第34話
芹田に向かって、反町が屈託なく続ける。
「藤堂さんから、なんかマイケルがトレーニングをサボって引き籠もってるって聞いたのさ」
ほんとうは、さらに藤堂から「だから何とかマイケルを外へ引っ張り出せないか?」という相談を受けていたのだが、そこは黙っていた。
「引き籠もりって……ガッコはちゃんと行ってたろーが!」
「そんなの、藤堂さんが知るわけないでしょ? あれだけ通ってたジムにぱったり来なくなったら、そう思われても仕方ないよね」
「けっ」
余計なお世話だ、と芹田はそっぽを向く。
「どう? 身体動かして少しはすっきりしたんじゃない?」
その芹田を追いかけるように、わざわざ反町が前へ回りこんで訊く。
「てめぇ……」
「ん?」
「……まあな。ちょっとはな」
さらに顔を背けながら、ぼそりと芹田は応えた。
確かに、家で悶々としているよりは、まだ動き回っている方が性に合う。
「おお! 今日は素直だなマイケル! そうだよ、人間素直が一番!」
「この野郎……。調子のんじゃねぇ!」
さっと構えを取り、ジャブからストレートへつないで反町に放つ。反町は笑顔を崩さずスウェーで避けた。
「ちょうどいい、もうちょっと運動させやがれ!」
「え! 待ってよマイケル! ここでそれは……」
「うるせぇ! おら行くぞ」
今度は当てる気で、足もしっかり使って反町を追った。
さすがに本気に近いスピードを出した芹田の手数に、反町は避けるだけではさばききれず、ガードも使って防御していく。
いきなり始まった攻防に、周囲にいた何人かが「喧嘩か?」と視線を向けるが、芹田はともかく反町がずっと笑顔なので、どうやら喧嘩ではないらしいとそのまま放置されて、二人の変則組み手はしばらく続く。
基本的に芹田が攻め、反町がしのぐやりとりであるが、たまに反町からぐっと間合いを詰めてくることがあり、そういうときは芹田が一気に飛び退いて距離を取る。
身体が触れるほどの近間だと反町のペースにされるので、芹田がそれを嫌うのだ。
とくに腕を押し当てられると、接点から自分の動き自体をコントロールされてしまう感覚がある。
そうなるとあとはじり貧だ。放置すればどんどん崩されるので、それだけは避ける。
やがて体感で一ラウンドぶんほど動いたあと、芹田が構えを解いた。汗がぶわっと吹き出てくる。
いっぽうの反町は、芹田ほどには汗をかいていない。
「終わり? やっぱりマイケルのパンチは重いよねー。暑いし痛いから、こういうのは止めて欲しいんだけどなぁ」
ガードして受けた腕や足を痛そうにさすりながら、反町が文句を言う。
「まともに当たってねぇくせに、よく言う」
またうまく流されたと、芹田が唇を噛む。
(くっ。やっぱ中国拳法ってのはリズムが合わねぇ)
反町の方が自分より強いとは思わない。
少なくとも負ける気はしないし、真剣にやり合えば、最後は押し切って勝てると踏んではいるが、反町の方にもまだ余力があるのは間違いなかった。
中部中で、芹田が素直に勝ち切れない相手はこの反町しかいない。
以前に芹田は「番格を争う気はないのか」と反町に訊いたことがある。反町は笑って「あるわけないよ」と答えた。
それどころか、「学校に番長なんて古くさいものがいまだにあるんだ? 昔のマンガじゃあるまいし、そんなのとっくに滅んだと思ってた」と真顔で訊いてくる始末である。
芹田も、別に中部中の番長を勝手に自称しているわけではない。市内の中学ではいずれも、なぜか伝統的にその年ごとの番格が決まるのだ。
それぞれの中学によって伝わり方は違うようだが、芹田は先輩から「学校で一番喧嘩の強いのは誰なのか、なるべく早くはっきりさせておくこと」という申し送りのような話を聞かされていた。
学内で一番を決めておくことで要らぬいざこざを起こさないため、また学校間のトラブルの対処のためにも便利な仕組みであるというのが理由と聞いたものの、番格が率先してグループを率い、他校に喧嘩を売りに行ったという年もあったようで、果たしてほんとうに必要なものなのかどうかは芹田にもよくわからない。
東部中の外山のように、徒党を組まず一人で好きに暴れ回っている番格もいて、そもそも外山について、周囲はともかく本人が番格という自覚を持っているのかどうかも不明だ。
芹田が番格になったのは、同学年の不良グループがなんとなく固まってつるんでいるうちに、グループ内で一番強そうな芹田が、これもなんとなく周りから推される形で番格と認められた結果であって、なにも番長決定喧嘩トーナメントがあったなどというわけではなかった。
実際のところは別グループの不良生徒が一人と、粋がった二年生が一人、喧嘩をふっかけてきたことはあったのだが、どちらも蹴散らしてやると、それで芹田の番格が確定した。
ほかの中学でどう決めているのかは知らない。しかし、毎年五月の連休あたりになるまでには、これまたなんとなく各校の番格の名前が知れ渡るのが常であった。
とはいえ、もともと不良グループに縁のない生徒などは、そもそも番格というもの自体のあることを知らないで卒業していくことも多いので、反町も芹田の友人でなかったら、そうした一人であったのだろう。
「さて、すっきりしたところで、煮詰まってた理由を訊いてもいいかい?」
反町が芹田に問う。
「……なんでそんなこと気にする?」
「なんで?」
芹田の反問に、心底不思議という表情で、反町がまた問い返した。
「理由が要るの? 友達の様子が変なら、気になるのは当たり前でしょ?」
「くっ」
この野郎、と芹田は思う。
(ド直球でそんな小っ恥ずかしいセリフ吐くか?)
