第33話
夏休み。
市立中学はどこも一斉にスタートとなる。
中部中の番格の芹田マイケルは、休みに入ってとくにすることもなく、暇を持て余していた。
以前は時間があれば、なじみのキックボクシングのジムに通い、トレーニングを行っていたが、ここしばらく足を向けていない。
誰にも負けたくない。
もっと強くなりたい。
あれほどに芹田を突き動かしていた気持ちが、すっかり失われてしまっていた。それもこれも、あの太郎と三宮の喧嘩を見てからだった。
(くそっ。なんだってんだ、ありゃ)
何度思い出しても衝撃的な光景だ。
あの三宮が、相手に一発も入れることができない。
それどころか、触れることさえ許されない。
そして、三宮が動かぬ勝ちを狙ったはずのバウンサー方式の、太郎のあの一撃。
いまだに太郎が何をしたのか理解できていないが、右手一本で三宮を数メートルも吹っ飛ばして勝負を決めた。
あんな小さくて細い体格で、何をしたらあれだけの威力を出すことができるのか。
技にしろ力にしろ、いま自分がやっていることの延長線上にあるものでないことだけは、はっきりとわかる。
それなのに、これからもいままでと同じトレーニングを行うことに、どれだけの意味があるというのか。
芹田にはわからなくなってしまったのだった。いっそてっぺんである太郎と直接話をしたくても、いくら尋ねても東部中の外山は、太郎の連絡先を教えてくれないのだ。
ジムのトレーナーから、少し前までは頻繁に「どうかしたのか?」と様子を窺う連絡が来ていたが、ずっと無視していたので、最近はそれすらなくなった。
通い出して何年目になるのか。
はじめのころよりは、ずいぶんと自分は強くなったはずだ。
でもまだ、現役のプロ選手もいるトレーナーたちには敵わない。
しかしそのトレーナーでも、あのときの太郎に勝てるとは思えなかった。
なのに、自分はそこで何を学べばよいのか。
ふと、携帯端末に着信があるのに気づく。
「……圭吾。へぇ、久しぶりだな」
芹田は思わず声を上げた。
ちょっと出てこないか、と誘ってきた反町圭吾は、小学校の頃からの友人だった。
父親が米系黒人である芹田は、小さい時分から外見でからかわれることが多かった。
地方のこととて、見るだけでわかる黒人の血を引く子どもはそれほど多くなく、いじめの対象にもなりやすい。
さいわいにもいじめのレベルが深刻なものではなかったため、大きな事件にならずに済んだが、些細な喧嘩や、からかいの対象にされて不快な思いをすることはしょっちゅうあった。
やがて成長するにつれ周囲よりはっきりと体格がよくなり、また優れた運動神経の持ち主であることもわかってきて、少なくとも同級生に喧嘩で負けることはなくなった。
その強みを生かそうと、伝手を頼って通い始めたキックボクシングのジムがまたよくなじんで、最近はめきめきと頭角を現してきたところだったのである。
キックボクシングを始めるきっかけになったのが、当時から仲のよかった友人である反町の貸してくれたマンガであった。
クラスメートの中でほとんど唯一、決して芹田の外見を特別視しなかった反町は、芹田にとって貴重かつ重要な友人だったのだ。
ただ、後に知ったことではあるが、反町も実は母親が台湾出身で、日本人ではなかった。
容姿でそれとわかることがなかったため、露骨ないじめなどは受けなかったというが、それでも出自を知った友達が急に態度を変えるといった経験はあったらしく、芹田の境遇が他人事には思えなかったのだという。
それを聞いたときには、反町が差別をしなかったことの種明かしをされたようで、芹田になぁんだという思いがなかったといえば嘘になる。
それでも反町との関係は変わらなかった。その頃には反町の人柄を知りすぎていた。きっかけなどどうでもよいと言えるほど、とっくに仲がよかったのである。
「で、おれはどこへ連れて行かれるんだ?」
市の中心部、繁華街に近いところへ呼び出され現れた芹田は、待ち合わせた反町と並んで歩きながら訊いた。歩くだけで汗ばむ気温のため、あまり機嫌は良くない。
「まあ、そう焦らずに。すぐにわかるよ」
にこにことした表情を崩さず、反町は迷いのない歩みで進んでいく。
二人の通う中部中は、市の中心エリアが校区になっていることもあり、市で運営する施設が多く置かれた地区だった。どうやら、反町は市営の運動公園に向かっているらしい。
大柄で筋肉質な芹田に対し、体格としては平均的で、これといってスポーツ選手には見えない反町の向かう先が、なぜ運動公園なのか。着いたのは、公園の中にある体育館だった。
この日はどうやら、中学のバスケットボールの公式試合が行われているようである。
