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【本編完結】ある朝いきなり超人に? それでも太郎は普通の中学生活を送りたい  作者: トオル.T
本編

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第58話

 太郞は、案内された部屋を見て仰天していた。

 そこはいわゆるバンケットルームで、広いスペースと高い天井を持ち、講演会やパーティ、結婚式など各種イベントに使える用途の多い部屋だった。

 いまその部屋の真ん中にあるのは、なんとボクシングのリングである。

 そして周りには、トレーニングに使われる様々な機器が配置されている。

 背景を見ずに置いてあるものだけを見れば、そのまんまボクシングジムであった。


 これはもともとこうなっていたわけではなく、スターンの宿泊に合わせて準備されたものであろう。

 スターンはここに何泊するのだろう? 

 もしかしたら、たった一泊か二泊程度かもしれない。

 にもかかわらず、三つものフロアを押さえ、これだけの設備を揃えるのか。

(お金持ちの考えることって、わかんないなぁ……)

自分とはまったく違う世界の人々のお金の使い方に、太郞は嘆息して首を振った。


 太郞がスターンと試合をする、と周りが理解すると、当然のことながら大騒ぎとなった。

 ボディガードにキャサリン、ホワイトヘッドは揃って猛反対した。

 スターンをこんなところで殺人犯にすることはできない。

 いますぐばかな考えを捨て、約束どおりランチをご馳走して帰すべきだ。

 みなが懸命にスターンを説得しようとした。

 キャサリンはとうとう泣きながら夫にすがりついて翻意を求めたが、スターンは応じなかった。


 「きみたちも見ただろう? 太郞は私の渾身のストレートを、難なく片手で止めたんだぞ?」

確かにその光景は、みなの目の前で起きたことだった。

 だが自らの目で見てさえ、やはり誰もが信じられなかったのだ。

 何かの間違いか、百万回に一回の偶然か、あるいはトリックか。

 とにかく、太郞の力でやったことではないとみなが思いたがった。

「きみたちが信じる必要はない。私は彼が強いと知っているし、彼も私の願いをわかっている」

いまだにほとんどのものがスターンは狂ってしまったとしか思っていないが、それでもスターンは彼らを振り切り、準備を進めた。


 太郞は太郞で、ことりと外山以外の三人から、猛烈に心配されていた。

 いや、日本人としてはあと一人、戸沢もこの場にいる日本語がわかる唯一の大人として、太郞の身を案じていた。

「本気なの、穂村君」

「止めなよ、死んじゃうよ」

「私も止めるべきだと思うわ。いまからでも断わったほうがいいわよ。言いづらいなら私から言ってあげるから。ね? 中止してもらいましょ? ねぇ、穂村君?」

加藤は、うっかり「外山に勝ったくらいでスターンにまで勝てると思うのか」と言ってしまって、後ろから外山に首を絞められていた。


 太郞はスターンのトレーニングスタッフがどこからか調達してきた小サイズのグローブを、初めて巻くバンデージとともに付けてもらい、興味深げに眺めた。

 実のところ、急場で太郞にジャストサイズの試合用グローブが用意できるはずもなく、女性のスタッフが持っていた練習用であったのだが、太郞に区別は付いていない。

 同様に小さめのトレーニングパンツやリングシューズも用意はされたが、新品のシューズでは却って動きが悪くなりそうであったし、慣れないタイプの履き物は止めて、自分のスニーカーをきれいに拭くことで使用を許してもらった。


 その様子を見ていた戸沢は、「穂村君、そもそもあなた、ボクシングやったことあるの?」と訊いて、「初めてです」との太郞の返答に、絶望の表情を浮かべていた。

 眼鏡を外してマウスピースは咥えたが、頭部を守るヘッドギアは断わった。

 これにはスターン側のスタッフが真剣に青い顔になって「お願いだから付けてくれ」と頼んだが、「邪魔だからいいです」と押し切った。


 そもそもボクシングルールの試合でいいのか? という点についてはスターンから太郞に念入りに確認をされたが、太郞としてはボクシング以外の競技であっても、もとより何一つ経験はないのだ。

 どれでも一緒なので、ボクシングでかまわない、と答えていた。

 そうして間もなくアップを終えたスターンがリングに現れ、太郞も同じくリングに上がった。


 太郞は試合をするにあたって、スターンといくつか約束を取り付けていた。

「まず、試合は絶対に記録しないでください。動画も写真もなし、この場限りのものでお願いします」

「承知した」

「次に、試合がどんな結果になろうと、この場に立ち会った人以外には、試合があったことを含めて、決して口外しないようにしてください」

「それも承知した」

スターンが頷く。

「最後に、試合できるのは一ラウンドだけです。ぼくがきっと、それ以上は続けられない」


 これには、スターンがちょっと驚いた顔になったが、それでも一ラウンドで目的は果たせると考えたのだろう。すぐに承知と頷いたのだった。

 太郞の話を聞いたことりがはっとして、太郞を初めて心配した顔で見つめる。

 太郞はことりに小さく頷いた。

 この日も太郞は宿の朝食を普通の一人前食べただけで、その後は何も口にしていない。

 スターンと戦うようなエネルギー消費の激しいことをしてしまったら、いつセーフモードに入るかわからなかったのだ。


 試合の立会いを認められたのは、スターン側で妻のキャサリンと二人の息子、そしてマネージャーのホワイトヘッドと、通訳の戸沢のみ。

 ホテル従業員、ボディガードや、そのほかのトレーニングスタッフたちは全員退室させられた。

 太郞の側は、どうしようか悩んだけれど、結局ここまで来たのだからと、五人全員にそのままいてもらうことにした。


 リングでレフェリー役を兼ねるホワイトヘッドが、ゾンビのように生気のない悲壮な表情で、もうどうにでもなれとばかりに試合前の注意事項をスターンと太郞の二人に話している。

