海亀だけが写っていた
撮影機材を抱え獣道のように荒れた踏み跡を抜けると、左右合わせて1キロほど伸びる白砂の浜が現れた。手前にはハマボウフウやハマヒルガオが地表を覆い、波打ち際には海藻や貝殻が、中間には流木がゴロゴロ転がる。漂着ゴミも目立つがそれは人が入っていない証拠でもある。月と星の光を反射する夜の海は凪である。今日はウミガメの観察にやって来たのだ。
こういう海水浴場ではない砂浜に来るのは物好きな釣り人か魚介類や昆虫などのいる自然の海を求める一部の生き物屋か、人目を忍ぶカップル。あと違法漁業に手を出すようなその手の輩か。来るには少し離れた空き地に車を止めて10分は植物生い茂る空間を歩かないといけない。車道だけでなく住宅地も遠く、夜は風に揺れる草木と波の満ち引きだけが音を出す。初めて来たが良い場所だ。
目を凝らして辺りを見回す。ウミガメらしき影はない。
さて本当にウミガメはこの砂浜に産卵しに来るだろうか?
自分は研究者ではなく単なる生き物好きに過ぎない。人生で一度は生でウミガメの産卵を見てみたい、どうせならツアーなどではなく自力で産卵ポイントを見つけてみたい。ウミガメ研究者とコネはないし正確な情報もない。ひたすら航空写真で海岸を吟味したり文献を読みネットやSNS上の投稿を漁り、ウミガメがどのような砂浜を好むのかみっちり頭に入れてきた。この場所はその末に発見した。どうやら過去にウミガメ産卵の記録はあるが50年以上報告がないらしい。うってつけだ。
カメラの調整を済ませたらあとは待つだけ。満月に薄雲がかかり輪郭がぼやける。産卵と月齢は関係ない。今はまだ21時。明日も朝から仕事。でもせっかく来たんだから3時ごろまで粘ろう。仕事のストレスと趣味で発生するストレスは質も量もまるで違う。それにウミガメを見られたらすべて帳消しだ。樹皮の剥げた丸太をベンチ代わりに腰掛け海を眺めるのに集中しよう。
――穏やかな波音を聞き、軽い風音が耳に入り、時折大きな魚が跳ね鱗に月光を浴びて海へ戻っていく。自然の音は聞こえていても不思議と静かに感じる。人間が野生で暮らしていたころから本能に刻まれた音だから不快に感じないのかもしれない。ヒーリングミュージックが大体自然の音なのもそういう理由だろう。
そんなことを考えつつ、左を見て異常なし。右を見て異常なし。正面を見ても何もない。これを繰り返して2時間経った。さすがに眠気と共に飽きがやってくる。
ウミガメを見にはるばる県外から来たけど、ウミガメがこの世で最も好きなものではない。何も起きないならば、この際ウミガメじゃなくていいから珍しい生き物か、なにか面白いことが起きて欲しい。願ってもそうそう叶うものではないけど……
波音が強くなってきた。風音が渦を巻きながら海から吹き付けてくる。そのたび顔に砂粒が当たりうっかり寝ていたところを起こされた。1時過ぎ。雲のない満月が水平線に近づいている。
相変わらず海に異常はない。立ち上がると膝が軋んだ。お尻が痛い。
予定通りもう少し粘るか。それとも諦めて帰るか。
仮にこの砂浜にウミガメが来るとしても今日じゃないかもしれない。産卵予測はたとえ専門家ですら正確に当てるのは難しいという。素人の自分ならなおのこと。
……よし。引き上げよう。
ただ、最後に砂浜を歩いて足跡などのウミガメの痕跡がないか確認しておこう。もしかしたら寝ている間に上陸している可能性もある。
用意した懐中電灯を使い砂の上を照らしていくとスナガニがササササッと高速で横に走っていく。草の根元では小さなクワガタみたいな牙をしたヒョウタンゴミムシが歩き回り、大型のクモもカニに負けない速さで昆虫を捕まえる。やはりここの自然度はなかなかの水準を保っている。
初めから歩いていれば退屈しなかったと振り返りながら、たくさんの小動物を観察できることで気が紛れていく。
カニの写真を撮ろうと集中して砂浜にしゃがみ込み、慎重に近づいているとき、突然ポンッという人工的な音が聞こえて身が竦んだ。カニは巣穴に逃げてしまった。
なんだ、何の音だ。
顔を上げると、砂浜の遠く端の方にゆらめく影が見えた。明るい月に照らされた白砂の上で音を出す存在。よく見えないが人、のような形をしている。
改めて時計を見る。2時前。こんな時間にこんな場所で何やってるんだ?
