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第32話

 ほどなくして太郎が、迎えに来た亜佳音にまとわりつかれつつ客間からリビングへ移動すると、残った斉藤はちょっと怖い顔になる。

 その表情を見ていた武雄が斉藤に訊いた。

「……そろそろ教えてくれないか。いましがたのやりとりは何だい?」

斉藤が硬い表情のまま問い返す。

「あの子、いったい何者ですか」

「さあ、私もまだ会うのは二回目なんだ。詳しくは知らないが、まあ姪のクラスメートで、なかなかの読書家だ。そして中学生なのに大人もびっくりの格闘技の達人、かな?」

「達人……ではないかもしれませんね」

「というと?」

「むしろ、超人とでも言おうか……」

「超人? そいつはまた……」

妙なことを言う。

 斉藤の言葉選びに、武雄は困惑を隠せない。


 「市長、ご存じかもしれませんが、私は署長のいまでも、現場に出ている連中と同じ武道の稽古を欠かしていません。その甲斐あって、柔道も、剣道も、署内で私と互角に戦えるものは多くない」

「ああ、そうだってね」

若い頃に剣道の全日本選手権で何度も名を馳せたこともある、斉藤の厳しい自己鍛錬は市長の耳にも入っていた。

「それに加えて、趣味でやっている合気道も、有段者です」

いや、それは趣味の域を超えていないか? と武雄は思ったが、口に出して指摘はしない。

「その私が、不意を突いて彼の手首関節を極めようとしたんですが……」

「ほう、手首を……なんだって?」

武雄は仰天して思わず訊き返す。初対面の中学生にいきなり関節技だと? この男はなんてことをするのか。


 「それが、極まらなかったんです。防がれました」

「なんと! それはすごいことなんじゃないか。そういうのを、達人というのではないのかね? 中学生の少年に対して使うのはどうかと私も思うが……」

「……いえ」

斉藤は、握った自分の右手を見つめながら答えた。

「技で返されたのならそうでしょう。でも、彼の防ぎ方はそうではなかった。一瞬で手首全体の筋肉を締めて、完全に固められたんです。そうなったらもう、手の形をした石の塊のようでした。可動部がなくなって、技を極めようにもどうしようもなかった。あれはただの怪力です。技ではない」

正直、武雄にはその違いがよくわからなかった。


 「武道は、技で力を凌駕することが真髄です。力の弱いものでも、武の技術で勝れば自分より力の強いものを倒すことができる。なのに、曲がりなりにも数十年の武道経験のある私が、力だけで技を防がれるなどというのは……いったいどれだけ力に差があったら可能だというのか。いっそ彼が技で返してくれたなら、まだ驚きは小さかったでしょう」

