42-2.竜人達の独善
かつて竜人の騎士に恋し、竜人の鱗に憧れた貴族の娘がその人だった。名をマリエールと言う。オーストは彼女の前で膝をついて畏まる。マリエールは住んでいた国から離れ、もう爵位はない。それでもオーストは彼女への敬意を忘れない。
オーストは竜人族がずっと探していた恨みの対象であるこの女性を早くから見つけていた。だがこの人に会った時に思ったのだ。この人はそんなに悪いものなのだろうかと。マリエールは遠い日の想いを思い出して、少し涙を浮かべ、それでも笑みを絶やさずに語る。
「わたくしは本当にあの人が大好きだったの。いつも空想していたわ。わたくしも竜人に生まれて、きれいな鱗に体中覆われているの。そしてあの人の隣に立つの。竜人さん達は体が大きくて怖そうに見えるけれど、心はとっても優しいのよ」
オーストはそれを聞いた時、この人を他の竜人達から隠す事を決意した。この人さえ処刑してしまえば、竜人達の怒りは治まったかもしれないのに、そうしなかった。
「あなたの安全のために……」
オーストは妻のある身でありながら、マリエールに恋心に近いものを抱いていた。オーストは頭を垂れて呟く。
オーストはそのためにカノン達を犠牲にしようとしていた。オーストが差し出した手の甲の鱗を撫ぜていたマリエールは、女性特有の勘でオーストの後ろ暗い考えに気づく。
「オースト様、わたくしのために、誇りを失う事はなさらないで」
「わたしはあなたを……!」
守りたい? 邪な考えの裏でそんなきれい事を言えるわけもない。オーストがマリエールの純粋な瞳を見つめられないでいると、風がざっと吹いた。逆巻くような風だった。
「星降る夜の神様がお怒りだわ」
マリエールは独特の感性でそれを感じた。
オーストが竜人の里の城に戻った時、侵入者である子供達は解放されていた。そしてその子供達に若い竜人達は楽しそうに声をかけていた。腹痛を訴えていた子は、やっとそのストレスから解放されたように笑顔を見せている。
「どういう事だ?」
トーランを捕まえて聞いてみたが、その答えならとっくに聞いている。トーランは彼らを危険がないと言っていたのだから。トーランは軽く頭を下げる。
「彼らの本質をみなに知らせるためには、みなに彼らと触れ合ってもらえるのが一番だと思いました」
トーランはオーストに媚びたりはしないが、いつも軽く頭を下げてあまり視線を合わせない。そこがいつもオーストを苛立たせるのだが、今日はトーランの視線にオーストが耐えられなかった。
トーランはいつも武力による争いを避ける。それを弱腰だとオーストを含めた大人達は非難してきた。だがトーランはトーランで戦っているのだ。間違った処刑をして、他の種族の怒りを買う事を避ける。
かつて竜人の里を国に作り替えて、誰を国王にするのか揉めに揉めた。竜人達はみな個性が強く、誰かに従う事を拒んでいたからだ。
そこで槍玉に上がったのが、トーランだ。若い指導者、若者達からの信奉も厚い。だが所詮若造、大人達の意見には逆らえまいと、みな内心、形だけの王だと思いながら彼を王にした。
今思えばそれでもトーランはうまくやってきたのだ。戦争を訴える者達の意見を上手に躱して、竜人を争いから守ってきた。オーストは自分の浅はかさを思い知りながらも、「そうか」とだけしか言えなかった。
アネネとイースター達は、途中の村で充分休みながら山道を進んでいた。村人達は再度訪れた他種族の人間に驚いていたが、アネネが竜人に育てられたと聞くと、喜んでアネネ達を歓迎した。
「うちで面倒見てあげるよ」なんて言う者までいて、アネネはずっと顔をほころばせていた。イースターは大剣を担いでいたが、終始にこにこしながら「おれは彼女の護衛さ」と言うものだから、あまり警戒されずにいた。
六日ほどかけて城に到着したアネネ達は、カノン達の時と違って非常に歓迎された。竜人に育てられた娘だという知らせをトーランが先に受け取り、それをみんなに周知していたからだ。アネネやチョーワと合流した事で、カノン達への対応もなおさら柔らかくなった。
歓迎パーティーまで開かれる事になり、みな城の広場に集まる。その手のひらを返す対応には、ニルマが憤っていた。獅子も決して警戒は解いていない。
「わたくし達を敵視する人達がいなくなったわけではありませんからね」
鷹常はそう言う。実際、接する者達が友好的な者達に変わっていただけで、パーティーでは近くに来て暴言や恨み言を吐く者もいた。
「それでもこの歓迎パーティーには意味がある。トーラン王は他種族を受け入れたって事を国民に知らしめるのさ」
ダーダンはいきなり暴言を吐いていった者にびっくりしているアネネの頭を撫ぜながら言った。アネネは気を落ち着けてから、「それにしても……」と周りを見渡す。
「イースターはどこ行っちゃったんだろ? ここについてからずっと姿を見てないよ」
「イースター?」
カノンはどこかで聞いたような名前だなと首を傾げた。鷹常、ニルマ、獅子、チョーワはそれぞれ竜人達と言葉を交わしている。その時、一人体が大きめの竜人が近づいてきて、ぐいっとカノンの胸倉を掴み、そのまま持ち上げた。
「おまえは赤い鱗が珍しくて、仲間を殺した。そうだろ!?」
竜人達の鱗は緑系の者が多く、赤や黒い鱗は珍しい方だと聞いた。カノンが締め上げられているのを見て、女性達が悲鳴を上げる。
カノンは涙を流さずにはいられなかった。怖かったからではない。竜人の恨みの深さは、そのまま竜人の苦しみの深さだと感じたからだ。
「わたしは、竜人が好きだ。何度も怖い思いをさせられたし、単純に信じるべきでないとも思った。でもやっぱり思うんだ。みんな優しい人が多い。だからわたしはもうあなた達を恐れたりしない」
オーストはたまたまそれが聞こえる位置にいた。カノンの言葉を聞くと、なぜかマリエールの事が思い浮かんだ。オーストが何か言う前にゴーデンがその男に近づいていく。
「降ろしてやれ」
ゴーデンはカノンを抱えてその男の手を離させた。




