第35話
息を切らせながら、ようやく芹田が腕を下ろす。
「はぁっ、はぁっ……てめ……手こずらせやがって……」
「うう……ひどい……マイケル」
涙目の反町は、両のほっぺたが真っ赤になっていた。
はじめは首を絞めようとしていた芹田だが、反町の抵抗は激しく途中で路線を変更、既に届く位置にあったほっぺたをつまんでつねることにしたのだった。
技の入る攻防であれば簡単に優位に立たせてくれない相手だが、純粋な力勝負なら筋力で勝る芹田に分がある。
悲鳴を上げて「ごめん! まいった! 許して!」と叫ぶ反町に、ようやく溜飲を下げた芹田が、ほっぺたから指を離したところであった。
「……で?」
「痛いよマイケル」
つねられた頬をさすりながら反町が文句を言う。
「痛いじゃねぇ。続きを早く言えってんだよ」
「何の続き? ポラゲーニャ・トロッチ?」
「てめえはなぁ! もっとつねってやろうか?」
芹田が再び手を伸ばしかける。
「『気』がわかるようになったって話の続きだよ! それがどうてっぺんと関係すんだよ! とっとと言え!」
「わあ! わかったわかった! 言うよ」
慌てて芹田の手を躱しつつ、反町が叫んだ。
さすがにほっぺたはかなり効いたようだ。これは使える、と芹田は覚えておくことにした。
「もう。ほっぺた痛くてしゃべりにくいじゃないかぁ……って睨まないで。だから、『気』のイメージは、マンガでよく出てくるオーラでそう間違ってないよ。あんなふうに見えているわけじゃないけどね。
普通の人でも、無意識に感じることはあるはずだ。ほら、雰囲気ってあるだろう? あれも『気』の一種だと思うよ。
相手が何を考えているのか読み取るのに、ふつうは相手の顔や声の感じ、目付きや視線とかからの情報で総合的に判断するものなんだろうけど、たとえば表情が見えない、声も出していない後ろ姿からでも、相手の感情がなんとなく伝わることって、ないか?」
「……まあ、ないこともないな」
芹田は、怒っている親の背中に声をかけられなかったときのことを思い出す。
「あれだって、別に感情が見えているわけじゃないよね。感じているものだと思う。他人から感じるあれを、曖昧なものじゃなく、もっとはっきりと感じ取れるようになったってところかな」
「それで?」
「格闘技をやっている人に関しては、これはかなり強さと関連が強いみたいなんだ。実力者の『気』は、例外なく強いし量が多い。逆は必ずしもそうでもないけど」
「逆ってなんだ?」
「『気』の量が多ければ強いとは限らないんだよ。たぶん、格闘技をまったくやったことがなくても、もともと持っている気の量が多いタイプの人はいるんだと思う。あるいは、格闘技以外の何かの分野で一流と呼ばれるレベルに達している人とか。
見たことある中では、将棋の何とかってタイトル持っている人が、すごい『気』を持ってたことがあったなぁ。あの人、中国拳法とかやったら実は向いてたのかもね。あと、量だけじゃなく質ってのもあってね、それには性格や戦い方のタイプ、こっちに向けている感情なんかも反映されていると思う」
「……それ、おれの『気』も見えてるってことか?」
「うん」
「おまえからは、どんなふうに見えてるんだ? おれの『気』とやらは」
「うーん、そうだな。さすが中部中の番長サマ、て大きさと量はあるよね。あと質としては、竹を割ったような、てやつかな」
「なんだそれ?」
「まっすぐでねじれてない。多少拗ねても悪ぶっても、どうしてももとの軌道に戻っちゃう、て感じ?」
反町の言葉にどう反応して良いのかわからず、芹田は黙り込む。
あえて説明は省いたが、反町にとっては、格闘しているときに相手から向けられる『気』を感じ取ることで、先読みもある程度可能になる。
とくに芹田のような直情的なタイプは、次の攻め手が感じ取りやすい。
フェイントなのかそうでないのか、あるいは狙い所がどこなのか、といったことが感覚的に伝わってくるため、スピードで勝る芹田に対しても、反町は十分対抗することができるのだった。
「……マイケルって、弱いやつに喧嘩売ったことないでしょ?」
「え? ……いや、ないかと言われると」
断言する自信はなかった。
「たぶんないんだと思うよ。売られた喧嘩は買ったかもしれないけどね」
そうあらためて言われると、確かにぱっと心当たりは思い浮かばない。
芹田の主な関心は、自分より強そうな相手にどう勝つか、どうすればそういう相手よりも強くなれるか、である。
既に超えたと思える相手には興味がなかった。
