第47話
「穂村……ほんとうに伝説の喧嘩屋とかに、勝ったんだ……」
不良二人が太郎に見せたあからさまな態度を見て、史武は思わずつぶやく。
隣の太郎が、いままで見ていた太郎と同じ人間なのかわからなくなりそうだった。
「うーん、まあ成り行きなんだけど」
太郎は自慢どころか、むしろ困ったように答える。
「いちおう、勝ったことにはなるのかな」
「……すげぇな」
史武はうめくように言った。
あの貧弱で喧嘩などしそうもない太郎が、いったいどうやってそんな強さを身に付けたというのか。
隣りに立ついまだって、喧嘩が強い男だなんてまったく思えない。
しかし、史武は自身の目ではっきりと見た。
殴りかかる不良をものともせずいなし、その場を収めた太郎の力を。
史武はそっと頭を振る。
どうやって?
考えるまでもなかった。
そんなのは決まっているではないか。
努力するしかない。
きっと、太郎は自分の知らないあいだに、血のにじむような修行をしたに違いない。
だって一年のときはあんなにひ弱だったのだ。
三年になったいまだって体格は自分に劣るのだ。
にもかかわらず強いというのなら、それらの不利をひっくり返せるほどに鍛錬するしかないではないか。
天から強さは降って来ない。
学年トップの成績をキープしながら、一方で伝説級の不良を一蹴できる強さを身に付けるには、いったいどれほどの努力を重ねればいいのだろう。
苦手な運動部を三年間頑張った程度で、自信になったとか言っている自分は、まだまだ甘すぎたのだ。
(そりゃ勝てないな……)
自分も、もっともっと頑張らなければ。史武の拳にぎゅっと力がこもった。
「川原君は、戻るの?」
図書館に入り直したところで、太郎が訊いてくる。
このまま学習室へ行くのか? という問いだろう。
「あ……」
どうしよう? 史武は迷った。
太郎から逃げるように図書館を出たが、いまさらそれも必要なくなった気がする。
それに、まだ外にあの二人がいるかもしれないと思うと、太郎のいないときに一人で出くわすのは怖かった。
「うん、戻るよ」
もともと一日いるつもりだったのだ。予定どおりに勉強するだけのこと。
そう答えて、史武は太郎と一緒に学習室に入ろうとした。と、そこでなぜか太郎が足を止める。
「? どうした」
史武が太郎の顔を見た。太郎は、しばし黙って史武の顔を眺めてから言った。
「……こっち来て、一緒にやる?」
「え?」
史武は予想もしない太郎の申し出に、ぽかんと口を開けた。
一緒にって……つまり、ことりと同じテーブルで勉強できるということか。
まさか、いいのかそんなこと?
「……おれが入っても、いいのか?」
太郎は頷いた。
「ぼくひとりで二人に教えてると、どうしてもひとり暇になっちゃうんだ。川原君なら、教えられるでしょ?」
「……あ、ああ。大丈夫、と思う」
教師役の数増しだったか。
自分の宿題も進めなければならないのだが、それでもことりと話ができるかもしれない、と膨らんだ期待のほうがはるかに重要だった。
史武は急いで一人席の置き札を戻し、それからどきどきしながら太郎たちのテーブル席へ行った。
「あれ? 川原君」
太郎が何か言う前に、ふと顔を上げたことりに自分の名前を口にされ、史武の心臓は大きく飛び跳ねる。
「あ、知ってるんだ?」
太郎がことりに訊いた。真理はというと、不意に現れた史武を見て「誰?」と眉を寄せている。
「うん。男バレの川原君。だよね?」
ことりが史武に向かって確認する。
「おれの名前……なんで?」
史武は、信じられない思いでことりを見る。
一度も話したことはないのだ。
もちろん名乗る機会もなかった。
ただ遠くから見つめていただけの相手だった。
なのに、名前を知っていてくれた?
