第25話
「それにしても穂村君、あなた見かけによらずたくさん食べられるのね」
「あ……すみません。なんかぼくばっかり」
多佳子の言葉に、思わず太郎は箸を置いて謝ってしまう。
「ううん、むしろ食べてくれた方が嬉しいから、いいのよ。どんどん食べてちょうだい」
「あ、そうですか? じゃあ遠慮なく」
再び太郎は箸を取る。
誕生日のお祝いとあって、テーブルには所狭しと料理が並べられていた。
年若い来客もあるのに、あとで足りなかったなどと思われたら沽券にかかわると、多佳子が張り切ったのだ。
普通なら幼児を含めた五人ではとても食べきれないほどの量だったにもかかわらず、話をしながらも太郎がひたすら食べ続けていて、かなりの皿が空になりつつあった。
ことりは太郎が大食漢になったことを知っていたし、多佳子は成長期の男子が食べる量ってこんなにすごいものなのかしら? と感心していただけだったが、武雄は実のところ驚愕していた。
10代でテニスに打ち込んでいた頃の武雄も、親が呆れるほどよく食べたものではあるが、ここまでの量を平気な顔で平らげることはしなかった。しかも太郎の体格は、当時の武雄と比べても小柄である。
亜佳音は好きなものだけ食べたら早々にケーキ待ちに入っており、ことりも太郎の横だとなんとなく遠慮してしまっているのか、ふだんほどには箸が進まないようだった。
大人二人はもとよりお客を優先して譲っていたため、実はほぼ太郎ひとりで食べていたようなものであったから、なおのことまったくペースを落とさず、目に見えて皿が空くのは驚きの光景だったといえる。
食事が済んだ後はみな、事件に関する話題をなんとなく避け、ケーキにろうそくを四本立てて、改めておめでとうと言ったり、亜佳音にそれぞれプレゼントを渡したり、ただただ亜佳音の誕生日を祝って終わった。
太郎のあげたクマっぽい何かのぬいぐるみは亜佳音に気に入られたようで、さっそく「太郎ちゃん」と名付けられ、思わず「なんでよ」と突っ込みかけた。
自分と同じ名前の付いたぬいぐるみが目の前にあるのはなんとも妙な気分であったが、亜佳音にしてみれば、太郎からもらったことと、ぬいぐるみに太郎の名前を付けることは、もしかしたら同じ意味を持つのかもしれない。
そうして太郎とことりが世羅家を辞した頃には、初夏の陽もとっぷり暮れた時間となっていた。
別れ際の玄関で、亜佳音は二人にぶんぶんと手を振り、ちょっと泣きそうになりながら「太郎ちゃん、またね! また来てね!」と繰り返すので、太郎も「うん、またね」と応えた。ことりに対してならわかるが、自分のような幼児慣れしていない無愛想な人間が、またずいぶんと懐かれたものだと不思議で仕方がなかった。
時間が時間でもあり、武雄が二人をクルマで送ってくれることになった。
そのため、ことりと二人きりになる必要がなくなって、太郎は誕生会のあいだじゅうずっと態度のおかしかったことりと、家に着くまで気まずい時間を過ごさなくて済むとほっとした。
そこには一方で、自分が知ってしまった自分の身体の秘密を、どこまでことりに明かすのか、いますぐに決める必要がなくなった、という気持ちもあった。
宇宙人の件を、ずっと自分一人の胸に秘めておく、という選択肢もあるが、ことりが太郎の話を全面的に信じてくれたときの嬉しさ、安堵感というのはもはや太郎の精神的な安定を大きく支えるものであることを、太郎は自覚していた。
親にも決して話せないであろう秘密を、この先たった一人で抱えていく辛さは選びがたく、もし聞いてもらえるのなら、ことりにすべて話してしまいたい。
だがさすがにこれだけめちゃくちゃな話となったら、いくらなんでも今度こそ正気を疑われて、拒絶されてしまうかもしれない。
