第78話
「悪いとは思ってるのよ。こんないきなり付き合わせて。ひどいわがまま女だと思ったでしょ」
太郎は黙って藤木を見つめる。
いやまあその通りではあるな、と思ったけれど、ここでそうですね、と頷くのも悪いかな? と迷ったからだ。
しかし藤木はその沈黙が気に入らなかったようだった。
「……ちょっと。そこは、そんなことないよって否定するところじゃないの?」
自分から言っておいて、藤木は口を尖らせる。
いまはマスクを外しているので、形のよい口元がよく見えた。
なるほど、不機嫌な表情でもかわいく見えるのだから、アイドルってすごいな、と太郎は感心した。
「そうなんですか? すみません、気が利かなくて」
「太郎。あんた、モテないでしょ?」
いきなり藤木が決めつけてくる。
太郎は素直に頷いた。
「そうですね。モテたことはないと思います」
太郎の返事に藤木はぽかんとした後で、さらに首をわざとらしく振りながら嘆息した。
「……はぁ~。嫌味も通じないワケ? まあいいわ」
藤木は自分用に買ってきた氷抜きの野菜ジュースを一口飲むと、太郎に向き直る。
「あのね。あたし、ストーキングされてるの」
「え」
「これ見て」
藤木は自分の携帯端末を太郎から見えるようにした。
画面にはネット上にある藤木の個人ページが表示されている。
そこから何度か操作したあと、出てきたのは夥しい数のメッセージだった。
「全部あたし宛のダイレクトメッセージになってるから、ほかの人には見えないの」
「……見てもいいですか?」
「うん」
太郎は端末を受け取り、ページを進めていく。
古いページでは、藤木の熱心なファンであると思わせる内容で、藤木のステージやテレビ出演を見た感想、藤木の魅力を褒め称える賞賛の数々、ファンミーティングで会えた喜びの言葉などが並んでいたが、徐々に内容がおかしな方向へエスカレートしていくのがわかった。
『きみが客席のぼくを探してくれているのがわかった』
『ぼくだけ、ほかの人より握手の時間が長かったね、嬉しかった』
『ぼくたちは相思相愛なんだね』
『近いうちに、きっときみを迎えに行くよ。楽しみに待っていて』
太郎は画面から顔を上げて藤木を見る。
藤木は唇を噛みながら頷いた。
さらに読み進めると、表現が一段と病的になっていく。
『いまの番組、なぜあんなに司会と長く話す必要があったの?』
『ぼく以外の男と楽しくおしゃべりするなんて裏切りじゃないか』
『今度はまた別の男か! よりによってあの口にするのもおぞましい●●●●野郎に触れるなんて!』
『信じられない! きみはいつの間にそんな売女になってしまったんだ?』
『この裏切り者! 許さない!』
太郎の背筋がぞくぞくと震える。
こんな文面を大量に送りつけられた日には、到底平静を保って生活することなんてできないだろう。
驚いたのは、藤木の実家を探しだし、さらに親元から離れて東京で生活しているマンションまでも突き止めて、そのそばまで行った証拠写真を載せていたことだ。
そして最近の日付になると、なんとロケに来ている場所も、そして撮影している東部中のことも、果ては藤木たちが泊まっているホテルさえも特定されていた。
どうやって情報を入手しているのか、藤木の行動をかなりの精度で把握していることがわかる。
「もしかして、藤木さんだけ先にこっちに来ていたのは……」
「そう。マンションにいたら身の危険があるかも、と思って、ロケ地入りを早めてもらったの」
だけど無駄だったみたい、と藤木はこぼした。
「これ……誰か大人に相談したんですか?」
「もちろんしたわよ」
「それで?」
藤木は首を静かに振った。
「いま一緒に来ているマネージャーの久保田さんには、真っ先に言ったんだけど」
心配はしてくれたが、具体的に何か対策を取ってくれたわけではないのだという。
太郎は藤木と一緒にいる、まだ年若く見える女性を思い浮かべた。
「というかね、久保田さんもどうすればいいのかわかんないみたいでさ。あんまり頼りにならないの」
聞けば、藤木が所属するアイドルグループは、事務所からグループ全体で四人のマネージャーを割り当てられているのだそうだ。
チーフの男性が一名と、サブマネージャーとして男性一名、女性二名である。
グループとして活動するときは、チーフマネージャーが全体を取り仕切り、サブの三人がそれを補佐する。
ソロ活動するようになったメンバーには、この四名以外に専属マネージャーが付けられるようになるそうだが、まだ実績のない藤木には専属が付く前で、今回のロケにはサブからもっとも歳の若い久保田が同行して、藤木のサポートを行っているという。