男女とも公立五校に私立をひとつ加えた六チームしかないため、同じ会場を使い、一日でトーナメント戦をすべてこなして、優勝まで決めてしまう予定が組まれていた。
自分と同様に、運動部になど所属していないはずの反町が、いったい何のためにここへ? と反町はいぶかったが、中部中のバスケ部連中のところへやってきてその理由がわかった。
「はい、今日のユニフォーム」
ぽんと反町から渡されたのは、シューズとバスケチームの公式ユニフォームである。
「……おい、圭吾。おまえ、何考えてんだ? 何のマネだこれは」
「試合に決まってるじゃないか。煮詰まったときは、身体動かすのが一番だよ。ね?」
「ふざけんなてめ……」
芹田が反町の胸ぐらを掴みにかかったとき、横から男子バスケ部のキャプテンである田中が必死の声をあげた。
「すまん、芹田君! おれが反町に頼んだんだ、なんとか芹田君連れてきて欲しいって」
「んだと? どういうことだ」
この日の午前中に行われたトーナメント一回戦。
中部中の相手は北部中で、一進一退のシーソーゲームをどうにか制したのは中部中だった。
喜びに沸いたのもつかの間、レギュラーの一人が試合中の転倒で、足首を捻挫していたことがわかったのだという。
時間が経つにつれて腫れてきたその足では、もう二回戦を戦うことはできそうになかった。それがわかったとき、田中の応援に来ていた反町がふと思いついたのだ。
「マイケルならバスケ得意だろ。代わりに試合出てもらったらどうかなってさ」
「ばか言ってんじゃねぇ、そんなの補欠出しゃいいだろうが」
「……いないんだ」
田中が力なく答える。
「いない? 補欠いないのかよ? え? 一人も?」
昨年優勝を果たし、勢いに乗る女子バスケ部と異なり、中部中の男子バスケ部は、何年も低迷していた。
めぼしいメンバーもなかなか集められず、レギュラーは三年生が四人、二年生が一人である。もう一人二年生はいたが、練習中の怪我でいまはマネージャーをやっていた。交代メンバーは一年生ばかり四人。
補欠ではあるけれど、三年生に混じって公式戦に出られるレベルにはなかった。もともと試合のできるぎりぎりで勝負しているのだ。
「芹田君なら、いきなりエースでも任せられる。お願いだ、試合に出てくれないか」
土下座しそうな勢いで田中から頭を下げられ、芹田は困惑した。
訊けば、男子バスケが一回戦突破したのは数年ぶりであるらしい。悲願の二勝目を何とか挙げたい、力を貸して欲しい。そう懇願された芹田は反町を見る。
「やっちゃいなよ? できるでしょ、マイケル」
芹田の父親は、学生の頃にNBAプロチームのスカウトが観に来たことがあるほどバスケットボールが得意で、まだ息子が幼い時分から遊びがてら、よく一緒にボールを追っていた。
遊びとはいえ中身はかなり本格的であり、父親の本場仕込みの指導に持ち前の運動センスも加え、父の知り合いのアメリカ人チームで揉まれてきた芹田の実力は、バスケ部でもないのにおそらく田中よりずっと上である。
「……ち」
芹田は見上げる反町の笑顔から目を逸らした。
「……しゃーねぇ。やってやるよ」
「ほんとか! ありがとう!」
「いよっ! さすが番格! 漢だな」
田中が飛び上がって喜色を露わにする。囃し立てた反町には、とりあえず「黙ってろ」と返しておいた。
「おい、だけど部員でもないおれが飛び入りして大丈夫なのか?」
「試合前にメンバー表の交換はするけど、そこにバスケ部所属のこと、なんて規則は書いてないしね」
「なんだよ、そのザルなルールは……」
中部中男子は顧問の教員も姿が見えない。主将とはいえ田中が独断で芹田に代役を頼めるのはそのためだ。女子バスケ部の熱心な指導とはかなり温度差があった。
「中部中の生徒なのは間違いないんだ、文句は出ないと思うよ」
「けっ。……圭吾、てめーあとで覚えてろよ?」
「うん」
芹田がかなり本気で放ったジャブを、反町は難なく躱して満足そうに頷いた。
そのやりとりを、田中が目を丸くして見ている。
「二回戦、何時からだ? ちょっとはアップさせろ。あと、チームメンバーも見ておきたい。……いまから何やっても連携がうまいこと行くとは思えねーが、それでもやらないよりはマシだろう」
「わかった、すぐ全員で用意する。あ、試合はいまやってるのが終わってからだから……だいたい40分後くらいだよ」
チームメンバーに芹田の参加を伝えに戻った田中を見ながら、芹田は反町からあらためてユニフォームとシューズを受け取る。
ユニフォームはその捻挫したレギュラーのものらしく、芹田にはギリギリ着られるかどうかといったサイズだったが、シューズはどこから調達したものか、芹田の足にぴったりだった。
(この野郎、なんでおれのシューズのサイズを知ってやがんだよ?)