いや他人に見られて困るのは自分も同じだ。人影はこちらに向かってきている。開けた砂浜にいたら確実にバレる。もう手遅れかもしれないが、私は陸側の灌木同士の間に身を隠し頭だけを出して観察した。
子どもの徒歩と同じくらいの速度で近づいて来る。一つに見えていた人影は重なっていただけで列になっていた。詳細と全貌が見えるまでかなり待った。
数えてみると49人もいた。烏帽子に白装束、花魁姿や十二単のような派手な着物、時代はずれているが全員が何かしらの和装をしている。年寄りから幼稚園児くらいの子供まで年齢も性別も様々。先頭の人物は肩に鼓のような楽器を乗せ何かをぼそぼそ口ずさみながら叩いていた。他の人も尺八や笙や太鼓を持ち、聞いたことのない厳かな雰囲気の曲を当たり前のように奏でていた。
列の中央辺りに一人だけ身なりの異なる人物がいた。仙人のような長い髭と古い麻衣の痩せた老人で、屋根壁のない簡素な神輿のような木組みの上に座っていたのだが、楕円形の石を背負い手には何も持たず、楽器の代わりとでも言うように声高らかに笑っていた。その老人が私の前を通過したとき、目元に涙を湛えているように見えた。その人だけが列の中でもかなり異質で、何故か私は見てはいけない未来を見てしまったような、禁忌を犯してしまった気がして重い悲愴感を感じた。
行列は速度を変えないまま私の目の前を通り過ぎた。こちらに向かれたらどうしようかと思っていたので、呼吸が無意識に止まっていた。
彼らはどこまで行くのだろう。
すると、演奏が止まって最後尾が私の前で停止した。やばい、ばれたか。
……しかし行列は私とは関係なく、新たに向きを変えて動き出した。砂浜を横断するのではなく、今度は海に向かって歩き出したのだ。
先頭が荒波の立つ海に入った。暴風が砂浜を削っていく。
それに続いて着物姿の老若男女は次々と足を濡らしていく。
49人目が腰の辺りまで入る頃には、沖に向かっていた先頭はかろうじて頭が水面から出る程度まで海に漬かっていた。そこから先頭の深さを基準にして行列はぐるりと回り出して輪を作った。子どもは浮いているのか顔だけは水面から出ていた。
全員で入水自殺でもする気かと、思わず身を乗り出したとき、木組みに座る老人が勢いよく立ち上がったかと思うと石を背負ったまま輪の中の海に飛び込んだ。
鈍い水しぶきを上げて沈んだ老人はいつまでも浮かんでこない。当然だ。小学生くらいあるサイズの重りを持っていたんだから。
私は恐ろしくなり、一刻も早くその場から逃げたかったが動けなかった。もし見つかったら私も同じ目に合うのではないかと思った。
水に漬かった行列はしばらく輪のままで老人が沈んだ辺りを見つめていた。そうして気が済んだのか、老人が二度と浮かんでこないことを確認したからなのか、彼らはまた先頭から沖に向かって歩き出し、1分ほどで全員が海中に消えていった。最後の人が沈んだ瞬間、荒波と暴風はぴたりと鎮まり、海は何事もなかったように元の落ち着きを取り戻した。
砂まみれになった全身を手で払い、私はようやく立ち上がった。
波打ち際から海中を覗いてみたが和装の人々も老人も見つからなかった。
翌日の仕事は大遅刻して上司にしこたま怒られた。
実は目の前を通ったときや老人が海に飛び込む直前に勇気を出して行列の写真をいくつか撮っていた。
帰宅後にデータを確認してみたのだが、天候と手ブレでまともに写っていたのは一枚だけだった。
写真には荒れ狂う海面に浮かぶ木組みの上で石を背負って立ち上がる老人だけが写されていた。