星夜とリリー
屋敷の一角にある円卓の間では、女子会がひと段落し、談笑の余韻が残っていた。
リリーはふわふわの白い毛並みを撫でつけながら、静かに紅茶の香りを楽しんでいた。隣では鈴音がしっとりとした目でクロの愚痴を語っている。その様子を、麟は微笑ましく聞きながら時おり頷いていた。
「クロ様ってば、ほんっとに意地悪なんですの。ちっとも連絡をくださらないし…この間も、こっちが必死に話しかけてるのに、塀の上からさっさと逃げようとしたんですのよ?」
「……うん、想像つくわね」
リリーがくすりと笑いながら返す。彼女は、どこか達観したように口元を緩めていた。
「でもまあ、あの子のそういうところ、昔から変わらないのよ。言葉では言わないけど、実は優しくて責任感もある子。ほら、今回のことだって」
「えっ、リリーさん、クロと昔からの知り合いなんですか?」
麟が驚いたように訊く。リリーは紅茶のカップを置き、懐かしそうに微笑んだ。
「ええ、北町の頃からの顔見知りよ。私からすれば、あの子は弟みたいなものなの。何かと口うるさく言ってしまうけど、それでもどこか放っておけないのよね」
「へぇ……クロにお姉さん的な存在がいたなんて。あいつ、絶対頭が上がらないわけだ」
「ふふ。まあ、あの子の秘密はまだまだあるわよ」
その頃──
屋敷の寝室では、クロが星夜を寝かしつけようとしていた。しかし布団の中の星夜は、目をぱちぱちと開いたまま、まったく寝る気配がない。
「なあ、クロおにーちゃん……リリーねーちゃん、今どこにいるの?」
「……さっきまで円卓の間にいたけど、もうそろそろ寝る時間だぞ、星夜」
「でも、ぼく……まだリリーおねーちゃんとお話したいな」
クロはため息をついた。正直、自分も気になっていた。あの二人と麟が話している光景を想像するだけで、何とも落ち着かないのだ。
「……寝れないなら、ちょっとだけだぞ」
「やった!」
星夜は勢いよく布団から飛び出した。そしてクロが止める間もなく、ちょこちょこと円卓の間へ走り去ってしまう。
──そして。
円卓の間では、ちょうど鈴音がリリーに自作の恋愛詩を披露している最中だった。
「……この想い、風の便りに乗せてクロ様へ届け──あら?」
勢いよく扉が開き、息を切らせた星夜が駆け込んできた。
「リリーおねーちゃん……!」
「まあ、星夜? どうしたの、こんな時間に」
リリーはすっと立ち上がり、駆け寄ってきた星夜の頭を撫でた。
「えへへ……なんかね、ちょっとだけ……リリーおねーちゃんと一緒にいたくなっちゃった」
「まったく、甘えん坊なんだから。でも、嬉しいわ」
鈴音もにっこり笑いながら、目を細める。
「男の子って、こういう時とっても素直になりますのね。可愛らしいですわ」
その様子を見ていた麟が、少し照れくさそうに笑った。
「まったく……あたしのことは放っておいて、すっかりリリー派なのね」
「えーと、りんねーちゃんも、もちろんだいすきだよっ!」
星夜の言葉に、部屋の中に一斉に笑いが咲いた。
その笑い声を、廊下の奥で立ち止まったクロはひとり聞いていた。そして小さく肩をすくめ、ため息をついてから静かに踵を返した。
「……やれやれ、女難の相ってのは、どうやら本当らしいな」
彼の呟きは、夜の静けさに溶けていく
にぎやかだった歓迎会もついにお開きとなり、屋敷の中に穏やかな静けさが戻っていた。
「じゃあ、あたしはそろそろ帰るね。今日は楽しかった、リリーさん、鈴音さん、ゆっくりしていってね」
麟はクロに耳打ちする
「……大変だったわね、今日は」
「はい……明日からまた平穏無事を祈ります……」
麟は笑いをこらえきれず、くすっと笑った。
「でも、悪くなかったわよ。あなたもたまにはモテるのも悪くないでしょ?」
「勘弁してください……本当に……」
玄関でクロと猫たちに見送られながら、麟は手を振って帰っていった。
「……ふぅ、今日も色々あったな」
クロがぽつりと呟く。玄関が静かに閉まると、リリーが軽やかに振り返った。
「それじゃ、鈴音。そろそろ寝室へ案内してもらいましょうか」
「ええ、お願い致しますわ、クロ様」
「お、おう……こっちだ」
クロは内心で深く息をつきながら、リリーと星夜、鈴音を屋敷の東側にある客間へと案内した。リリーと星夜は慣れた足取りでついてくるが、鈴音は屋敷内をキョロキョロと興味深そうに見渡していた。
「うふふ、この屋敷ってなんだか落ち着きますのね。クロ様のおかげかしら?」
「べ、別にオレのせいじゃねぇよ……住み慣れてるだけだ」
廊下を抜け、和室風に整えられた寝室の前で立ち止まる。
「ここが今夜の部屋だ。寝具はもう敷いてある、足りない物があれば言ってくれ」
「クロおにーちゃん、おやすみなさい」
星夜が眠そうな顔で先に部屋に入っていく
「ありがとう、クロ」
リリーが優しく礼を言うと、鈴音も続けてにっこりと微笑んだ。
「お世話になりますわ、クロ様。今日は本当に楽しかったですの」
「そ、そうか。……じゃあ、おやすみ」
クロは二匹の視線から逃げるようにすぐ背を向けた。
寝室の襖が静かに閉じられたのを確認してから、クロはため息をつきつつ廊下の端に腰を下ろした。屋敷の外は夜風がそよぎ、虫の音が控えめに響いている。
「はあ……今日も色々あったな……」
星夜の世話、リリーと鈴音の乱入、そして歓迎会。
何より、あの女子会の雰囲気の中に自分が居なくて本当に良かったと、心の底から思った。
「……でも、あいつらが笑ってるとこ見るのは、嫌いじゃないんだよな」
クロはそっと目を閉じた。まぶたの裏には、星夜の笑顔や、リリーと鈴音が語り合っていた柔らかな時間が浮かぶ。
「さ、明日も早い。寝るか」
夜の屋敷は、ようやく完全な静寂に包まれた。