真面目で熱心だという久保田は、仕事面では問題なくマネージメント業務をこなしているものの、決して器用というわけではなく、業務から外れたアイドル本人へのケアといったことになると、あまり気の回る性格ではないのだと藤木は言った。
「チーフの新井さんに指示をもらってくれる……とは聞いてるけど、まだなにも言ってこないし、あたしもうどうしていいのか……」
藤木の声は沈んでいた。
「こんなことなら、東京でもっと早く新井さんに相談しておくんだったわ。久保田さんに言ったいまからじゃあ、あらためてあたしから新井さんには伝えにくくなったし。失敗しちゃった」
「なぜ言わなかったんですか?」
太郎の問いに、藤木はちょっと寂しそうに笑う。
「……あたしね、グループで最年少なの。知ってるでしょ?」
「いや、知りません」
「おい太郎」
藤木の目が尖る。
「そう言われましても。あんまり芸能人とか興味がないんですよ」
「ほんとにいちいち腹立たしいわね、あんたは」
頬を膨らませた藤木は、だがすぐに肩を落とす。
「まあいいわ、そんなことはどうでも。じゃあ、うちのグループに二軍以下が100人近くいるってことも知らないんでしょうね」
「はい。え、そんなに大所帯だったんですか」
「そうよ。それで、その中からたった18人だけが選抜されて、グループの名前でステージに出られるの。あたしが一軍に上がったのは一年くらい前だけど、中二で一軍に上がれたの、いまのところあたしだけなんだからね」
「それは……すごく頑張ったんですね」
「うん」
藤木が少しだけ嬉しそうな表情を取り戻す。
「それでね、あたしってどうも周りから、年齢以上にしっかりしているってイメージがあるみたいなのよね。そういう目で見られていると、とくにマネージャーには、弱音なんて吐きにくいっていうか、さ」
心配かけそうなことは、ちょっと言いそびれがちなのよね、という藤木に、太郎は尋ねた。
「グループの方には? 誰か相談できそうな仲のよい人はいないんですか」
これにも藤木は首を振る。
「仲が悪いってわけじゃないんだけど……基本的にグループ内は、みんなライバルなの。ううん、みんなでもないか。年上の、グループ結成時期からの古参メンバーの何人かは、みなとっても仲良しよ。でもあとから入ったあたしみたいなのは、そこまで気を許せる相手じゃないのね。むしろ、グループの質を保つために、なにか落ち度がある子は排除されかねない。一軍を狙っているメンバーはいくらでもいるしね」
思った以上に厳しい世界で頑張っているのだな、と太郎は藤木に感心していた。
同い年であっても、こういうことを経験している人も世の中にいるのだということを、初めて実感した思いであった。
「それで、実際に何か被害を受けたことはあったんですか?」
「いまのところは、ないと思うわ。実際にあたし自身に危害を加えるとかはもちろん、何か妨害されたとか、手を出されたこともなかった……と思う」
でも、被害らしい被害がないというのも善し悪しなのよね、と藤木は言った。
実害があれば、マネージャーも仕事に支障が出る事案としてもっと真剣に取り組んでくれただろうし、極端な話、警察に被害を訴えて相談することだってできただろう。
しかし実害なしでは、それも難しいのではないか。
というのも、ストーカーによる何らかの被害が出てからでないと警察が動いてくれず、結局大きな悲劇が起きてしまったケースは、しばしばニュースとなって世間を騒がせているからだ。
それでも、やはり警察には言った方がよいのでは? 太郎はそう訊いてみた。
実家や自宅の特定だって、被害と言えないのだろうか? と疑問に思ったためだ。
もしかしたら藤木には、熱烈なファンに特定されたといったことが初めてではないのかもしれない。
前例があれば、慣れも出てきてしまうだろう。そこは太郎と感覚が違っていてもおかしくない。
予断で人権を侵すわけにはいかないためか、被害を未然に防ぐに決して熱心と見えないことの多い警察ではあるが、単にメッセージだけであっても、ここまで攻撃的な内容なら対応してくれる可能性があるように思えた。
被害には精神的なものだって含まれる。しかし藤木の返事は驚くべきものだった。
「警察は、撮影が終わってからにしましょう、って久保田さんが言うのよ」
ええっ? と思わず太郎は声を上げてしまう。
アイドル自身の身の安全よりも、仕事の完遂が重視されてしまうというのだろうか?
