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第87話

(註)今回は2話更新します。これは1話目です。

   今回の内容に、不快に感じる方が多いかもしれない種類の暴力描写があります。

   心配な場合は、1話飛ばして第88話にお進みください。

   ストーリーとしては、読み飛ばしても繋がると思います。

 「痛っ?」

 恐怖と混乱の中、藤木は何もない教室の板張りの床に引きずり倒される。

 教室内は暗かったが、廊下の明かりがあるため相手がわからないほどではなかった。その顔に、眼鏡のレンズがきらりと光を反射した。

 倒れた藤木に、さらに馬乗りになっていたのは、崎田だった。

「……やっとだ。やっと二人きりになれた」

崎田は両膝でそれぞれ藤木の両腕を押さえ込み、藤木の胸あたりの上に尻を載せて体重をかけている。

 決して大柄とは言えない崎田だが、それでも藤木にとっては到底ひっくり返せない体格差があった。

 崎田は薄く笑いながら、カッターナイフの刃を藤木の見えやすいところにかざしていた。

「崎田さん? な、なんでこんな」

震える声を絞り出し、藤木が問いかける。

 藤木にはまだ、これももしかしたら撮影の一部だったりするのか? 見えないどこかでカメラが回っているのだろうか? との思いがわずかにあった。

「なんで? だってちゃんと言っておいただろう? きみの不実を正しに行く、と」

「えっ……? じゃ、じゃあ、崎田さんがストーカーだったんですか?」


 途端に藤木の頬がパンと鳴った。

 痛さと熱さが同時に藤木を襲う。

「いっ!」

崎田がカッターナイフを持っていないほうの手で、藤木の頬を叩いたのだ。

「す、ストーカー? このぼくが? 何を言っているんだきみは。違うだろう、ぼくはきみの大切な恋人だろう!」

カッターナイフとともに顔を寄せ、食いしばった歯のあいだから染み出すような声で崎田が告げる。暗くてはっきりと表情までは見て取れないが、その声音の異常さは、藤木の知っているはずの崎田のものとはまったく別の人物のようだった。


 それでもいきり立って大声を上げることなく低く抑え続けているのは、やはり周囲を警戒する理性が残っているということなのか。

「まだわかっていないのかい? やっぱりきみにはお仕置きが必要なんだ。ああ、そうだとも」

崎田は声に怒りをにじませていたかと思うと、今度は一転して楽しげに笑い出す。

「くくくっ。ぼくの行動は正しいと証明されたよ。きみにはちゃんとわからせないとね。そうだ、お仕置きがなくちゃ、きみにはぼくの言葉が理解さえできてないってことだ」

狂気を感じて、思わず恐怖から逃れようとする本能的な動きにより、藤木は懸命にもがいて脱出を試みる。


 すかさず、またも崎田に今度は逆の頬を張られた。

 容赦のないビンタの痛みとショックで動きが止まる。

「おとなしくしろって言っただろう?」

涙がにじんだ藤木の目の前に、カッターナイフの刃が突きつけられた。

「や、やめ……やめて、ください」

ふるふると小さく首を振り、消えそうな声で辛うじて懇願する藤木に、崎田は嬉しそうな笑みを向ける。

「きみがぼくの言うことを聞きさえすれば、なにもこんなものを使う必要なかったんだよ。聞き分けのない子には、やっぱり痛みが必要だと思ってね。くっくっく」

崎田には話が通じない。藤木は絶望に気が遠くなりかけるのを、必死で踏みとどまった。


 「こんな……撮影スタッフもすぐ近くにいるのに……大声を出しますよ?」

懸命に勇気を振り絞って話す藤木だが、崎田は「処置無し」とばかりに肩をすくめる。

「そりゃあ、人を呼ばれたらぼくだって困る。せっかくの恋人同士の熱い時間を邪魔されちゃかなわない。……でもね、誰かがここまで来るのって、きみが声を上げてからどれだけあとのこと?」

「……?」


 見上げる藤木に、やっぱりこの子はわかっていないといった、いかにも呆れたふうで崎田は続けた。

「どんなに早く人が来たとしても、それはいまから30秒後? それとももっと、一分くらいはかかることになるかな? ねえ、ほんの10秒あれば、このカッターナイフできみにどれだけのことができると思う?」

崎田の言葉の意味がイメージできたとき、今度こそ、本物の絶望に藤木の背筋が震えた。

「大声を出したかったら出せばいい。でもそのときは、きみはぼくの破滅の道連れだよ。……ねぇ、わかっただろう? ぼくたちの絆は決してほどけないようにできているのさ。くくくっ」

「あ……うっ……」

藤木の目尻からどっと涙があふれ出す。

「さあ、これからぼくとの絆を、きみの身体にしっかりと刻みつけよう。きみにもわかるように、ちゃんとね。きみはぼくのもので、ぼくはきみのもの。二人の永遠の愛のために……」


 「いや……ぁ」

(だれか……たすけて……)

願っても無駄なことと知りながら、それでも藤木は願わずにいられない。しかし藤木の表情は崎田にさらなる愉悦を与えたのみだった。

「ああー! そうだ、その顔。美由紀ちゃんのその絶望に歪んだ顔、なんて素晴らしいんだろう。最高に素敵だ。そんな顔をぼくだけに見せてくれるなんて、ほんとうにきみは……」

