロってさ、いったい何匹の雌猫と関わってるの?」
「な、なんですかいきなり!」
「いや、気になるじゃん。北町に一匹、東町に一匹、南町に一匹、でしょ? で、もしかして西町にも?」
「……た、たまたまそういう猫たちが世話人と仲良しなだけですよ」
「ふぅん……」
麟は麦茶を啜りながらクロを見つめる。その眼差しは、いつになく鋭い。
「それで? どれくらいの猫に好かれてるの?」
「そ、そんなの、知りませんよっ!」
珍しく焦るクロの様子に、麟は少しニヤリと笑う。
「モモちゃんは明らかにクロに好意持ってるでしょ? この前、レッカさんにも聞かれたんだよ。『クロは来てないのですか?』って。明らかに探してたよ?」
「そ、それは……」
「しかも、鈴音とレッカさんの間って、なんか火花散ってるっぽいし……。あれ、レッカさんも……?」
「い、いや……! そ、そんなことないと……思います!」
「めっちゃ怪しいじゃん、それ」
クロはぷるぷると耳を揺らし、どうにも落ち着かない様子で縁側から庭へと逃げ出そうとした。
「こら待てー!」
麟はすかさず立ち上がり、クロのしっぽをひょいとつかんだ。
「クロ、逃げないの! 今のうちに全部吐いてもらうよ!」
「ひ、酷い! そんな取り調べみたいな……!」
「だって気になるでしょ!? しかも、今度の扇ちゃん、奈月だよ? 南町の世話人で私と同じ学校の同学年、しかもVチューバー! あの人もたぶん、クロのこと気に入ってるみたいだし……」
「そ、それは違いますよ! 奈月さんは私より、猫全体の福祉のために……!」
「言い訳下手か!」
クロは項垂れた。
「……私、そんなにモテてるわけじゃないですよ。ただ、ちょっと、話しやすいだけです……」
「うんうん、話しやすいだけで、みんな笑顔になるんだよね~。」
「そんな……」
「じゃあ、率直に聞くよ。誰が一番タイプ?」
「無茶振りやめてください!」
麟は手を口に当てて笑いをこらえながらも、どこか真剣な表情を浮かべていた。
「……でも、気をつけた方がいいよ?」
「え?」
「鈴音も、レッカさんも、モモちゃんも……今はまだお互い様子見してるかもしれないけど、いつか爆発するかもしれない。クロが悪気なく優しくしてるつもりでも、それが一番危ない」
クロは庭の石にちょこんと座り、しょんぼりと背中を丸めた。
「……私、そんなに罪作りな猫なんでしょうか」
「そうだねぇ~、イケメンってだけで罪深いから」
「イケメンって……麟さん、それ、褒めてます?」
「どうだろ?」
麟はふふっと笑った。
しばらく沈黙が続いた。セミの声と風鈴の音だけが響いている。やがて、麟がぽつりとつぶやく。
「……ねえ、クロ。もしさ、西町にもそういう猫がいたら、どうする?」
「う……」
「いや、いるでしょ絶対。もうフラグ立ちまくりだし」
「……私、逃げちゃだめですか?」
「ダメです」
麟はきっぱりと断言し、クロの隣に腰を下ろした。
「大事なことから逃げてたら、いつか後悔するよ? それに……私は見てみたいかも。クロがどんなふうに、みんなと向き合っていくのか」
「……そんなに見届けたいものですか?」
「うん、だって、クロって大事な仲間だもん」
その言葉にクロはしばらく黙り込んだ。そして、少し顔を赤らめながら、小さくつぶやいた。
「……ありがとうございます」
麟は肩をすくめて笑った。
「ま、でも、本音を言えば……」
「はい?」
「めんどくさいことにはならないで欲しいなぁ~、って思ってるよ、ほんとに」
「私もです……」
ふたりは同時にため息をついた。
その日、夕焼け空の下、ふたりは庭先でしばらくのんびりと時を過ごした。だが、麟の予感は的中することになる――。
西町の新たな“彼女”が姿を現すのは、そう遠くない日のことだった。