「そりゃ、ずっと同じ体育館で部活頑張って来てたんだもの。わかるよ」
ことりのほうは、何かおかしいこと言ってる? と言わんばかりの表情だった。
史武の中に嬉しさがこみ上げ、あふれそうになる。
「なら良かった。わかんないとこがあったら、川原君にも手伝ってもらうといいよ。ぼくいっぺんに二人は教えられないから」
「あ、そうか。川原君も、よく成績優秀者載ってるもんね」
太郎とことりの言葉を聞いて、真理がやっと納得顔になる。
「先生が増えたわけね。助かっちゃう」
再開した宿題に、さっそく真理が太郎を捕まえて「ここがわかんない」と訊き始めた。
史武とことりは、しばらくそれぞれに自分の勉強を進めていたが、やがてことりが行き詰まったらしく、手が止まる。
太郎はまだ真理に捕まったままだ。
「川原君。ここ教えてもらっていい?」
ことりに問われ、史武は声が上ずらないよう懸命に抑えながら「もちろん」と答えた。
夕方まで四人は学習室で勉強を続け、ことりはかなり前倒しに、真理も宿題の遅れをほぼ取り戻すところまで進めることができた。
閉館時間も近い時分になると、太郎は例によって空腹を感じてきたので、「このくらいにしようか」と切り出す。
「うん、そうしよ! いやー、こんなに勉強したの、初めてかも! つっかれたー」
真理がまた大きな声を出しながらテーブルに突っ伏し、周囲からの視線を集めている。
「た……穂村君、川原君、今日はありがとね。おかげですっごく進んだよ」
ことりににっこり笑いかけられ、史武がちょっと赤くなって目を逸らした。
「じゃあ、帰ろう」
閉館時間になってから追い出されるように慌ただしく出ると、だいたい忘れ物をするんだよと、太郎は妙に具体的な注意をして少し早めにことりたちを促すと、みなで外に出る。
帰り道は、史武だけが違う方向だった。
「穂村」
史武は太郎に呼び掛ける。
「ん?」
「その……ありがとう、な」
史武は礼を言いつつ、ちらりとことりのほうへ目が向く。
ことりは真理と何か話していて、太郎たちを見てはいなかった。
太郎は、史武を不良のカツアゲから連れ出したことのお礼かな? と思い素直に頷いた。
「おれはここで。じゃあな」
史武が手を振ると、ことりや真理も「ありがとね」「バイバーイ」と手を振り返す。
太郎は軽く手を挙げただけだが、これはとくに史武相手だからというわけではなく、太郎の平常運転だ。
「行こうか」
三人が家のあるほうに向かって歩き出すと間もなく、真理が「あ」と声を上げた。
「あたし、ちょっとコンビニ寄っていくわ」
「なに? 買い物? 付き合おうか」
ことりが真理に訊くが、真理はふるふると首を振って笑う。
「いいよ、ちょっと長くなるかもしれないから先帰ってて」
「そう? ……なら先に行くね」
なんだか納得していない表情ながら、ことりが応える。
「うん、じゃあまた電話する。穂村君、今日はほんとに助かっちゃった。ありがとう!」
太郎はこっくりするだけだ。
いったん向きを変えて立ち去りかけた真理が、ふと思い出したように太郎のそばに戻ると、ことりのほうをちょっと見つつ、ことりには聞こえない小声で太郎に囁いた。
太郎はやや眉を寄せて、真理の言葉を聞く。
「……そういうものなの?」
「そうよ! いい? ちゃんとしてよ?」
「……わかった」
「よし。じゃあね、バイバイ!」
大きく手を振りながら、今度こそ真理が去って行った。
ことりはその姿を見送りながら、太郎に尋ねる。
「いまのなぁに? 真理はなんて言ったの?」
太郎はつとことりの顔を見て、言うべきかどうかを迷ってから答えた。
「……後で教えるよ」
「? いまじゃなく?」
「うん」
真理といい太郎といい、なんだか変な感じだなぁ、といった顔でことりは黙ったが、太郎は構わず「行こう」と歩き出した。
ことりも仕方なく付いていく。
