44-1.人であること
カノンはなぜ竜人達が星降る夜の神を称えているのかわからなかった。星降る夜の神は、人を食ったんだろう? 信念とか覚悟があったからって許される事なのか?
昔の価値観や倫理観はカノンにはわからない。ただ思ったのは、だから星降る夜の神も苦しんでいるんじゃないのか、という事だ。同情はしていない。本当にただそう思っただけだ。カノンの考えは、奇しくも竜族の王トーランと同じものだった。
ただトーランはだからと言って、星降る夜の神を罰する事はできないと思った。心に残るわだかまりはあれど、今の時代に誰にも裁きはできない。
(だからか)
トーランはイース・タンデスを見つめる。この男は神が裁けない事を知ってなお、神に制裁を与えようとしているのだ。正義を名乗る気もないというこの男に、一体何の利があるのかと思ったが、それを尋ねる前に戦士達がイース・タンデスに攻撃を仕掛けた。
戦士達とイース・タンデスの身長差はニ十センチメートル前後あるというのに、すぐに戦士が二人地面を舐めた。
「イースター!」
アネネが叫ぶ。
「おっと、たぶん殺しちゃいないぜ。おれとしても今は争いたくないからな。星神、答えろよ。貴様を人に戻す方法を」
その言葉に竜人達はざわつき、攻撃を中断する。星降る夜の神は驚いた顔をしていた。
「余を人にだと? そんな方法あるものか」
「いや、あるはずだ。貴様の体が傷を負ったのがその証拠だ」
星降る夜の神は血の滴る傷を見つめる。その答えを知るために、今はまだ星降る夜の神を殺せないと感じたイースターは、剣先を竜人達に向けるのを止めた。
メヤーマが倒れた戦士達と一緒に、星降る夜の神の治療もしようとしたが、半分透けている星降る夜の神に誰もまともに触れる事はできなかった。
「余が人に戻れる……」
呟く星降る夜の神の瞳が、僅かに潤んだ気がした。それを見たトーラン王は、デリケートな話になると判断し、人気のない場所で話そうとイースターと星降る夜の神を誘った。
護衛もつけずに二人と行こうとするトーランを、メヤーマとゴーデン達はやはり止めようとしたが、トーランは「これは重要な話なのだ」と、戦士達に待つよう指示する。それでもメヤーマ達がごねるので、イースターが痺れを切らした。持っていた大剣をずんっと地面に突き刺す。
「これはここに置いとくぜ。そうすれば貴様らも文句はないだろう?」
イースターにとってこの敵地の中で武器を手放す事は、相当に覚悟のいる事のはずだ。戦士達はそれでようやく引いた。
天井の高い神殿の中に、三人は入っていった。星降る夜の神は、自分を模った大きな彫像を見上げて少し寂しそうな顔をする。
こんなものになるために、自分は人として生きていた頃の自分を犠牲にした。星降る夜の神の頑なな信念は、それを後悔している事を自分自身が認めたくない思いから来ている。
星降る夜の神はイースターの話を静かに聞いていた。月夜の神、朝焼けの神にも刃が届いた事。長く姿を消していた新天の神の気配が現れた事。青空を映す神と日輪の神には刃が届かず、日輪の神の従える翼人は不思議な香りを嗅いだと言った事。
香りについては神殺しを行う方法に関係しているとは到底思えなかったが、イースターはとりあえずどんな情報でも欲しくてその事も話した。
――香り……か――
「何か思い当たる事があったか?」
イースターの目が獣のような光を帯びる。
――時折だが、強い魔力には香りを感じる事がある。特に……――
星降る夜の神はその先を続けられなかった。邪法により作られた子には。そう言おうとしたが、それは邪法を行っていた頃の自分を思い出すので言えなかった。
イースターは星降る夜の神が言いそびれた事には気づかなかったようで、ただ星降る夜の神の声が再び空間に響くような虚ろな声になった事を気にする。
「強い魔力に反応して、貴様らの存在が現世に近づくのか……? あの場に魔石使いらしき奴らも何人かいたな。そいつらに反応した……?」
イースターが考え込みながら呟いた言葉に、トーランが「試してみようか」と口を挟む。
「ただし、そなたが星降る夜の神を傷つけない事が条件だ」
イースターは「いいぜ」とあっさり頷いた。イースターも気づいたからだ。人に戻れるかもしれない可能性を知った星降る夜の神の顔が、子供のように縋るような顔になった事を。イースターは星降る夜の神を殺す事に興味を失くした。
イースターの求める強者は、必ずしも体の強い者とは限らない。自分よりも何か一つでも優れたものがあればそれでいい。
例えば音楽。イースターはその風貌に似合わず、バイオリンが弾ける。それはかつて貴族の息子だったイースターが、教養の一つとして嗜んでいたものだ。
イースターはバイオリンを奏でている自分が好きだった。勉学や武術も好んでいて、どちらにも神童と言われるほどの才を発揮していたが、それら以上にバイオリンの腕を褒められる事が好きだった。
ただある日、王宮で開かれた演奏会で、イースターは自分以上の才能に出会って衝撃を受ける。その演奏をした少年は貴族ではあるものの、本来は王宮に上がれるほどの位がなく、この演奏会に特別に招かれた少年だった。
イースターは初めて負けたと思った。その少年はこれから脚光を浴びるだろう。少しの悔しさはあったものの、イースターはその才能に出会えた喜びの方に震えていた。
しかしその日一番の拍手喝采を浴びたのは、その少年ではなくイースターだった。演奏会が終わった後のパーティでももてはやされたのは少年ではなく、イースターだった。
イースターはようやく気づいた。評価されているのは自分の才能ではない、公爵家の息子であるという自分の肩書なのだと。イースターの心は怒りに燃えた。そんなものにいい気になっていた自分にひどく嫌気がさした。
イースターはその晩、少年よりも自分を評価した者達を惨殺した。その中には王も自分の親もいた。少年だけは殺さなかった。
そのまま国を飛び出したイースターは、やがて自分よりも強い信念を持った者に出会う。それが新天の神だった。




