小さな願い事
その日、屋敷では想像もつかない出来事が待っていた。廊下の奥、普段は使われていないはずの部屋の扉。その奥にあったのは、夢のような空間。子猫たちが笑いながらプレイしていたのは、麟が何度も抽選に応募して落選し続けていた最新のゲーム機だった。画面のきらめき、操作の軽快さ、息を呑むほどの映像表現。そして、何よりも――その場にあった、子猫たちの笑顔。
そのすべてが、麟の心に深く残った。
帰り道、彼女の肩にはいつも通りの通学鞄。しかしその中には、さっきまでの笑い声が残響のように反響していた。
「まさか、子猫たちが……」
ぽつりと呟く。
(いいなぁ……私も欲しいな、あのゲーム機)
もちろん、わかっている。簡単に手に入る代物じゃない。今どこの店にも並んでいないし、ネットでは高額転売ばかり。親にねだるような歳でもないし、アルバイトの収入ではとてもじゃないけど届かない。
──でも。
心に湧き上がる「羨ましい」という気持ちは、どうしても抑えきれなかった。
帰り道、夕暮れの道を歩きながら、麟は誰にともなくそう呟いていた。
最新のゲーム機。ずっと欲しかった。何度も抽選販売に応募しては落選し、ネット通販では高すぎて手が出ず。諦めかけていた“幻の一台”が、まさか屋敷の奥の一室に、あんな形で置かれているなんて。
子猫たちと交代しながら遊んだその時の楽しさ、胸の高鳴り。それが頭から離れず、麟の心は夜になっても静まらなかった。
「くやしい……ってほどじゃないけど……やっぱり、羨ましいなあ……」
それから数日後の夜。麟は自分の部屋のベッドに寝転がり、スマホでゲームニュースを眺めていた。最新のレビュー、新作タイトルの情報、そして当然ながら“あの”ゲーム機の入荷情報も逐一チェックしている。
「また落選かぁ……」
はぁ、とため息が漏れる。
その時だった。
窓の外、夜の空を見上げた彼女の視界に、ひときわ明るい月が映った。
ふと思い出す。
(そういえば……この町の“管理人”って……月に一度だけ、小さな願いごとを叶えてくれるんだっけ)
町の古くからの言い伝えのような話。けれど屋敷で過ごすうちに麟も、それがただの噂じゃないことを何度か実感していた。屋敷で交わされた子猫たちとの何気ない会話、クロの含み笑い、そしてリリーが時折口にする「お願い事、ちゃんと考えておきなさいよ」という言葉。
(……そんなこと、まさか、ね)
けれど、思ってしまったのだ。
──あのゲーム機が、私の部屋にもあったらいいのに。
口にしたわけではない。ただ、胸の奥で、そっと願っただけ。
それから数日後――。
学校から帰宅し、鞄を下ろそうとしたその時、麟の目にふと飛び込んできたものがあった。
「ん?……郵便?」
ポストには、淡い水色の封筒が一通。手に取って見ると、差出人の欄には――
「FlyingCat 抽選係」
その文字を見た瞬間、麟の心臓が一瞬止まりかけた。
「え……えっ!? まさかっ!」
その場でビリっと封を破る。中から丁寧に折り畳まれた厚紙の通知が一枚。
*当選のお知らせ*
拝啓
このたびは当店主催の「最新型ゲーム機プレゼント抽選」へご応募いただき、誠にありがとうございました。
厳正なる抽選の結果、貴殿が【当選】されましたことをお知らせいたします。
つきましては、同封の当選証をお持ちのうえ、店舗へお越しください。
景品は【HAA-2502・蒼龍限定モデル】となります。
今後ともFlyingCatをよろしくお願いいたします。
敬具
東町おもちゃ屋《FlyingCat》
店主・蒼龍 幸宗
「う、うそ……! 当たった……本当に、当たっちゃった……!」
その手紙を胸に抱きしめる麟。信じられない気持ちでその場にへたりこみそうになったが、慌てて立ち上がる。
(やばい、これ、早く行かないと!)