 戸沢も太郞のためにホワイトヘッドの横で、その言葉を日本語にして伝えていた。

 こちらも表情はいまにも泣き出しそうである。


 それを並んで眺めながら、ことりに向かって佳子が言った。

「……なんでおおとりはそんなに余裕あんの?」

「え?」

「だって、全然平気そうじゃない? 穂村君が死んじゃうかもしれないのに」

「なぁ、これマジやばいって!」

「そうだよ!」

加藤に真理も同意する。


 「おおとり、そもそも穂村君を止めようともしなかったでしょ。なんでなの?」

「なんでって……」

ことりは思わず外山の方を見る。外山も、この試合に一度も反対していない。

「そりゃ……なぁ?」

「ねぇ。穂村君だし……なんとなく?」

「またそれか!」

佳子が天を仰いで叫んだ。


 「なんか、前にもあんたそんなこと言ってたっけねぇ?」

「そうだっけ?」

はぁ、と佳子が深く嘆息する。

「もういいわ。なんか心配しているこっちがおかしいような気がしてきた」

「佳子?」

「うん、これ以上考えるの止めた! 応援だけすることにしたわ」

「ええ?」

「いやそんなの割り切れねぇって」

「うるさい。もうあたしも心配しないの! そう決めた!」

佳子たちのやりとりに思わず笑い出しながら、ことりはリングに立つ太郞をじっと見つめた。


 実際に二人が対峙すると、サイズのみならず身体の厚みや纏った雰囲気など、その違いは大人と子どもどころではない。

 同じ人類の枠組みで考えていいのか、これは異種生物間の試合ではないのか、というくらいに見た目の差が大きく感じた。

「……ひでぇ絵面だ」

ぼそりと外山がつぶやく。


 完全に試合スタイルのスターンに対して、太郞は借り物のトレーニングパンツにTシャツであった。

 その素人然とした見た目に加え、体格の貧弱さも際立っていて、確かに並んだ二人を見る限り、どう考えても公開処刑よりももっと残酷な未来の予感しかしない。

(大丈夫だと思うけど……怪我しないでね、太郞ちゃん)

無言でそう祈りつつも、実際のところは「お願いだから、スターンさんに怪我させないでね」という心配のほうが、ことりにはよほど大きかったのである。

 さすがにこれは、この場では決して口にはできないことだった。

 そしてついに、試合開始のゴングが鳴った。

 

 太郞は戸沢の通訳による注意事項を聞きながら、自分で聞き取った英語の内容と比べて間違いがなかったかをチェックしていた。

 理解した中身に致命的なミスはなかったのでほっとしたが、それでも戸沢はさすがにプロの通訳で、使われる語彙や言い回しのわかりやすさは太郞のヒヤリングとはレベルが違っていて勉強になる。

 そうして今度は、目の前に立つスターンをじっと見つめる。

 いままでに戦った相手の中では、誘拐犯の柔道家であった高橋が最も大柄だった。

 スターンはそれよりさらに一回り大きいが、おそらく高橋よりずっと俊敏なのだろうと思えた。

 スターンは視線を足下に落とし、こちらを見ようとしなかった。静かに戦意を高めているようで、いまはその『気』も穏やかだった。


( まさか、ぼくが元世界チャンピオンと戦うことになるなんてなぁ……)

元とはいえ、実質いま地上最強に最も近い一人である。

 一介の中学生が、しかも今年の四月までは、喧嘩らしい喧嘩さえしたことがなかったのに、ヘビー級のボクサーと殴り合うことになるなんて。

 思えば遠くへ来たもの……いやこれはいくら何でも遠すぎるだろう。

 太郞は自嘲してしまいそうになり、口元を引き締める。


 まだボクサーを相手にしたことはなかったが、ボクシングの動画はかなりの量を見ている。

 そしてその中で、一番たくさんの動画を見たのが、まさにこのスターンの試合だった。

 スターンは単純なボクシングの技術だけを取っても、現代で最も完成された選手だったからだ。

 そしてスターンがすごいのは、チャンピオンになって以降にも、後になればなるほど、技術がさらに向上を続けていることだった。

 太郞が見た動画は、スターンが現役のときのものだ。

 そこまでのスターンは、既に太郞の中でコピーができていた。


 しかしいまのスターンは、さらにアップデートされたものである可能性が高い。

 一段と完成度を高めたボクシングの真髄がいま、自分に襲いかかって来ようとしている。

(マイケル君じゃあないけど、そもそも強いトラが格闘技の達人になったら、どれだけ強いかって話だよね)

ホワイトヘッドの注意が終わり、二人はいったん各コーナーに分かれた。

 普通ならそれぞれに補佐役のセコンドが付くのだが、今回は一ラウンド限定ということもあり、どちらもセコンドはなしである。


 カーン!