いいやつだ。
芹田はつくづく感心する。
そして、反町以外にも藤堂のように、自分のことを気にしてくれる他人はまだいる。自分のような不良生徒にとって、そうした人たちが身近にいてくれるのは、きっと得がたいことなのだろう。
そのときふと芹田は、体育館のほうからこちらへ歩いてくる小柄な少年がいることに気づいた。同世代に見えるその顔に目が行った芹田は、飛び上がるほど仰天した。
「て、てっぺん?」
思わず上げた声に、相手も芹田を目に留めたようだ。会話ができるほどの距離まで近づいた少年は立ち止まり、芹田を見てつぶやく。
「……確か、三宮さんの周りにいた人?」
「あ……」
覚えられていたようだ。
芹田がごくりとつばを飲み込んだ。そこで反町は初めて、芹田が向き合う少年の存在に気がつく。
「ん? マイケルの知り合い?」
だが反町はその小柄な少年……太郎を目にして固まった。
吸い寄せられるように視線が釘付けになり、動かせなくなっていた。
次の瞬間、芹田とやり合ったときにもたいして出ていなかった汗が、反町の全身から大量に噴き出した。
(? 圭吾?)
ついには細かく震え始めた反町の変化に芹田はぎょっとしつつ、ひとまずは太郎に向かって尋ねる。
「てっぺんが……な、なんでここに?」
てっぺんと呼び掛けられたことに顔をしかめた太郎は、それでも芹田の問いに対して「バスケの応援に」と素っ気なく答えた。
東部中とは当たっていないので気がつかなかったが、ではさっきまで同じ体育館にいたのか。
東部中の連中が集まっていたあたりに紛れていたのかもしれない。それと知らなければ、太郎の姿は小さいし目立たないから、わからなくても不思議ではないと思える。
実を言えば太郎が応援に来ていたのは男子ではなく女子のほうだったので、体育館でも反対側のエリアにいたのであって、芹田の目に入らなかったのはおかしなことではなかった。
だがそこはどうやらお互いに思い至っていないようだ。
「そ……それは、お疲れ様っす」
突然のことで、自分でもよくわからない言葉遣いになってしまう。
そんな芹田に太郎はちょっと苦笑して、「じゃあ」と言うとそのまま立ち去った。その背中を目で追いながら、やっぱり少しも強者の雰囲気など感じないことに、芹田は複雑な思いを抱える。
「マイケル……」
「ん?」
そうだ圭吾だ。いったいどうしたのか。様子のおかしくなった反町に芹田は目を向けた。
「あれ……いったい、なに?」
反町は芹田を見ていない。すでに遠くなりつつある太郎の背中をまだ見つめている。
「なにって……」
あれがおまえの質問への答えだよ。そう芹田は思った。自分がトレーニングに行く気力を失った原因そのものだ。
「あれ……ほんとに人間?」
「なに? おまえ何を言ってんだ?」
「だって……あんな『気』をした人間がいるはず……ない」
「はあ?」
芹田には、反町が何を言っているのか理解できない。
なぜこんなに衝撃を受けているのか、皆目見当が付かなかった。しかし反町の顔は青ざめて、この男のこれほど尋常ではない様子を見たのは初めてである。
「……ちっと落ち着いて話そうぜ?」
汗をかいたぶん、近くの自販機で冷たい飲み物を買って、公園内の木陰にあったベンチに座った。
もうすぐ陽が落ちるとは時刻とはいえ、上に木があるだけで少しは暑さがマシになる気がする。
芹田がペットボトルを手渡しても、反町はまだどこか上の空で顔色が悪いままだった。
「……マイケル、あれ知ってるんだろう? 誰なんだいったい」
芹田が自分のボトルを半分ほど飲んだころ、ようやく反町が口を開いた。
その反町は、受け取ったボトルの栓も開けていない。
「東部中三年、穂村太郎。東部中の番格の外山ってやつと、次には伝説の喧嘩屋って言われた、喧嘩無敗の三宮さん……まあ圭吾は知らねーかもしれねーが、その二人を立て続けにタイマンで病院送りにした男だよ。三宮さんとの喧嘩はおれも見た。……たった一発だったよ。人間業じゃなかった。その日から、おれらの間じゃてっぺんって呼ばれてる」
いや、勝手に呼ばないで。
太郎がもしこの場にいたら、そう文句を言っただろう。そしてそのときから、自分のやっている強くなるための努力に、芹田は疑問を抱いてしまったのだ。
「一発……あの体格で? いや、むしろ当然なのか」
「当然? 何が当然だってんだ?」