そう言って開いた斉藤の手は、じっとりと冷たい汗に濡れていた。

「市長」

「うん?」

「中学生の少年が誘拐犯三人を捕まえたこと、市長は事実とおっしゃいましたね」

「ああ、言ったとも」

斉藤はふうっと大きく息を吐く。

「いまやっと、それがほんとうに事実なのだと、私も理解しました」


 警察署では連日、誘拐犯三名の取り調べが続いていた。

 なんとか誘拐を依頼した黒幕の名前を言わせようと、刑事たちがあの手この手を使って尋問するが、なかなか結果は芳しくない。

 そうした中、物証担当の若い刑事が、ベテラン刑事を呼び止めた。

「あ、このあいだ頼まれてた検査の結果、出ましたよ」

「お、そうか。見せてくれ」

若い刑事は、誘拐犯のうちの元森に関する分析データを持ってきたのだった。

「おい、これ……」

ベテラン刑事は、資料を見て意外そうな顔をする。

「ええ、そうなんですよ。元森の右手と衣服の袖口から、硝煙反応が出ました」

硝煙反応は、銃を撃ったときの火薬の燃焼ガスに起因する、付着物によって起きる反応である。

 実弾を撃ったかどうかの判定に多く用いられる。


 「奴さん、直近で銃を撃ってますね」

「うーん。薬物反応も出たんだろう?」

「ええ、あんまりにも言うことが支離滅裂だったんで、真っ先に検査されましたから」

採取された元森の尿からは、覚醒剤の反応が出ていた。薬物の影響のため、精神的に混乱した状態にあって、記憶や思考が正常ではないのだと考えられていた。

「シャブ中の言うことだからなぁ。まともに取り合う価値もないだろうと思っていたんだが……」

「少なくとも銃を撃ったことだけはほんとうです」

「しかし、薬莢や弾痕はなかった」

「それも事実ですね」


 市長宅はじっくり捜査されたが、拳銃はもちろんのこと、発射された弾丸もなければ、その痕跡さえ見つかっていない。

 撃たれて怪我をした、という該当者もない。もし実際に家屋の中で実弾を撃たれたのだとしたら、最低でも弾痕くらいは残っていなければおかしい。

 物証が見つからない以上は、銃を撃ったという証言そのものの方が間違っている、と捜査本部では考えていた。

 だがベテラン刑事はどこか引っかかりを感じ、硝煙反応を見るよう若手に指示したのだった。それがまさか、ほんとうに当たってしまうとは、刑事本人も予想していなかった。

「どこかには拳銃があったってことか」

「しかもそれを実際に撃っていると」

「ち! まったく面倒くせえな」

ベテラン刑事が吐き捨てる。


 犯人の三人、被害者である世羅家の面々、さらに当日客として来ていた中学生二人、警備の警官まで含めても、拳銃があった、撃ったと言っているのは元森だけだ。

 誘拐側の城崎、高橋については嘘を吐いている可能性もあるが、そのほかの被害者側や、警官までが事実と違うことを証言するとは考えにくかった。

「……だが結果出ちまったもんは仕方がねぇ。あの場で見られていない以上、市長宅で使われたのではないかもしれないが、拳銃自体は再度探す必要がありそうだな」

実在したなら、その所在を確認して押収する必要がある。

 捨て置くには影響が大きい。

「もう一回、拳銃にネタ絞って尋問し直すしかねぇか。ああ厄介なことさせやがる」

「……ですね」

ベテランのぼやきに、若手が苦笑で応えた。

 だが、警察側の懸命の捜査にもかかわらず、ついに拳銃が見つかることはなかったのだった。


 終業式の日。

 学校から昼前に帰った太郎は、母親の用意してくれていた昼食を一人で食べ、自室でさっそく夏休みの宿題を少し進めてから、ベッドに寝転がって読みかけの文庫本を広げていた。

すると、なにやらコツコツと小さな音がすることに気がつく。

(何だ? 窓から?)

立ち上がり、窓のそばへ行くが、とくに変わったことはない。

(気のせい? いや確かに音がしていた)

と、またコツコツと窓ガラスを叩く音。


 音のする方を探すと、窓の一番下に動くものがあった。

「……バッタ?」

そこにいたのは一匹のトノサマバッタであった。前脚の一本でガラスを叩いている。

「え、ガラス叩いてたの、おまえなの?」

もとより太郎の聴力は人間離れしているが、太郎でなくとも聞こえるほどに、虫の小さな脚で立てた音にしてはずいぶんと力強いものに聞こえる。

「……なに? 入りたいわけ?」

太郎が思わず独り言のように口にした問いに、バッタが「そうだ」と答えた気がした。いやそんなバカな、とは思ったが、バッタはガラスを叩くのを止め、太郎の方を見ている……ように見えた。


 「??」

不思議な思いに駆られながら、太郎は「暑いから、ちょっとだけだよ」と言いつつバッタのために少し窓を開けてやる。

 バッタはぴょんと跳ねて部屋の中に入ってきた。

 いやほんとに来たよ、と太郎は面白がりながら、窓を閉めて、バッタに向かって指を差し出した。

 バッタはさらに飛び跳ね、太郎の人差し指に止まる。

「あっ!」

バッタの脚が皮膚に触れたそのとき……太郎はすべてを理解した。

「おまえ……まさか。あのときテントにいた……」

キャンプで太郎がナノマシンの身体になった日の前夜、テントの中に一匹のバッタがいたのだった。

 季節外れの早熟なバッタが、翌朝どこに行ったのかと思っていたが……。

「おまえもナノマシンにされてたのか!」


 知的生物のみを再生したと言っていた宇宙人だが、いま接触してわかった。このバッタも、太郎と同じナノマシンでできている。微生物は無視したはずが、昆虫は人間との中間で判定が知的生物側に振れたのか。

(……いや違うな、なんかもっと親近感がある)

太郎は、単に同じナノマシン製であるという以上の近しさを、このトノサマバッタに感じていた。

(うん? ああ、そういうことか?)