 ゴングが鳴らされる。

 太郞とスターンはともに、まずはリング中央に進み、両手のグラブを軽く相手に合わせ、またちょっと下がって間合いを空けた。

 太郞は様子見だったが、スターンにとっては助走区間の確保であったようだ。

 すぐさま力強くマットを蹴って、太郞の目の前に飛び込んでくる。

 まずはオーソドックスに左のジャブからだった。

 しかしスターンのジャブともなると、それだけで必殺のK.O.パンチである。

 しかも予備動作がわからず、相手から見る限りノーモーションの拳が、最短距離を最速で発射される。

 まともに当たれば、それだけで太郞の首から上がなくなるに違いないと思える、極悪な砲弾なのだ。


 太郞は、スターン側も自分のクラスメートも、とにかく心配しているメンバーが多いために、まずは安心してもらうことにした。

 つまり、太郞がそう簡単に殺されたりしないよ、ということを見せようと考えたのだった。

 そこでこのジャブを躱さず、真っ向からガードして受けて見せた。

 バスン! というのか。ズシン! というのか。

 とにかく何か重いものが、勢いよくぶつかる音が響き渡る。

 と見るや、スターンがぱっとバックステップして距離をとった。

 そして、実に嬉しそうに笑ったのだった。

 太郞はリング中央でガードを上げたまま、表情を変えずに立っていた。

 この一連のやりとりは周りに大きな衝撃を与えたが、その中身は見る側のボクシングやスターンへの理解度によって様々だった。


 キャサリン、佳子に真理と加藤、それに戸沢は、スターンが太郞を確かに殴ったのに、太郞が吹き飛ぶことなくその場に立っていることにただ驚いていた。

 スターンが手加減したようには見えず、ということは、太郞がスターンのパンチにちゃんと耐えたということを示している。

 とくに戸沢はまだリング上のロープの外にいたため、打撃音の大きさに肝を冷やしていったん目を閉じてしまった。

 そしておそるおそる開けた目に、太郞の無事な姿が映っていて、あんぐりと口を開けた。


 スターンの息子たちには、父のパンチが当たったのに、あの小さな日本人が動かなかったことが不思議だった。

 いままでどんな屈強な相手であろうと、父のパンチをまともに受けて無事だったものなどいなかったのだ。

 父は何か手加減でもしたのだろうか? 

 二人は顔を見合わせて首を傾げていた。


 ことりは、ひとまず最初のパンチで太郞が無事だったので、ただ安堵していた。

 しかし逆に、太郞のパンチにスターンが耐えられるかどうかは心配で心配で仕方がなかった。


 外山は、予想はしていたが太郞がスターンのパンチに耐えきったことを見て、強く唇を噛みしめた。

 自分がもしあのリングにいたとしたら。

 太郞よりもずっと大きな身体の外山であるが、おそらくあのジャブ一発で吹っ飛ぶか、あるいはそのまま気絶して前のめりに倒れているだろうと思われた。

 避けることは難しかったろうし、仮にガードできても、二発目が来たらもう耐えられまい。

 また、自分のパンチがスターンより強いとはさすがに考えられず、ということは、もし自分のパンチが太郞に当たったとしても、それでは太郞を動かすことさえできないということだった。


 ほんとうの意味で一番驚愕していたのは、ホワイトヘッドであったろう。

 自らもボクシング経験者であり、スターンの試合を間近でずっと見てきたマネージャーであり、そしていまもリングの上で最も距離の近い位置にいる。

 だから、当事者の二人以外では彼だけが唯一、いまの攻防を正しく理解していた。

 リング下で見ていた誰一人、気づくことはできなかったが、スターンは、ただジャブ一発を放ったのではなく、一瞬のうちに左ジャブから右ストレートのいわゆるワン・ツーを放っていたのだった。

 しかし打撃音はほぼ一つしか聞こえなかった。

 それほどのスピードであるということは、スターンがほんとうに本気で放ったワン・ツーであるということだ。


 つまりこの小さな日本の少年は、あのスターンのワン・ツーをまともに受けて、ガードしきったということになる。

 同じヘビー級のプロボクサーであっても、スターンのワン・ツーを受けて微動だにしないで済むものなど、おそらく世界中に一人だっていないだろう。

「きみは強いはずだ。もしかしたら、私よりずっと」

太郞を評したスターンの言葉がホワイトヘッドの脳裏によみがえる。

 あれは……あれはまさか、掛け値無しに本気の言葉であったのか? しかしそんなことがあり得るのか? 

 ホワイトヘッドは混乱し始めていた。

お読みいただきありがとうございます。

週に1話ずつ更新します。

カクヨム様にも投稿しております。

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