そんなのってありなの? と太郎にはその返答が信じられなかった。
「実害がないってことで取り合ってくれないかもしれないし、逆に大きな騒ぎにされてしまうかもしれない。訴えるにしても、撮影が終わったタイミングでないと、映画の完成に支障が出るかもしれないからって」
それに、現状ではストーカー個人の特定ができていないということもある。
捜査するにせよ対策するにせよ、相手が誰かを突き止めることから始めなくてはならず、メッセージの解析から手を付けていたのでは相応の時間もかかるだろう。
それで藤木が、映画の撮影スケジュールを遅らせる原因になるのは困るのだと言った。
これが大人の事情と呼ばれるものなのだろうか? 太郎は唸った。
「……その相手なんですが」
「うん」
「この文面を見る限り、藤木さんが実際に会ったことのある人なんですよね?」
握手会には何度も来ているような記載が、ストーカーのメッセージに含まれている。
「そうだけど、あたしが一軍になったときには、もうグループの人気は確立されてたもの。握手会の人数ってものすごいのよ? 何度も繰り返し来てくれる人の方がむしろ多いくらいだし、その中に怪しい人がいたかといわれても、さっぱりわからないわよ」
あと、あたし人の顔覚えるのって、結構苦手なのよね、と藤木はまた口を尖らせた。
どうやらそちらは手がかりになりそうもない。
それに、と藤木は続ける。
「あたしにとっても、初めてのソロ仕事なのよ。ケチは付けたくないし、ちゃんといい映画にしたい。いきなりトラブルのタネになったりするのはイヤなの。だから、つい久保田さんの返事に頷いちゃったんだけど……」
「?」
「最後のメッセージ、見て」
言われて太郎が最新のメッセージまでページを進める。
思わず「うわ」と声が出た。
『これからきみの不実を正しに行く』
「これって……?」
メッセージの日付は昨日であった。
藤木はイヤイヤをするように首を振る。
その仕草には力がなかった。
「もう……怖くて……だけど相談する相手もいなくて……。逃げちゃいたかったけど、でもそうしたら映画はダメになっちゃう。そんなの……」
「……」
「ごめんね、太郎。勝手にこんな重い話に巻き込んじゃって。……でも、話したかった。誰でもいい、でも誰かに聞いてもらいたかったの。そうでないと、私が壊れちゃいそうだったから。ごめんね……」
うつむいて力なく伝える藤木の言葉をじっと聞いて、太郎は静かに口を開く。
「藤木さん」
呼び掛けに、藤木がゆっくりと顔を上げた。
「ぼくは、きっと何にもできません。ぼくだって藤木さんと同じ中学生だし、大人と違ってどうすればいいかもわからない。この問題を解決する力なんてないです。でも、話は聞きました」
藤木は黙って太郎の顔を見ている。
「これからも、話を聞くことができます。何にも役には立てないかもしれないけど、でも話は聞けます。藤木さんが誰かに聞いてもらいたいことがあるなら、その相手くらいにはなれます」
太郎は今日の学校での藤木の様子を思い出していた。
杉本が忘れたノートを取りに教室へ入ったとき、藤木が「あんたがそうなの?」と言ったこと。
あれは、予告どおりにストーカーが現れたのかと勘違いしたのだろう。
エキストラの生徒の顔などいちいち覚えていなかったに違いなく、いきなり教室に入ってきたものがいたら、それが当のストーカーで、自分一人のところを狙ってやって来たと怖れ、怯えたのだと思われた。
普通に考えたら、藤木のいた教室まで不審者が入り込むのは容易ではない。
学校への侵入自体は可能でも、勝手のわからない校内で、狙った相手のいるところへ真っ直ぐ向かうことは難しい。
途中で見つかれば、もちろん騒ぎになる。
その判断もできなくなるくらい、追い詰められているのだろう。
「……いいの?」
いいも何も、もう聞いちゃったしなぁ、というのが太郎の実感であったが、そこはぐっと呑み込む。
「はい」
「嬉しい……けど、なんで? 芸能人には興味ないんでしょ?」
「仮初めですけど、いまはクラスメートですしね。クラスの仲間が困っているなら、助けるのはおかしなことじゃないでしょう」
濃いサングラスの奥で、藤木の目が見開かれた。
「そっか。クラスメートか。……ありがとう」
藤木の顔に、ふわっとした笑いが広がった。
それは確かに、太郎をしてうっかり惹きこまれそうになるくらいには魅力的な笑顔だった。
お読みいただきありがとうございます。
週に1話ずつ更新します。
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