それでも真理が去ったことで、ことりにとってはあのバスケの試合の日以来の、太郎と並んで歩ける機会である。
嬉しくないわけはなかった。
「太郎ちゃん、勉強教えるの上手なんだね」
今日、ことりが感じたことはまずそれだ。
「そう? 自分じゃわからないけど、そう思ってもらえたんなら良かったよ」
「うん、学校の先生よりよっぽどよくわかったもの。そのうち家庭教師のアルバイトとか、できるんじゃないかしら」
「あはは。そんなの初めて言われたかも」
「いままで言われたことないの?」
太郎はちょっと考えて答えた。
「ない……かな」
「そうなの? うーん、わたしだけかなぁ。いやいや、真理もきっとそう思ったはずだけど」
そうでなければ、あれほど真理の宿題が進むはずがない。
意外そうな顔をしたことりに、太郎は「いや、そうじゃなくて」と言う。
「いままで、誰かに勉強教えたことがないから」
「……え?」
そっちか、とことりはさらに想定の外からの答えに驚く。
「だって太郎ちゃん、勉強できるのってもう一年生のときからずっとだよね? なのに、教えたことがないの?」
「ないよ」
太郎の答えは素っ気ない。
「……もしかして、頼まれても断わってきたとか」
「まさか。誰からも頼まれたことがないからだよ」
これにはことりも思わず黙ってしまった。
学年トップの成績なのに、拒否してきたわけでもないのに、誰からも勉強を教えて欲しいと頼まれたことがない? そんなことが……。
あらためて、ことりは四月頃に太郎がクラス内でどんなふうだったか、思い出そうとしてみる。
(……あれ? どんなも何も、いまと全然変わらないような)
休み時間にはたいてい一人で本を読んでいて、部活もやっていないので授業が終わればそのまま帰ってしまう。
クラスの中で誰かと仲が悪いということはなかったと思うが、逆に特定の仲のよい友人というのも、一人も思いつかなかった。
誰に対しても、話しかけられればきちんと応えるけれど、太郎から用事もないのに誰かに話しに行くイメージがまるでない。
(あらら。太郎ちゃんと普通に会話してるのって……わたしと外山君くらい?)
確かにあの日、従姉妹の亜佳音を抱っこした太郎を見かけることがなかったら、ことりも太郎に関心を持つ日は来なかったかもしれない。
それこそ、いまもほとんど言葉を交わすことのない仲であった可能性が高い。
いや今回でさえ、真理に太郎への仲介を頼まれたとき、ことりには太郎が応えてくれるという確信がなかったのだ。
まして四月の頃のことりであれば、たとえ勉強に行き詰まることがあったとしても、太郎に教えてと頼む発想は出てこなかったに違いない。
おそらく、クラスメートもほとんどはそんな感覚なのだろう。
一年生から太郎の行動や性格が大きく変わっていないとしたら、太郎の言うとおりに「誰からも頼まれたことがない」というのも十分にあり得ると思った。
いまとなっては、ことりに太郎抜きの学校生活など考えられない。
しかし四月のことりのままであったら、もし太郎がふいにいなくなったとしても、きっとたいして気にも留めなかっただろうと思う。
何日かは覚えているかもしれないが、すぐに太郎がいたことさえ頭から消えてしまったに違いなかった。
(わー。なんか、危なかったかも。太郎ちゃんと知り合う機会があって、こうして秘密まで教えてもらえる立場になれて、ほんとにラッキーだったんだわ、わたし)
なにせこの先の人生で、宇宙人にもらったナノマシン体の超人と仲良くなれる機会が、そう何度もあるとは考えにくい。
おそらくこれは、生涯たった一度の貴重なラッキーチャンスなのである。
(うん、大事にしよう)
ことりはそう誓った。
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