崎田が藤木の制服に手をかけようとした、まさにそのとき。


 ガタタッ。

 ドアレールのきしみ音とともに、教室の扉が開かれた。

「だ、誰だ?」

藤木に馬乗りになったまま、思わず入り口のほうを振り向いた崎田を、カメラのフラッシュが照らした。

 一瞬の光に目が眩んだ崎田だが、写真を撮られたことに気づくとすぐさま立ち上がり、カッターナイフを振りかざしながら相手に突進した。

 逆光でわかりにくかったが、少なくとも入ってきたのが一人だけであることには確信が持てたため、崎田はとにかく全力で侵入者に切りつけようとしたのだった。


 しかし、相手が悪かった。

 自分よりはるかに小柄な体格でありながら、侵入者はまず落ち着いた様子で崎田の右手首を掴むと、そのままとんでもない握力で締め上げた。

「ぎゃっ?」

その力のあまりの強さに、崎田は一瞬たりとも抵抗できず、右手からカッターナイフを取り落とす。

 落ちたナイフはすぐに侵入者がつま先で弾き、跳ね上げられて天井に突き立ってしまった。

「んなぁっ?」

武器を奪われて焦る崎田が呆気にとられている隙に、侵入者はすっと崎田の背後に回ると、膝裏を蹴ってきた。

 そのため崎田はがくりと膝立ちの姿勢を強いられる。重心が下がると同時に右手を背後でねじり上げられ、手首と肩関節を極められて、動けなくなった。

「かはっ! が……おま……なに」

振り返って相手を確かめようとした崎田に、侵入者は極めた関節へ軽く力を込めて牽制してくる。

「ぎっ!」

「……しゃべるな。動くな。……折るよ?」

背後で聞こえた声はぞっとするほど冷酷な響きがして、崎田は痛みと怖れで思わず口を噤んだ。


 崎田が静かになったことを確認すると、侵入者は藤木のほうへ声をかけた。

「藤木さん、怪我は? 一人で立てますか?」

先程の冷たい声とはまったく違う、優しい声音であった。

 藤木の身体が一瞬びくっと震えたが、ようやくいま起きていることを呑み込めたのだろう。ゆっくりと身体を起こし、二人のほうへ涙に塗れた顔を向けた。

 震える唇から小さく声が落ちる。

「た……助けに来てくれた、の?」

「はい」

侵入者が頷く。


 「ごめんなさい、駆けつけるのが遅れてしまって」

その言葉に、藤木は上半身を起こしたまま両手で顔を覆い隠した。

 しばらく身を震わせ、安堵に泣き伏すのかと思いきや……その先の行動は、崎田も侵入者にもまったく予想できないものだった。

 ぐい、と涙を手のひらで拭うと、藤木はすっくと立ち上がった。唇を噛みしめ、きっと崎田のほうを睨み付ける。

「ちょっと! そいつ、そのまま押さえておいて!」

「……えっ」

もとより解放する気などみじんもないとはいえ、侵入者も藤木が何をするつもりなのかわからなかったようだ。

 わずか数歩ぶんの距離ではあったが、藤木はまさにサッカーのPKのごとくに助走を付けて二人のいるところまで走り寄る。

 そして。

「こぉの、変態ヤロー!」

膝立ち状態の崎田の股間を、正面から思い切り蹴り上げたのだった。


 「!!!」

 声にならない崎田の悲鳴に、取り押さえていた侵入者、すなわち太郎も、何もされていないのに股間がすくみ上がって思わず内股の姿勢になる。

 かつて太郎自身が、誘拐犯の城崎に金的蹴りを使ったことはあった。

 しかし目の前で他人が蹴られるのを見るのは、また別の意味で寒気がした。

(だ、大丈夫かな? これ)

たまらず崎田から手を離してしまったのだが、もちろんクリティカルヒットを喰らった崎田は逃げるどころではなく、たちまち前のめりに倒れて悶絶した。

 意識はあるようだが下半身がびくびくと痙攣しており、あまり大丈夫には思えなかった。


 とりあえず、せめて意識を失わせておくほうがいろいろと良さそうに思え、太郎は崎田の首の後ろに手を当てると、ごく弱い発勁を打ち込んで気絶させた。

 力加減は適当だったが、死ぬようなことはあるまい。

 そうして立ち上がったところへ、藤木が身体ごと太郎にぶつかってきた。

 太郎が受け止めると、藤木は太郎の首に手を回して無言でしがみつく。

 アイドルから全力で抱擁されることになるとは夢にも思わず、これには太郎も心臓が止まるかというほど驚いたが、よくよく考えれば誘拐犯のクルマから救い出したときの亜佳音と同じことだなと、したいようにさせておくことにした。


 抱きしめることはさすがにできなかったが、そっと背中に手を回して押さえるところまでは頑張った。

 ずっと震えている藤木は泣いているに違いなかったが、声だけは必死に抑えているようだった。

 亜佳音ちゃんと同じ、亜佳音ちゃんと同じと、念仏がごとく自分に言い聞かせてはいるものの、それでもやはり相手は自分と同学年の美少女である。

 身体に当たる柔らかな感触と体温、鼻腔をくすぐる匂いなどは時間が経つに連れてどうしても意識されてしまい、さてどうしたものかと太郎が困り始めた頃、藤木の身体からすとんと力が抜けた。

「えっ?」

慌てて太郎が藤木を支えると、藤木は涙に濡れた顔のまま寝息を立てていた。

「そこまで亜佳音ちゃんと同じとは……」

ふぅ、と太郎はようやく安堵の息を吐いたのだった。

お読みいただきありがとうございます。

カクヨム様にも投稿しております。

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