逆に、自分がほんとうにもう人間ではなく、人間をコピーしたナノマシンであるなどと認識されたら、それはそれでバケモノ扱いされ、気味悪がられて二度と近づくことさえ許されなくなるかもしれない。それに耐えられる自信はなかった。
悩み続けるしんどさはあっても、決断を先延ばしにできる時間が、いまはありがたいと太郎は考えた。
さらに今日は、ことりが多佳子と最後にキッチンで交わした会話も気になっていた。
聞く気になればすべて聞き取ることもできたものを、途中から盗み聞きしているようで気恥ずかしくなった。
そのあと懸命に聞かないよう集中を乱していたので、結論は知らない。だがこれもまた、太郎がことりと二人きりになりたくない理由のひとつだった。
帰る少し前、テーブルを片付ける多佳子から「ちょっと手伝ってもらえる?」と頼まれ、ことりは素直に応じてキッチンまで一緒に食器を運んだ。
太郎も「手伝います」と立ち上がったのを、多佳子はやんわりと断わって、ダメ押しに亜佳音をぽんと太郎に押しつけてから、キッチンへ二人で籠もる。
多佳子がざっと食器の汚れを落としたものを、ことりが食洗機へ並べていく分担作業をしながら、不意に多佳子がことりに尋ねた。
「ことりちゃん、どうかしたの? 途中からずいぶんと穂村君の意識の仕方が変になっちゃってたけど」
「え!」
手にしたお皿を危うく落としそうになり、ことりは慌てて持ち直す。
わからないはずはなかった。
自分でもあれだけ不自然な態度になってしまったので、周りが察していないわけがなく、とくに多佳子は絶対に気づいていたと、ことり自身も思っていた。
「あ……えっと、その」
お姫様抱っこが、とはさすがに恥ずかしすぎて口にできない。ことりは口ごもったが、多佳子はじっと作業を続けながら待っていた。
「太郎ちゃ……穂村君が、わたしを不審者から助けてくれたとき……その、びっくりするくらい力強くて、すごく驚いちゃって……」
「ふんふん、それで?」
多佳子がにまにまし始めているのがわかる。
「そのときは、お礼も言えないくらいテンパっちゃってたし、すぐに穂村君のほうが犯人追いかけて出て行っちゃったから……」
「うん、そうね」
「戻ってきて、穂村君の顔を見たら……なんか、かぁっと身体が熱くて自分でもわけがわからなくなって……」
「ほうほう」
「それからずっと変で……どうしちゃったんだろ、わたし……」
最後は多佳子に話すと言うより、自分に問いかけるようなつぶやきになってしまう。食器を持った手も止まって、多佳子の洗った皿などがことりとの間に積み重なりつつあった。
「ふむふむ。それは、あれね!」
「あれ?」
「ずばり、惚れ直したってやつね!」
「ほひゃっ?」
どこから出たのかわからないくらいおかしな声が出た。惚れ……直す? それは前から惚れているときに使う言葉だ。
「おば、おば、おば、伯母さん?」
「吊り橋効果ってのもあったかもしれないわねー。命の危険があるときに見ると、相手がより魅力的に見えてしまうってやつ。だって誘拐犯をやっつけて、ことりちゃんを助けてくれたんでしょう? そんな相手がかっこよく見えるのは当たり前じゃない。だから好きがオーバーヒートしたのよ、きっと!」
「す、好きって! しかもオーバー……伯母さん、わたしそんな……!」
「あらぁ?」
ちらりと、わざとらしい流し目で多佳子がことりを見る。ことりのほうが背は高いので、多佳子が見上げる形になった。
「違ったか・し・ら?」
ことりは言葉が出ずに絶句する。
「もし違ったんなら、いずれ穂村君を亜佳音のお相手に考えてみようかなぁ~」
「え?」
なぜそこで亜佳音の名前が出てくる?