制服のまま上着だけ羽織り、麟は当選証と身分証を手に握りしめて家を飛び出した。
東町商店街の一角。アーケードを抜けた先に、ちょっと変わった外観のおもちゃ屋がある。
丸みのある屋根に、窓からは風船やぬいぐるみが飾られていて、どこかヨーロッパの古い玩具店を思わせるような風情。
看板には手書きでこう描かれていた。
《FlyingCat》
〜夢と遊びのひとときを、君に〜
扉を開けると、小さな鈴の音が「ちりん」と鳴った。
「いらっしゃいませ――おや、これはまた、はじめましてかな?」
カウンターの奥から、店主と思しき穏やかな表情の男性が顔を出した。整った顔立ちと長身、少し年齢を感じさせるがどこか柔らかな空気をまとっている。白いシャツの上から薄手の藍色のエプロンをかけており、その胸元には名札が。
「蒼龍 幸宗」
「こ、こんにちは……私、当選通知を受け取って、それで……」
麟が緊張しながら通知と証明書を差し出すと、蒼龍は穏やかに頷いた。
「おお、これはこれは。あなたが《麟》さんですね。うちの抽選企画へご応募くださってありがとうございます。運が良かったですね」
「は、はい……本当に、夢みたいで……」
麟がきょろきょろと店内を見回すと、店の片隅、レジカウンターの上にちょこんと座っている猫の姿に気づいた。
青みがかったグレーの毛並みに、凛とした顔立ち。瞳の色は澄んだ琥珀色。どこか誇り高く、それでいて人間を値踏みするような目つき。
「こちらは……?」
「ああ、彼はレオン。この店の、まぁ実質的な副店長のようなものですね」
「……にゃ」
レオンは一言だけ鳴いて、ぴくりと尻尾を動かした。だがその目線はどこか鋭く、麟を見据えている。
「ちょっと人見知りなんですよ。特に、最近は妙に警戒心が強くてね……まあ、理由はおそらく“クロ”さんでしょう」
「クロ……って、あのクロ?」
「そう。どうやらレオンの妹――モモというんですが――彼女がクロさんに夢中でしてね。お兄ちゃんとしては面白くないんでしょう」
「ああ……なんとなくわかる気がする……」
麟が苦笑いすると、レオンは顔をぷいと逸らして、棚の上にぴょんと跳ね上がった。
「さて、お待たせしました。こちらが、当選されたゲーム機です」
蒼龍が店の奥から慎重に抱えてきた箱は、漆黒のボディをベースに金色の文字がキラリと光るデザイン。HAA-2502――それも、蒼龍限定モデルと記されたロゴが入っている。
「新品、未開封。保証書と周辺機器もすべてそろっています。おうちでお楽しみください」
「ありがとうございますっ……!」
「それと――」
と、蒼龍は声を潜めて言った。
「今後、あなたが“世話人”としてどんな関わりを持っていくのか、私は見守っていきたいと思っています。子猫たちや、あの屋敷に関わる者は、少なからず“願い”を運ぶ力を持っていますからね」
「え……?」
一瞬、何のことだかわからず麟は首をかしげたが、蒼龍はそれ以上何も言わず、にこりと微笑むだけだった。
「では、またいつでも。レオンも、モモも、会いたがると思いますよ」
「……はい。ありがとうございました!」
帰り道。両腕にしっかりとゲーム機の入った箱を抱えた麟は、顔を真っ赤にしながらも、どこか誇らしげな笑顔を浮かべていた。
胸の奥に、ほんの少しだけ温かいものが灯っている。
(……小さな願いごとって、叶うんだな)
そう思いながら、麟は静かに歩みを進めていった。
彼女の“世話人”としての物語は、少しずつ確かに動き始めていた――。




