39-2.竜人の村③
まだ本当に二十数年前の話だ。竜人狩りが加速していく中で、濃い緑色の鱗を持った一人の少年が妹の体を抱きながら泣いていた。妹はもう息をしていないが、少年は必死で妹を守ろうとしていた。
「お願い……妹だけは殺さないで……!」
少年と妹の前には血に濡れた剣を持った男が立っている。少年は必死で訴える。
「お願い……! ぼくの鱗を全部あげるから……!」
男は歯ぎしりした。
「そんなもの、いるか……!」
そう言った瞬間に男は他の竜人に倒され、少年は助かった。少年は土に埋められた妹を見ながら、大人達が囁く声を聞いていた。
「今回の者達は鱗が目的ではないな。鱗を狙う者は鱗を傷つけないように殺す」
「竜人狩りというものは今や意味が違ってきているのかもしれぬ。報復が報復を呼び、弱い女子供までもが犠牲になっている」
「若い者達はさらにその報復に執念を燃やしている。もはや我々竜人とその他の人間どもとの決別は必至だ」
「誰が呼びかける? 我々はみな個人主義だ。人の言葉など容易に聞くものではない」
少年はとっさに振り向いた。
「ぼくがやるよ。ぼくが全ての竜人を、星降る夜の神の加護のある竜人の里へ返す」
少年の名はトーランといった。やっと十二になったばかりの歳だった。
後に竜人の王として祭り上げられるトーランだったが、最初の数年はほとんど何もできなかった。各地に住んでいる竜人の元を回り、竜人の里へ帰ろうと訴えても、鼻であしらわれるだけだった。
「トーラン、誰もおれ達の言葉なんか聞いちゃくれない」
弱気な言葉を吐く少し年下のダーダンを、トーランはキッと睨みつける。
「ぼくは諦めない。何年かかっても、何十年かかっても、竜人狩りの歴史を終わらせる」
竜人達がようやくトーランの言葉を聞いてくれるようになったのは、トーランが十五になった頃だった。一度動き出すと、竜人達の民族移動は比較的順調に流れていった。集まり始めている竜人達を襲おうとする者達が減り、それが自分達の安全につながるのだと竜人達は理解した。
それでもなお動こうとしない者や、僻地に住んでいて情報の届いていない者達にも、里への帰還を呼びかけるため、トーランは各地を飛び回った。
いつの間にか竜人族の王と呼ばれていたトーランだったが、ようやく自身が竜人の里に落ち着いたのは二十年も経ったほんの数年前だった。
現在のダーダンは意味もなくにやりと笑う。最初の頃こそトーランと考えを同じくし、トーランと共に各地を回っていたダーダンだったが、その内に「このままでいいのか?」と思うようになってきた。
竜人は個人主義なのだ。好きな土地で好きなように生きていく。みな星降る夜の神を信仰しているが、それは魂の行きつく先である天の星の守護者だからだ。個でありながら全であり、竜人達はそれを誇りにして生きてきた。
「トーランは誰も犠牲にしようとしない。だが竜人も人間達も悪者を求めてる」
「悪者を引き出す事が物事の解決になるとは思えません。わたくし達はひたすら地道な対話を続けていくのみです」
また山道を歩いている道中に鷹常はそう言うが、ダーダンは「ふふん」と癖になっている返事の仕方をする。
「そういう考えもあるのかね? おれは悪者を引っ張り出すのが一番手っ取り早いと思うがね」
鷹常はそれに反論し、ニルマもトーラン王のやり方が最善だったと自分の考えを述べる。カノンはどっちが正しいかなんてわからなかったので、ほとんど聞いているだけだった。
「ハハハ、頭にカビが生えてるのは年寄りばかりじゃねえな。人の意見を聞くのはおれにとってもいい刺激だぜ」
ダーダンは鷹常達がよくわからないところで笑う。そしてぼそっと呟く。
「でも悪者退治ってのも、あいつらにはいい薬になるんだよなあ」
ダーダンのすぐ後ろを歩いているカノンにその言葉は聞こえたが、やはりあまり意味がわからないので、ただ「?」という顔をしただけだった。
それから切り立った崖の上に作られた町に入る。非常に疲れているが、雄大な自然が目に入るのだけが救いだった。
トーラン王のいる城はその町の奥にあるらしい。しかしもう日が暮れかけているので宿に泊まると言う。カノン達にとってそれは単純にありがたかった。一刻も早く休みたいという想いに駆られている。
鷹常はさすがにもう疲労の色を隠せず、今にも倒れそうだった。カノンは手を差し出してやりたかったが、カノン自身も限界が近く、自分の歩を進めるだけで精いっぱいだ。ニルマも同様のようで、かすれた声で「がんばれ」と声をかけるものの、手を貸してやる余裕はない。比較的余裕のあるダーダンが、膝をついて鷹常に背を差し出した。
「よくがんばったな。せめて宿くらいまではおれが運んでやるよ」
鷹常はためらう気力すらなく、ほとんど気絶するようにダーダンの背に負ぶさった。
カノン達が宿までの最後の道をなんとか踏ん張ろうとしていると、不意に足が三つに分かれたような形をした水色の魔石が二つ、カノン達の前へ飛んできた。
「なんだ? あの色の魔石」
魔石使いであるニルマでも、その魔石の色に見覚えがないのか、目を細めて魔石を睨みつける。ことさら顔が険しくなるのは、疲労困憊しているせいだ。ダーダンはいつものようににやりと笑っている。
魔石は微かな振動音を放っているが、何か攻撃してくる事はないように見える。もはや深く思考する事も面倒なので、カノンは歩を進めてみる。その魔石はカノンが近づくとその分だけ離れ、前に浮かんだまま一定距離を保っている。
「案内でもしてくれてるのかな?」
「案内というより監視という感じじゃないか」
ニルマも面倒になったのか、とりあえず自分の魔石でその水色の魔石に攻撃してみる。ただ魔石に攻撃してみたって、痛いともなんとも言うわけではない。ほとんど微動だにせず、反撃してくる様子もない魔石を見て、ニルマもその魔石がそこにある意味を考えるのをやめた。
カノンもニルマも歩を進める。ダーダンは二人の後方についたまま、ただただにやりとしていた。