おそらく宇宙人の衝突の瞬間、バッタは寝ていた太郎の顔か頭にでもくっついていたのではないか、と太郎は考えた。

 太郎の一部と見なされて、再生に巻き込まれたに違いない。

 そうしてあのキャンプ地から、二ヶ月以上かけてここまで太郎を追ってきたのだろう。

 「なんというか……。良かったな、なのか、ご愁傷様、なのか。どっちの気分?」

バッタは触角を動かすだけで、何も答えない。ところが、ふいに太郎の脳裏へ膨大な量の情報が流れ込んでくる。

「え、これって……」


 バッタが太郎とはぐれてから、ここまで来る間の長い長い旅路の映像であった。

 ナノマシン同士の接触のためであるのか、バッタの記憶が共有されたのだ。

 はじめはバッタの複眼から見た映像そのままで、虫の視界に太郎の脳がパニックを起こしかけたが、すぐさまチューニングされたらしく、イメージしやすいものに切り替わる。

 膨大な情報量が、ものの一分足らずで一気に太郎の中へ詰め込まれていた。

 バッタは飛翔能力の高い群生相形態ではなく、見慣れた緑の孤独相だったため、一気に長距離を飛ぶといった移動は難しかったらしい。

 おそらく太郎の位置を示す何らかの信号を頼りに、少しずつ移動を続けてきたようであった。

「……うわぁ、ここまでお疲れ様だったんだ。よく頑張ったね」

労う太郎に、バッタがまた触角を動かす。心なしか、さきほどより嬉しそうにしている気もするが、それが正しいのかどうかはわからない。


 ただ、ちょっと気になるシーンもないではなかった。

「おまえ、何度か捕食されかかってたよね?」

道中、カマキリに二回、モズと見られる鳥に一回、このバッタは捕まっていた。

「で、返り討ちにしてたね?」

バッタが触角を振って応える。

 共有された記憶から見る限り、太郎と同様に、バッタも通常より遙かに強力な身体を手に入れたようだった。

 ただ、使い方はあまり上手ではないらしい。

 その気になれば相当なスピードが出せるはずなのに、あっさりと捕まっている。


 カマキリは自慢のカマでバッタを捕らえたものの、捕食どころか傷つけることにさえ至らず、逆に二匹ともカマごと脚を引きちぎられていた。

 そのあとは武器を失ったカマキリの方が、バッタにまるごと食べられたのである。

 トノサマバッタは昆虫なども食べる雑食であるが、天敵であるカマキリを食べてしまったケースはきっとレアであろう。相手が悪かったとしか言いようがなかった。

 いっぽうのモズは、いったんバッタを咥えて丸呑みしたのだが。

「こっちはモザイクかけて欲しかった……」

太郎はげんなりした様子でそのシーンを思い返す。


 バッタは、呑み込まれた内側からモズの身体を食べ始めたのだった。

 モズは苦痛に激しく暴れたが、バッタを吐き出すこともままならず、結局そのまま落ちて悶死した。

 その後バッタはモズの腹を突き破って脱出、さらにモズの死体のかなりの肉を食べてから立ち去った。

 虫相手の捕食シーンはまだましだったが、血の出るほうはどう転んでもグロ映像でしかなく、太郎の精神をごりごりと削りにくる内容だった。


 とはいえ、いずれも相手がバッタを食べようとしたのが先だ。

 それ以外にバッタから自ら動物を捕まえにいったことはなく、普段は好物と見られるイネ科の草を中心に食べていた。

 動物系の餌のほうが摂取できるカロリーは遙かに大きいため、エネルギー効率が良いはずだが、カマキリやモズ相手のとき以外では、地道に大量の草を食べてエネルギーとしてきたらしい。

 ただそれだけに、このバッタが強力なパワーやスピードを出せる時間はかなり短いようだ。

 ここぞという瞬間のみに近く、一定時間使い続けるシーンは見られなかった。

「基本がセーフモードなの? ……それは大変だったなぁ」

バッタがまた触角を振る。今度は、いやいやなんのなんの、と言っているように見えた。


 さて、と太郎はあらためて考える。

(このバッタ、これからどうしよう?)