芹田は反町を睨み付けたが、本人は知らないふりで試合中のコートの方を見ていた。
夕暮れも近いころ、公園内のもと来た道を引き返しながら、反町は相変わらずにこにこと笑っていた。
「惜しかったねぇ。あのスリーポイントが入ってたらねぇ、もうちょっとで勝てたかもしれないのに」
「……うるせーな。こっちも久しぶりにボール触ったんだ、仕方ねーだろうが」
もともと全部で六チームのため、トーナメントでは昨年決勝に残ったシードの二校以外は一試合ずつ多く競うことになる。
中部中と北部中の試合がそれで、中部中にとっての二回戦は、相手チームの一試合目になるのだった。
しかも相手は昨年の優勝校である西部中。元気いっぱいの優勝候補筆頭校を相手に、芹田の加わった中部中はよく戦った。
しかし第四クォーター、芹田の放ったスリーポイントシュートが入っていれば同点という場面で、ボールはゴールに弾かれてしまう。そしてリバウンドを相手に取られ、そこから追加点を入れられ……終わってみれば、10点以上の差がついて、中部中は敗れた。
「まあ、弱小と見られてたうちが、もうちょっとで勝てそうなところまで西中を追い詰めたんだからね。さすがマイケルだよねー」
試合前、相手チームから舐められていたのは芹田も感じていた。
一泡吹かせたくて張り切った芹田の活躍は大きかったが、チームとしての地力の差は如何ともしがたく、勝てなかった。
キャプテンの田中は泣いていたものの、芹田にはきちんと感謝を伝えてくれた。
結局大会は、西部中が二連覇を果たした。
決勝では中部中相手よりも大差を付けて勝った。
それを最後まで見守り、チームのメンバーがやりきったと思えているのなら、とりあえずは優勝校を本気で慌てさせたところまでで、よしとしなければなるまい。
ふと、芹田は試合前に反町が言ったことを思い出して訊いた。
「おい。そういや、おれが煮詰まってるって話、なんで知ってる。どっから聞いた?」
「ん? 藤堂さんだよ」
「……また、おまえんとこのじーちゃん経由か」
「そういうこと」
くそっと吐き出して、芹田は頭を抱えた。
藤堂は、芹田の通うジムのトレーナーの一人だ。プロのキックボクサーで日本ランカーだが、まだタイトル戦を行ったことはないと聞いている。もっと強くなるためにジムでのトレーニングのほか、自主的に中国拳法の指導者である反町の祖父から、手解きを受けているのだという。
反町の祖父、黄俊宏は台湾生まれの中国拳法の達人である。
そして反町の拳法の師匠でもあった。
太極拳と八卦掌を得意とするが、ただし本人の拳法家としての業績よりも、指導者としての評価のほうが高い。
その弟子には、台湾のみならず中国全土の武術大会のチャンピオンや、アメリカへ渡ってハリウッドの有名なカンフーマスターとして活躍している俳優などが、何人もいるらしい。
もとは台湾で道場を開いていたが、一人娘が日本人と結婚したのを機会に日本へやって来て、そのまま帰化してしまった。
藤堂は黄の道場へ稽古に通うわけだが、そこにはじいちゃん子である孫の反町がよく入り浸っていることから、二人には以前から面識があるのだ。というか、そもそも芹田にいまのジムを紹介したのが、この反町の祖父の縁でもあった。
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