44-2.人であること
少年を殺さなかった事と、神の命を狙っている事は、イースターにとっては必ずしも矛盾しない。音楽は愛するべきものであり、新天の神の信念は駆逐するべきものと感じたからだ。
イースターとトーラン王達は翌日、ディーバンを含めた魔石の扱える竜族の者を四名、城の中庭に集めた。星降る夜の神はその四名の真ん中に立った。
話を聞いたゴーデンら数名の戦士が中庭の隅で待機しているものの、一応極秘にそれを行うという事で他の竜人達には知らせていない。しかし星降る夜の神が今この場に存在しているという事をみんなが忘れてしまっているはずもなく、トーランが何かしようとしている事はすぐに一部の者には知られた。それを知った者達は建物の中などからこっそりそれを見学している。
カノンとニルマも隠れてそれを見ていた。グラーンが中庭の見える場所を教えてくれたからだ。遠くから見える星降る夜の神の存在は昨日よりも虚ろに見えた。
「約束だ。おれは星神には手を出さない。おまえ達が触れてみろ」
イースターがそう言うと、ディーバン達は星降る夜の神に近づく。
「星降る夜の神よ、失礼いたします」
ディーバンらは手を伸ばした。しかしその手は星降る夜の神の体を簡単にすり抜けた。
「何かに触れているような感触はあるんだが」
魔石使い達は戸惑ったように、何度も星降る夜の神に手を伸ばす。
「まあ想定内だな」
イースターは軽く肩を竦める。そしてから手元から離していた大剣を取り、一瞬にして魔石使いを一人斬り殺した。
「食え」
――何?――
「そいつらを食え。おれが殺しといてやる。心臓を食らえ」
途端にイースターと戦士達の戦闘が始まる。それを見たカノンとニルマも飛び出していた。
今日は剣を持ってきている。広い中庭を突っ切って、カノンはなんとか今まさに斬り殺されようとしていたゴーデンへの一撃を受け止めた。しかしその膂力に弾かれ、体勢が崩れる。イースターは「邪魔だ」とも言わず、そのままカノンに剣を振り下ろそうとした。
ニルマは即座に魔石の力を最大まで高めて、巨大な炎の竜巻を発生させた。イースターはそれを避けながらも、星降る夜の神の姿が再び実体化しているのを見逃さなかった。
「魔石使いが増えたせいか? やはり魔力を持つ奴らを集めるのは効果があるのか?」
狂暴な本性を見せたイースターを、トーランは睨んでいた。
「貴様はもう許されない」
「約束は守ってたろ?」
イースターはトーランを鼻で笑いながらも、その場から逃げた。劣勢を感じたからではない。もうこの場に用はないと思ったからだ。
カノンはトーラン王がイースターに斬り殺された魔石使いや戦士達を見て涙しているのを見た。
イースターは城の入り口でアネネと話しているバートルを見つけた。バートルはイースターとアネネ達を最初の村からこの城まで案内してくれた男だ。
イースターは今さっき人を殺したと思えないほどの笑顔で、バートルに声をかけた。返り血を浴びた服はここに来る前に水がめに突っ込んで洗ってきた。それでも少し染みが残っていたが、バートル達はそれがただの汚れだと思い、血だとは気づかない。
「悪いんだがおれを麓の村まで案内してくれないか?」
「もう帰るのか?」
「ああ、もう用は済んだんでな。トーラン王への挨拶も済ませてる」
バートルは昨日歓迎パーティーから早々に抜け出していたので、イースターの起こした騒ぎには気づいていない。トーラン王への挨拶を済ませているという言葉を気軽に信じ、案内役を快く引き受けた。
アネネはまだバートルに星降る夜の神が現れたという事までしか話していなかった。「おれは星降る夜の神の神殿に行ってみたくてな」と笑顔でバートルと話しているイースターを不安そうに見ながらも、イースターが去るのを止める事はしなかった。
イースターは最後にもう一度アネネの手を取ってキスしてやろうかと思ったが、チョーワが近づいてきているのを見てやめておいた。アネネに軽くウィンクだけして城を後にする。アネネはびくっと驚いていた。その様子がやっぱり面白くて、イースターは軽く笑う。
しばらく山道を歩いて、川のあるところまで来た。
「この川沿いに下って行けば、人間のいる村に着くよ」
「そうか。じゃあここまででいいぜ」
「本当にいいのか? まだ二、三日はかかると思うぞ?」
イースターは笑いながら「おれは一人旅の方が気楽なんだ」と答える。
「じゃあおれの弁当もやるよ。夢見が悪くなるから、途中で死んだりしないでくれよ」
「ハハハ、心配無用だ。これでも大陸中旅して回ってるんだ。そう簡単にくたばったりしないさ」
バートルは「そうか」と返事して、笑顔でイースターを見送った。
「いい奴ってのは好きだぜ。話すのも楽しいしな」
誰にともなくそう言うと、川の上にふわっと青空を映す神が現れた。
――気に入らないねえ。あんたはもっと汚くあるべきだろう。普通の人間のような楽しさや嬉しさを感じる資格なんて、もうあんたにはないはずさ――
「くだらねえ理論だな。怒ってた理由はそれか? 悪いがおれはおれの好きなように生きる。犯した罪に怯えて、取り戻せない過去に振り回されて生きるなんざ、まったくもってごめんだな」
それを聞いた青空を映す神は少し沈黙した後、「ハハハハハ」と声を上げて笑った。
――それは誰の事を言ってるんだろうねえ? あんたがまだ人の振りをして優しさを見せるなんて、気色が悪いと思っていたけれど、逆かもしれないねえ。あんたに人の心が残っていた方がよっぽどおもしろいのかもしれないさ――
「なんか言ったか?」
イースターは青空を映す神が言った言葉が聞こえなかったように振り返る。青空を映す神は「なんでもないよ」と笑いながら言って、イースターの後をついていった。
その頃のディアンダは一人暗い部屋の中で、涙が零れないように天を仰いでいた。
「親父……もうおれの前に現れないでくれ……。おれはカノンと共に生きていく……」
ディアンダはやはり零れてしまった涙を拭った。