それが問題なのである。

 何しろ、母親の京子が大の虫嫌いであった。

 そのため、太郎は家で虫の類いを飼ったことがない。

 小学生の頃には、人並みにカブトムシやセミなどを捕まえたり、家に持ち帰ったこともあったのだが、飼うことに関しては頑として京子が許可をしなかった。

 小さな子どもにありがちな、セミの抜け殻集めさえ許してもらえなかったほどだ。


 学校の教材としてどうしても蚕の飼育をしなければならなかったときは、父の浩太の書斎に飼育箱を持ち込ませ、京子は一度も部屋に入らなかった。

 居間などの生活スペースはもちろん、小学生の頃の太郎の部屋にも、日々母親の京子がまったく入らないでいることは難しかったので、自分の目に入るところに飼育箱があるのは耐えられない、と主張され、浩太が折れたのだった。

(基本は蓋をしてあって見えないのに、それでもダメだったものな)

その中に確実にいる、と思うと、それだけでもう無理なのだそうだ。

 まして蚕が桑の葉をさくさく噛む音など聞こえようものなら、気が遠くなってしまうと言って聞かなかった。


 いまは自室の掃除など太郎が自分でやっているし、以前ほどには京子が部屋に入ってくる頻度は高くないが、それでもまったく入ってこないわけではない。

 うっかり虫かごを見られたり、バッタそのものが目に入ってしまうと、大騒ぎに発展しそうだった。

(ん? 待てよ。普通のバッタじゃないんだ、放し飼い……というか、好きにさせとけばよくないか?)

どうやらコミュニケーションは可能なようだし、そもそも向こうから来ているのだから逃げてしまう心配もない。自分の分身……とまでは言わないが、近しい存在であるバッタをわざわざ閉じ込めておく必要はないはずだった。


 太郎は、いまは机の上にいるバッタに向かって、右の人差し指を突き出す。

 バッタも応じて脚を一本上げ、太郎の指に触れてきた。

「うちの庭の好きなところで、好きに草を食べながら住めばいいと思うんだけど、どう? 部屋に来たいときは窓から入れてあげるしさ」

たまには野菜くずなどもごちそうできるだろう。

 そう言って提案をイメージすると、バッタはくいくいと大きく触覚を動かした。……OKのサイン、のように見えた。

 ついでに京子のイメージを頭に思い浮かべ、この人には見つからないように、と念を押しておく。

(うん、これでたぶん伝わった……はず)

太郎の気のせいかもしれないが。


 実際のところ、バッタが家の中で見られない限りは、そうそう問題にはなるまい。

 そこそこ手入れはされているが、雑草も遠慮なく生えている穂村家の庭である。

 さすがに土や植物の見えている土地であれば、虫や生き物が何もいない、ということはありえない。

 庭にバッタを一匹見かけたところで、それはやむを得ないと思ってくれるだろう。……たぶん。

「それじゃ、おまえに名前を付けなくちゃな」

太郎は考え始める。

 とはいうもののペットを飼ったことがないせいもあって、自分のネーミングセンスがいかほどのものなのか、自信はなかった。

「ポチ、タマ、トノサマ、トノ、バッタ、バタ朗、バタ吉、バタ蔵、バタ助、バタ衛門……」

指折り数え上げてみるが、バッタはどれにもピクリとも反応しない。

「えー? ダメかこういう路線は。うーん。バッタ……英語ならグラスホッパー……。じゃあ、グラス。いや違うな……そう、ホッパーはどう?」

意味だけ取れば「飛び跳ねる者」になってしまうが、確か昔のアメリカの映画俳優にも、そんな姓の人がいたように思うので、命名としておかしなものではないはずだ。

 するとバッタは、後ろの四本の脚で立ち上がり、前の二本の脚を万歳のように振って見せた。

「あ、気に入ってくれたんだ? よし、今日からおまえはホッパーだ。よろしくね」

こうして穂村家には、一匹の風変わりなトノサマバッタが密かに住み着くこととなった。

お読みいただきありがとうございます。

週に1話ずつ更新します。

カクヨム様にも投稿しております。

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