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2025.1.16 新聞販売所

作者: 登上 幹千

夢日記「見た夢の記録とその考察」

 今日からまたここで働く。学生時代に新聞奨学生をしていた新聞販売所。案内の女性のあとに続いて、寮に入っていくと、入口に、あの頃より年老いた所長の姿と、何台も並んだ自転車と、大量の靴があった。所長はすれ違いざまにチラリとこちらを見ただけだった。

 これからこの寮で寝泊まりする。途中、いくつかの部屋を覗いては挨拶させられた。

「こんにちは」

 私は努めて明るい声で笑顔を作った。最初の印象は大事だ。元気に挨拶を返す人、ペコリと頭だけ下げる人、反応はそれぞれだが、そういうものだろう。

「この部屋だから」

 案内された部屋は五人以上いる大部屋だった。荷物を置く棚が、壁に二段設けられている。しかし上の段は他の人の荷物でいっぱいで、下の段は特大サイズのフィギアが棚の全てを支配していた。私の知らないアニメのフィギアだが、それは見事なコレクションだ。おかげで私の荷物の置き場所がない。しかたなく、部屋の隅の床に置くことにした。

「驚いた? 私のなの。家を出るときに置いていくわけにもいかなくてね」

 メガネをかけた一人の女性が悪びれることもなく言う。これだけの私物を共同部屋に置くには、ある程度の図々しさがなければできないだろう。でも、ここにはこれが許される空気がある、ということがわかって少し安心した。

 床に置いた私の荷物に茶色の猫がスリスリしている。いつの間に部屋に入ったのだろう。私はその猫に見覚えがあった。

「かりん! 会いたかった」

 学生時代もいた猫だった。私は猫のかりんを両手で撫で、顔を近づけて頬ずりした。ふわふわした毛に幸せを感じる。この子と一緒なら頑張れそうだ。

 明日から新聞配達だ。学生時代以来だけど、初めての仕事じゃないということが、妙に心を落ち着かせていた。しかし、任されるのは同じ配達区域ではないだろう。最初に家や道順を覚えるのに苦労したことを思い出して、一抹の不安がよぎる。

「でも大丈夫、土地勘はある……なんとかなる」


 そう呟いて……


 目が覚めた。

 枕元で我が家の猫のかりんがちょこんと座って毛づくろいしていた。

「おはよう、かりん」

 きっと私を起こすためにわざわざ夢に登場してきたに違いない。猫にはそういう不思議なところがある。変な夢を見た。

 懐かしいようなそうじゃないような……夢と現実ではだいぶ違う。私が学生時代に新聞奨学生をしていた販売所の寮は個人部屋だったし、ましてや現在の飼い猫のかりんがいるはずもない。あれは夢の中でだけ成立していた設定だ。

 私が親元から離れて初めて自立した場所、スタート地点、それが新聞販売所だ。家が貧乏だった私が大学に行く手段として選んだのが新聞奨学生だった。新聞配達と集金をする代わりに学費と住む場所が提供される。お給料も少しだけど出た。田舎から東京へ初めて出てきた私にはとてもありがたかった。

 でも、もう二度と戻りたくない。毎日、深夜三時に起きて、自転車の前にも後ろにも山のように新聞を積んで、何度も往復しながら八百部以上の新聞を配った。当時は夕刊もあったし、月末には集金もした。月に何度か勧誘で家々を回らなければならない日もあった。

 ある日、汚いものでも見るような目で冷たくあしらわれ、ドアをバンっと閉められた時、

「ああ、私はきっと社会の底辺にいるんだな……」

 そう思った。

 思えばあれが原点だった。そこから私は這い上がってきたのだ。

 這い上がって這い上がって……そして、落ちたからってなんだと言うのだ。

 昨年末で仕事を辞めて無職になった。これから私はどうなるのだろう。不安はある。

 夢の中に出てきた大量のフィギアを思い出す。好きな事と仕事、両立できるだろうか。

「大丈夫……なんだってできるさ。もう新聞配達はごめんだけど……」

 カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。

ご一読ありごうとうございます。

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