世話人の心得
世話人として正式に迎え入れられた数日後、私は再び屋敷を訪れていた。
クロがゆっくりと話し始めた。
「さて、本日は世話人として知っておくべき注意事項と、おおまかな仕事の内容、それから世話人となった特典についてご説明しますね」
まずは、注意事項からだった。
「もっとも重要なことはただひとつです」
クロは姿勢を正し、神妙な顔つきで言った。
「世話人になったこと、猫の屋敷の存在、猫が喋れるという事実——これらはすべて秘密です。」
「……それだけ?」
私は思わず聞き返す。
「はい。以上です」
「いやいや、それだけって……もし、うっかり誰かに喋っちゃったらどうなるの?」
クロは少し考えるような間を置いてから、静かに答えた。
「その場合は……世話人としての資格を剥奪され、それまでの記憶を消されて、日常の生活に戻っていただくことになります」
「…………廃人になったり、死んだり、しないよね?」
「そんな物騒なことはありませんので、ご安心ください」
クロは笑いながら言葉を続けた。
「そもそも、秘密を口外できないように“暗示”のような仕組みが施されています。
ですので、自分から進んで話そうとしても、なぜか言葉にできないのです」
「なるほど……魔法みたいなものね」
私はどこかほっとしながら、うなずいた。
クロは笑いながら言葉を続けた。
「次に、仕事の内容ですが——」
私は姿勢を正して聞き入る。
「主な仕事は、月に一度、円卓にて行われる定例会議への出席です。
この会議では、町内や猫社会における問題事項が議題として取り上げられます」
「問題事項って……?」
「たとえば、猫同士の縄張り争い、人間との関係性、怪我や病気の対応、迷子の猫の捜索、
あるいは、近隣の野良猫とのトラブルなどですね」
「ふむふむ……」
「世話人には、そうした問題の解決に向けた提案や、トラブルの仲介・調整をお願いしたいのです。
場合によっては、猫の言葉を人間側に伝える“通訳”のような役割も担うことになるでしょう」
「けっこう大変そうだね……」
「でも、あなたなら大丈夫ですよ。
それに、ひとりで抱え込む必要はありません。私たちも、全力で支えますから」
クロはそう言って、優しく微笑んだ後少し声のトーンを変えて言った。
「さて、お待ちかねの特典についてですが……」
そう言って、そっとポーチの中から小さな物を取り出した。
「まずは、こちらをどうぞ」
差し出されたのは、銀色の猫のチャームがついたネックレスだった。
「かわいい〜……!」
私は思わず声を漏らして、手に取って眺めた。
よく見ると、猫の瞳の部分には青と赤の小さな宝石が埋め込まれている。
「これ……もらっていいの?」
「はい。それは世話人専用のネックレスです。
これを身につけていれば、猫の屋敷への出入りが自由になります」
「……鍵みたいなもの?」
「そのとおり。無くさないよう、気をつけてくださいね」
クロは続けた。
「それから、このネックレスには屋敷の外でも猫たちと意思疎通ができる機能が備わっています。
言葉にしなくても、心で通じるようになるでしょう」
「つまり……テレパシー的な?」
「近いですね。我々の能力の一部を、あなたにも少しだけ“付与”することになります」
「能力って……どんな?」
クロは前足を軽く振って笑うように答えた。
「たとえば——すばやく動けるようになったり、少し高く跳べるようになったり、ですね。
まあ、これは実際に日常の中で少しずつわかってくるはずです」
「へぇ〜、なんだかヒーローみたい」
クロは笑みを浮かべたまま、さらに続けた。
「そして、町の猫たちは皆、あなたの協力者です。
困りごとがあれば助けてくれるでしょう。探し物、情報、案内など、頼ってください」
「……いい子たちなんだね」
「最後に、これはおまけのようなものですが——
月に一度、小さな願いごとを一つだけ叶えることができます」
「ええええぇぇぇ!? 本当に!?」
私は思わず身を乗り出し、黒猫の前足をガシッと掴んだ。
「お、おおおお落ち着いてください……っ」
クロは目をぱちぱちさせながらも言葉を続ける。
「もちろん、大きな願い事や無茶なことは叶えられません。
たとえば、“亡くなった人を生き返らせたい”とか、“一夜にして大金持ちになりたい”とか……
そういう願いは対象外です」
「……ちょっと残念」
「ですが、ささやかな願い——たとえば“美味しいものを食べたい”とか“欲しかったもの(少額)を手に入れたい”とか、
そういったものなら、きっと叶いますよ」
「うーん……び、微妙……だけど、お願いを聞いてくれるだけでもうれしいよね」
私はネックレスを手のひらに包み込みながら、ぽつりと呟いた。
「なんだか、ようやく“世話人”って感じがしてきたかも」
クロは穏やかにうなずいた。
「ようこそ、猫の世界へ——」