「そりゃ……あ、いや」
反町は、芹田の顔を見て何か答えようとしたまま、口籠もった。
そうして迷った挙げ句、この男にしては似合わないほど遠慮がちな口調で訊いた。
「……ねえ、マイケル。マイケルは、おれが人の『気』を見ることができる、って言ったら、信じる?」
「……『気』だって?」
想定していなかった質問に、芹田は首をひねった。
「あれか、オーラとかそういうやつのことか? まさかおまえ、ナントカ砲って手からビームみたいなの出せるとか言わないよな?」
芹田の返事に、反町がぷっと吹き出す。
「それじゃマンガだって。そんなのじゃないよ、だけどそうだな、オーラって言われると、そういうイメージでもおかしくはないかもね」
反町は、『気』とはごく端的に言えば、生き物の持つエネルギーの一種であると説明した。
「じいちゃんも、言葉ではあんまり教えてくれない。身体で学ぶものであって、話だけじゃ理解できないって。だから、マイケルにわかってもらうのは難しいと思うし、あくまでおれの解釈だから、正しいかどうかは保証できないけど」
そう断わって、反町は話を続ける。
「流派にもよるけれど、中国拳法には『内功』を重視する練習法がある。マイケルのやってるキックみたいに、筋トレ中心で破壊力をアップさせるんじゃなく、呼吸を媒介にして身体の中にあるエネルギーを効率よく循環させ、技に威力を載せるための稽古だよ」
「ああ、それは聞いたことがある」
芹田は頷いた。
ただ、確かにその中身をちゃんと理解できているとは言えない。
むしろ、そんなことでパワーアップできるのか疑わしいと考えていた。
「おれも小さいころから、やり方はじいちゃんに教わってずっとやって来てるんだけどね。でもほとんどカッコだけで、やるべきことができているのかいないのか、稽古の意味はあんまりわかってなかった。それでもとにかく続けてやってると、中学生になってからかな、急にふっとわかる瞬間があった」
「わかるって、何が?」
「『気』の存在」
「はぁぁ?」
芹田の反応に、反町が苦笑いする。
「ま、普通はそうなるよね。でも、ほんとにわかったんだ、あるって。自分にも、周りの人にも。見えてるというか、感じてるというほうが正しい気がするんだけど。自分の中にある『気』をきちんと意識して動けば、技の威力を高められる実感もできた。とはいっても、まあ実際、体験してない人に理解してもらうのは無理だと思うよ。そういう意味では、味や匂いとかに近いのかなぁ」
「近いって、何がだ」
「わかってもらえないところ。相手が体験していない味とか匂いを、実際に味わったり嗅いでもらう以外に、正しく伝えることってできると思う?」
「え? ……いや考えたことねーよ」
芹田は反町の話の脱線加減に面食らって首を振る。
「できないんだよ。これが」
「……そうなのか?」
「そうなの。たとえば、カレーの味や匂いだよって言われたら、それぞれ思い浮かべるものは同じじゃないかもしれないけど、少なくともああカレーねって、まあだいたいの人は想像できるよね」
「……まあな」
「それは、誰もがカレーなら食べたことがあるからだよ。じゃあ、ポラゲーニャ・トロッチの味ってわかる?」
「知るかそんなもん! ぽ、ぽら、げ? なんだって? 料理なのかそれ」
「ほらね。全然想像することができない。これに近い味だよとか、こんな系統の味だよと説明はできても、一度も食べたことのない人に、ポラゲーニャ・トロッチの味を正しく思い浮かべてもらうことはできないんだ。そういう意味ではカレーだって、いままで見たことも聞いたこともない人に、味を正しく想像してもらうのは無理だっての、わかるよね」
「むう……」
なんだか言いくるめられている気はしたが、それでも芹田も反町の言いたいことがなんとなくは理解できたと思う。
「……で、そのポラゲなんとかってのは、どんな味なんだ? 圭吾は食べたことあんのかよ?」
「ん? ないよ。だってポラゲーニャ・トロッチは、たったいまおれが考えた名前だからね!」
「て、てめ……っ!」
そこから、反町の首を絞めようと腕を伸ばす芹田と、そうさせまいとする反町の攻防が始まり、しばし話が途切れた。
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