「ことりちゃんが好きな相手じゃないんだったら、せっかくのご縁だし、亜佳音が成長したときに穂村君とくっつけてみるのも楽しいと思うのよねぇ」
「ちょ、伯母さん、だって亜佳音ちゃんまだ四歳……」
「いまは、ね。あなたたちは15歳でしょう? 年齢差は11歳。いまは子どもだから大きな違いだけど、そんなの大人になったらぜんぜん問題なくなるわ。そうねぇ、大学卒業したとして、亜佳音が22歳のとき、穂村君は……33歳ね、なかなかいいと思わない?」
「だめ! そんなのだめ!」
思わずことりは叫んでしまう。
一瞬、成長した亜佳音の横に立つ太郎を想像してしまったのだ。
知らず、目尻に涙が浮かんでいた。唇もわなわなと震えてしまう。それを見た多佳子は慌て出す。
「ごめんごめん、冗談よ! ……ことりちゃんの反応があんまりにもかわいくって、ついつい意地悪したくなっちゃったの。ごめんね、ほんと」
「伯母さん、ひどい……」
「ごめんなさい。謝るわ、このとおり」
焦った多佳子が渡してきたタオルで、ことりは顔を覆う。
ことりが完全に機能停止したので、多佳子は一人で食器を食洗機へ並べるところまで、作業を進める。
水の流れる音と、カチャカチャと陶器の触れ合う音が続いた。その手を休めずに、やがて多佳子は静かにことりへ声をかけた。
「ね。ことりちゃん」
タオルで顔を覆ったまま、ことりは耳だけ傾ける。
「自分の気持ちをよく聞いてね」
「気持ちを……聞く?」
「そうよ」
多佳子は頷いた。
「わたしたちは、見栄とか意地とか遠慮とかのために、ついつい気持ちと違うことを言ったり、したりするわ」
「……」
心当たりは、ある。
「周りの人の意見に流されたり、友達からどう見えるかを気にしたり、ね。思ってもいないことをつい口にしてしまったりする。でも、それはやっぱり、あとからきっと悲しい思いをすることになるのよ」
それも、心当たりがある。
「とくに、好きって気持ちは、とても大切。別に男の子相手の好きだけじゃないわよ? どんなことや人や物に対してでもそう。好きって気持ちに、嘘をつくのはとってもつらいの」
「……伯母さん」
「それに、好きになったときだけじゃないわね。好きじゃなくなったときの気持ちにだって、嘘をつくのはよくないと思うの」
ちょっとわかりにくいが、たとえば好きじゃないのに続けなければいけないときのことだろうか。
ふと、一年生からずっと一緒に続けてきたのに、三年生になる前、急にバスケをやめてしまった友達のことを思い出した。
彼女は、バスケが好きではなくなっていたのだろうか。だったら、やめて辛くなくなったのか。それとも、気持ちに嘘をついて好きなバスケをやめ、いま辛い思いをしたりしているのだろうか。
「まあね、気持ちに正直ならよい、というものでもないわね。他人に迷惑かけても正直を貫き通すとなれば、またちょっと話は違うのだけれど……。ただ、もしあなたが、自分のことをわからないと思うなら、それは自分の気持ちがきちんと聞けていないってことだと思うのよ。だから、気持ちに嘘をつかなくて良いように。よ~く耳を澄ませて、胸の奥から出てくる気持ちの声を聞いてみるといいわ」
「……うん」
ことりは、タオルからそうっと目だけ出して多佳子を見る。
「そうするわ、伯母さん」
多佳子がにっこりして頷いた。
武雄の運転する国産セダンは、後席のひとつが亜佳音用のチャイルドシートで埋まっていたため、ことりは助手席を太郎にゆずり、自分は後席へ収まっていた。
太郎と話したいことはいくらでもあったが、少なくとも武雄の前ではそのほとんどが口にできないことだった。
それ以上に、相変わらず太郎の顔をまともに見ることができないでいたため、二人きりになれないのは残念なのか、それとも却って助かったのか、まだ自分でもわからずにもどかしかった。
走り出すクルマの中で、窓から夜の闇を眺め、ことりはじっと考え込む。
自分の気持ちは、なんて言ってるんだろう? 自分のほんとうに望んでいることって何だろう?
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