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猫の円卓会議  作者: waka
猫の円卓会議
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呼ばれた夜 世話人誕生

 近所を徘徊している黒い猫がいた。

 たまに餌をあげたり、すれ違えば向こうから寄ってきて軽く挨拶するように擦り寄ってくる。

 私にだけ、妙になついていた。


 そんなある日の夜、部屋のカーテン越しにふと窓の外に目をやると——

 そこに、いつもの黒猫がちょこんと座っていた。


 月明かりの中で、つややかな毛並みがぼんやりと光っている。

 目が合うと、黒猫は軽く前足をあげて、コツンとガラスを叩いた。

 まるで、「出てこい」と言っているようだった。


 私は戸惑いながらも玄関を飛び出し、黒猫の元へと駆け寄った。


 すると黒猫はくるりと振り返り、何かを促すように一歩踏み出した。

「ついてこい」と言わんばかりに、すたすたと歩き出す。


 私は迷った末に、そのあとを追いかけた。

 夜の町を抜け、人気のない路地へと進んでいく。やがて、見たことのない屋敷が視界に現れた。


 ——こんな場所に、屋敷なんてあった?


 記憶にないはずの建物。なのに、不思議と懐かしいような、温かい空気を感じた。

 黒猫は迷う様子もなく門をくぐり、扉の隙間から中へ入っていった。


 私は、躊躇いながらもその後を追った。


 屋敷の中は静まり返っていた。

 廊下の木の床は艶があり、しっかりと手入れされている。

 壁には猫の絵が数多く飾られ、どこを見ても猫、猫、猫。


 長い廊下を抜けた先——

 黒猫がぴたりと足を止め、大きな両開きの扉の前に立った。


 振り返ったそのとき、不思議な感覚が胸をかすめた。


「……準備は、よろしいですか?」


 ——声が聞こえたような気がした。

 誰も喋っていないはずなのに、頭の中に、ふと響いた。

 でも怖くはなかった。不思議と、安心するような感覚。


 私は黙って頷いた。


 黒猫は前足を伸ばし、重厚な扉にそっと触れる。

 **ギィィ……**と静かに開いたその先に、広大な部屋が広がっていた。


 中央には、巨大な円卓。

 そのまわりに、町内中の猫たちがずらりと座っていた。


 ふわふわの猫、鋭い目の猫、耳が欠けた老猫……

 みんなが、こちらをじっと見ている。


 そのとき、ひときわ黒い毛並みの猫がゆっくりと立ち上がり、口を開いた。


「ようこそ、猫の円卓会議へ」


 その言葉は、はっきりと、大きな声で耳に届いた。

 空気を震わせるような、堂々とした声だった。

「……え? いま……しゃ、喋った?」


 声が空気を震わせ、まだ耳に残っていた。

 猫が言葉を発した。それも、誰の声でもない——確かにこの黒猫の声だった。


 頭の中で警鐘が鳴る。常識が軋んでいる。

 でも目の前の猫たちは、そんなことは当然のように私を見つめていた。

 誰も慌てない。驚いているのは、私ひとりだった。


 黒猫はゆっくりと歩み寄り、円卓の中央まで進むと、静かに腰を下ろして言った。


「驚かせてしまって、ごめんなさい」


 その声は今度も、はっきりと耳に届いた。


「……私たちは、もともとこうして言葉を交わしていたのです。

 ただ、それが届く相手は限られていて——“世話人”と呼ばれる存在を通して、人と関わってきました」


 私は目を見開いたまま、黒猫の言葉を聞いていた。


「あなたの祖母様も、その“世話人”の一人でした。……いえ、つい最近まで、ここにいた先代の世話人だったのです」


「……おばあちゃんが……?」


 ぽつりと、言葉が漏れる。

 一瞬、屋敷の空気がわずかに揺れた気がした。

 円卓を囲む猫たちが、一斉に視線を伏せ、しんと静まり返る。


 黒猫はうなずいた。


「とても立派な方でした。優しく、厳しく、そして私たちの声に耳を傾け、いつも温かいまなざしで見守ってくれました」


 私は目を伏せる。

 確かに祖母は不思議な人だった。


 なんでも知っていたし、誰よりも“動物の気持ちがわかる”と町でも噂されていた。

 けれど私は、それをただの“経験”のひとつとして受け取っていた。

 こんな……裏があるなんて、想像すらしていなかった。


「今日は、あなたにお伝えしたいことがあって、お呼びしました」


 黒猫の瞳が、少しだけ揺れる。


「先代の世話人が亡くなった今、この町の猫たちは大きな不安の中にいます。

 人間と猫をつなぐ役目は、決してひとりよがりでは務まらない。

 けれど、あなたなら——先代が、あなたを推薦してくださいました」


「……推薦?」


「私たちは、あなたを新しい世話人として迎えたいと思っています。

 ……けれど、急な話ですから、今すぐの返事は求めません。今日はそのご挨拶に来ていただいただけです」


 私は、ただその言葉を黙って受け止めた。


「……あなたに、この円卓に座ってほしい。

 もちろん、すぐに決める必要はありません。考える時間を、どうぞ持ってください」


 黒猫は、静かに頭を下げた。


 円卓の猫たちも、一斉に姿勢を正した。

 この場がどれほど真剣な場なのかが、嫌でも伝わってくる。


 私は深く息を吸って、答えた。


「……少し、考えさせてください」


「承知しました」


 黒猫は微笑みのような表情を浮かべた。


「それでは本日は、このへんで。……あ、そうだ」


 思い出したように立ち上がると、くるりと身を翻して奥へと駆けて行った。

 廊下に消えたあと、しばらくして何かを口にくわえて戻ってくる。


 それは、一通の封筒だった。


「先代から、あなたに渡すよう預かっていた手紙です。お帰りになったあとで、ゆっくり読んでください」