だから、向こうから突っかかって来れば話は別だが、自分から弱い相手に喧嘩を吹っかける理由はないのだ。
「つまり弱いものいじめしないのが、マイケルなんだよ」
反町が芹田の表情を見ながら、「ね?」と言って笑った。考えを読まれているようで気持ちが悪い。もしやこれも『気』のなせる技なのか。
「だけど、さっきの人」
そう言った反町の表情から笑いが消える。
「てっぺんか?」
「うん。あれは……おかしいよ」
「おかしい?」
「大きさも量もめちゃくちゃだ。どれだけあるのかわからないくらい、あんなの一度だって見たことがない。人間の持っていられるものとは思えなかった」
「……」
「それに、質もおかしい。生き物……なのかな、あれ」
「何言ってんだ? 『気』は生き物のエネルギーって言ったのは圭吾、おまえだろ」
「いや、そうなんだけどね。自分でも矛盾したこと言ってるとは思うんだけど。なんて言ったらいいのかなぁ……たとえばもし、ものすごくパワーのある人型ロボットに、『気』があったとしたらあんなふうに見えるかもしれない」
「はぁぁ?」
「ああごめん、混乱させること言ってる自覚はあるんだ、でも……そういうふうにしか表現しにくいくらい、人間の『気』とは異質だったんだよ、あの人」
人間離れ、ではなく人間ではない? さすがにそれを真に受けるのは、芹田の想像力を超えていた。まさか太郎がほんとうに、人間じゃなく人型のロボットだというわけでもあるまい。
「おまえのじーちゃんと比べたら、どうなんだ? じーちゃんより大きいのか?」
達人とまで言われる反町の祖父よりも大きな『気』を、いくら強いとはいえ、たかが中学生が備えているとは考えにくいだろう。
だが反町は静かに首を横に振った。
「じいちゃんのは、わからない」
「わからないって、どういうことだ?」
「うちのじいちゃんくらいになると、『気』のコントロールが自由自在なんだよ。隠すのも出すのも好きなようにできて、まあさすがに持っている最大量より大きく見せるのはできないんじゃないかなぁと思うけど、少なくとも素の状態で見せてもらったことは一度もないんだ。
普段生活するときはぜんぜん感じられない程度に抑えちゃってるから、じいちゃんと同程度の達人でもなければ、ただの老人としかわからないと思うよ」
「でも、稽古付けるときはぶわっと出てきたりしないのか?」
「相手のレベルに応じて必要なぶんだけ、て感じかな。おれなんかじゃまだまだ力不足だし、知っている中でいちばん強いお弟子さんでも、じいちゃんを本気にさせた人は見たことないな」
「へぇ……」
達人ともなると、そういうものなのか。芹田は感心した。
「ただ、カンでしかないけど……じいちゃんの本気よりも、あの人の『気』のほうが、桁違いに大きいんじゃないか。なーんとなく、そんな気がするんだよね……」
「……なんだと? ホントかそれ?」
「うん、『気』だけにね!」
にこっと良い笑顔で言い放つ反町に、芹田のこめかみがピクピクと痙攣した。
「てめーってやつは……!」
ようやく赤みの退いた反町のほっぺたを再び真っ赤に染めるべく、芹田の伸ばした手と反町の攻防が再開されるのだった。
太郎は、ひとり体育館から離れて家路に向かっていた。
ところが、ふと足を止めて悩み始める。
「うーん。このまま帰っちゃっていいものなのか……」
もとを辿れば、夏休み前のことりとの会話に遡る。
秘密を明かしたあと、何度かことりとは電話する機会があった。
もっぱらかけてくるのはことりで、というのも部活のない太郎はたいてい部屋で暇にしており(太郎としては決して「暇」ではないと主張するだろうが)、忙しいことりからかけてくる方が行き違いは少ない。
太郎もちょっと話してみたいなという気になることはあったが、そもそも友達の少ない太郎に、最近親しくなっているとはいえクラスメートの女子に気軽に電話をかけるのは非常にハードルが高かった。
かかってくるのを待っている方が気楽だったのは大きい。
電話の際に、太郎の話がメインだったのは、亜佳音の家に呼ばれて武雄や警察署長とした話を根掘り葉掘り訊かれたときくらいで、それ以外は会話時間の九割がことりのおしゃべりである。
よくまあ途切れずにいろんな話が出てくるものだと太郎は感心するが、中でも多いのは大会が迫っていたバスケットボールのことだった。
試合のこと、練習のこと、部活の仲間のこと、後輩のこと、顧問の先生のこと。
様々な話題の中で大会の日時、場所なども詳しく聞くことになり、なし崩し的に「じゃあ、応援に行ってもいいかな」と太郎が言う……いや言わされる展開になったのだった。