 私はその封筒を受け取った。

 懐かしい、祖母の筆跡だった。


「また、改めてお迎えにあがりますね」


 そう言った黒猫に見送られ、私は屋敷をあとにした。


 手紙を手にしたその夜、私はもう一度だけ、祖母の声を聞いたような気がした。


 部屋に戻り、私は封筒をじっと見つめていた。

 心がざわついて、落ち着かなかった。


「夢じゃ……ないよね?」


 そう呟き、ゆっくりと封を切る。


 この手紙を受け取ったということは、あなたもあの円卓に招かれたのね。

 ごめんなさいね、猫たちとの取り決めで、あなたには何も話すことができなかったの。


 私たちの家系は、代々“猫の世話人”として、人間と猫の架け橋を担ってきました。


 候補者は何人か選ばれますが、正式に世話人となった者以外は記憶を消され、元の生活に戻ります。

 あなたがこの手紙を読んでいるということは——選ばれたということ。


 あなたの優しさ、思いやり、そして猫たちに囲まれて育ったその環境。

 すべてが世話人にふさわしい証でした。


 私は、あなたならできると信じています。

 不安もあるでしょう。でも、きっと大丈夫。


 どうか、猫たちの声に耳を傾けて。

 そして、これからの人生が優しさと愛で満ちますように——


 読み終えたとき、私は涙が止まらなかった。


 思い出す。

 祖母は、どんなときも私に優しかった。

 迷子になったあの日、公園で転んだあの日、熱を出した夜……

 いつも、不思議とどこからか現れて、そばにいてくれた。

 そして、そのすぐそばには、いつも猫の姿があったことも。

 それが偶然ではなかったのだと、今さらながらに気づかされる。


「世話人……ね」


 小さく呟いたとき、心のどこかが、ふっと決意に触れた気がした。


 次の日の朝。

 普段どおりの朝食、学校、友達との他愛ない会話。

 だけど、見えるものすべてが少しだけ違って見えた。


 登校中、すれ違う猫たちが、どこかソワソワしている。

 まるで“何かを期待している”ような目で、こちらを見ている気がした。


 夜——


 また、コンコンと窓が叩かれる音がした。


 黒猫だった。


「お迎えにあがりました」

 小さく、けれどはっきりと、そう言った。


 私は頷き、そっと部屋を抜け出す。

 夜風の中、黒猫の後ろを静かに歩く。

 道順は昨夜と同じなのに、心持ちはまったく違っていた。


 そして、再び、あの不思議な屋敷にたどり着く。


 黒猫は、何も言わずに扉を開き、私を中へと案内する。


 円卓の間——


 そこには、昨夜と同じ、いや、それ以上の数の猫たちが円卓をぐるりと囲み、きちんと座っていた。


 私の姿を見つけると、どの猫もゆっくりと目を細め、静かにうなずくように迎えてくれた。


 まるで、待っていたよと、言っているかのように。


 円卓の間に入ると、昨夜と同じように、猫たちがぐるりと席に着いていた。

 みな静かに、整然と、こちらに視線を向けている。

 けれどその中で——


 ぽつんと、ひとつだけ空いている席があった。


 円卓のちょうど一角。

 まるで最初から“その席”だけが、誰かのために残されていたかのように。


 私は思わず足を止めた。


 猫たちの誰も何も言わない。

 ただ、ゆっくりと首をかしげたり、まばたきをしたり、じっとこちらを見つめている。


 やがて黒猫が前へ出て、私のほうを振り返った。


「その席は、先代の世話人——あなたのお婆様がかつて座っていた席です。

 今夜からは……あなたの席として、ここに用意されています。」


 胸がぎゅっと熱くなった。


 受け継がれるもの。

 受け止めるべきもの。

 失われた存在と、今を生きる自分とが、静かに交差する瞬間だった。


 私は一歩、また一歩と歩みを進め、空いた席の前に立った。

 深く息を吸って、そっと腰を下ろす。


 猫たちが、ゆるやかにうなずく。

 円卓が、音もなく、完成された。


 その瞬間——

 どこからともなく、ふわりと懐かしい匂いが鼻をくすぐった。

 祖母がいつも着ていた、あの優しい香り。


 私は目を閉じた。


 ——きっと、ここにいる。


 そう確信できる静けさが、円卓を包んでいた。


 猫たちの視線が一斉に集まる。緊張で手が震えそうだった。


 黒猫が前に進み出て、静かに言った。


「改めてお尋ねします。あなたに、世話人になっていただきたいのです。いかがでしょうか?」


 私は猫たちの期待、不安、緊張を全身で感じながら、言葉を選んだ。


「正直まだ、何も分かっていません。

 何をすればいいのかも、どこまでできるのかも分からない。

 でも……祖母の手紙を読んで、そしてあなたたちの思いを感じて、私は——答えたいと思ったんです」


 猫たちの瞳が潤み、部屋の空気がぴんと張りつめる。


「だから……よければ、私に世話人を継がせてください」


 ——沈黙。


 そして次の瞬間、

「わぁああああ!!」

「ばんざーい!!」

「やったぁ!!」

 歓声が広間を揺らした。


 跳ねる猫、踊る猫、泣きじゃくる猫までいた。


 黒猫は静かに、目を細めて言った。


「本当に……よろしいのですね?」


「はい。私が“世話人”として、お世話になります。……ちょっと変だけどね」


 私は少し笑いながら言った。

 黒猫もまた、にっこりと笑ったように見えた。


「こちらこそ、私はクロ、今後ともよろしくお願いいたします」


 ——こうして、猫たちに新たな世話人が誕生した夜。

 その円卓は、祝福と歓喜に満ちていた。



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