もちろんことりは「来て来て!」と喜んだが、太郎としてはわかっていても「応援は不要」と返答して欲しかったのが正直なところだった。
もともとスポーツへの関心はきわめて薄く、オリンピックやワールドカップなど一般ニュースになるほどのビッグイベントであればまだしも、学校の運動部の試合など実を言えばまるで興味はないのだ。
体育の授業で行なったことはあっても、公式戦となると、競技ルールを正しく理解できているかどうかも怪しい。
まして、クラスメートとはいえ女子の試合に応援に行くなど、うっかり言い出した……言い出さざるを得なかったのは自分であったとしても、相当に気の重い約束になってしまった、と考えていた。
加えて、相手の期待を汲み取って気乗りしない約束を自分から言い出すなど、以前の太郎であれば考えられない行動で、太郎は自分で自分に驚いていた。
これは社会性の年齢的な成長といえるのか、それともナノマシン体になったことがもたらした影響のひとつなのか。
考えてもわからないことではあるが、それでも交わしてしまった約束を自ら反故にする選択は、太郎にはない。
重い腰を上げ、試合時間に間に合うよう市営運動公園の体育館にやって来たのである。
ただ、やって来たは良いが、さすがに女子しかいない東部中チームに声をかけに行く勇気はなく、太郎は申し訳程度に設置されている二階観覧席の端に腰掛けて、静かに試合を見ることにした。
なんといっても、これまで母校の、ましてや女子チームの応援などしたことがないのだ。
自分のようなスポーツ音痴が応援に来ていたら勝てるものも勝てなくなるのでは? もしかして却って迷惑だったのではないのか? と太郎には困惑さえあった。
いちおうことりに「上で見ているから頑張って」とメッセージを送っておいたところ、それを見るより先に自分の姿をめざとく見つけられたのにはびっくりした。
ことりが下まで来て欲しそうな顔をしているのは、太郎の目にはっきり見えてしまうのだが、それはもう太郎の社交性の限界を超えた行動で、ここは見ないふりで通すほかなかった。
昨年決勝を争った東部中は一回戦がないため、試合は準決勝にあたる二回戦からとなる。
ことりは主将としてよくチームをまとめ、緒戦を危なげなく勝ち切った。
そして決勝は因縁の中部中戦である。序盤から激しい点の取り合いで、シーソーゲームの大接戦となった。
ことりも大いに活躍し、チーム一の得点源となっていたが、後半になってじりじりと点差が開いてきた。
中部中のリードが続き、差が詰められない。
次第に東部中チームには焦りが、中部中は逆に余裕が見て取れた。
それはゲームの展開にも大きく影響して、結局最後まで追いつくことなく、東部中は敗れた。
はじめは静かに見ていると決めた太郎だったが、チームの必死のプレーを見ているうちに居ても立ってもいられなくなり、声を上げてことりとチームを応援した。
そんなに数は多くなくとも、周りの観客も声援を送っていたので、雰囲気として浮かずに済んだことも手伝い、最後は立ち上がって声を出していた。
追いつけないまま試合終了のブザーが鳴ったときには、太郎も思わず脱力して座り込んだ。
(応援……足りなかったかな)
もっと始めから声を送っていたらどうだっただろう。
ゲームの勝敗にもしはない。
悔やんでもそれは意味のないことだとわかってはいたが、太郎は悔いを残したと思った。
コートでは中部中の選手が跳び上がって喜び、東部中チームはみな床に崩折れて泣いていた。
そんな中、ことりは中部中の主将と顧問に挨拶したあと、座り込んだままのチームメイトひとりひとりに声をかけて立ち上がらせて回っていた。
最後のメンバーを立ち上がらせると、一度だけ太郎の方を見たが、その表情は笑顔でも、目に浮いている涙が太郎には見えてしまう。
せめてと思い、太郎はことりに向かって力いっぱい拍手を贈った。
そのあとは片付けや表彰式などになるため、太郎はもうここに居ても仕方ないといったんは体育館を出たのであるが、結局一度もことりに声をかけていないのがどうしても気になって、足が止まってしまったのだった。
(ダメもとでいいから、引き返してみようか)
チームのメンバーがいるところではやはり声をかけづらい。
周りに誰か居たらそのときはほんとうに帰れば良いかと考えて、太郎は踵を返した。
お読みいただきありがとうございます。
週に1話ずつ更新します。
カクヨム様にも投稿しております。




