39-1.竜人の村③
イースターはさっとアネネの足先から頭まで見つめた。小っちゃくて細っこい。欲を言えば貴族の娘のような品のいいのが好みだが、それでも充分イースターの性欲を掻き立てる。イースターはアネネの手を取り、唇に近づける。
「お嬢さん、よろしければぼくとお話しませんか」
その普段のイースターとはかけ離れた話し方に、青空を映す神はゲーっという顔をする。
アネネは慌てて手を振り払った。アネネに川の上で浮かんでいる青空を映す神の姿は見えていない。ただ単純に気持ち悪くなっただけだ。イースターの所作は紳士のようだったが、なにせその風貌と合っていない。ハンサムではあるが、その辺の冒険者が来ていそうなジャケットとズボンで、紳士とは程遠い筋肉の膨らみ方をしている。
「振られたか。ならお嬢さん。この辺に村はないかな? 迷って困ってるんだ」
「し、知らないよ。あ、あたしも迷ってるんだ」
「そうか。それなら仕方ないな」
イースターはアネネに背中を向ける。そして数歩歩いたところで少し振り返る。
「一緒に来るかい、お嬢さん」
「け、け、結構だよ! あたし一人でなんとかするさ!」
イースターは背中で手を振り、慌てているアネネの様子が面白そうにくくっと笑った。青空を映す神は後ろからついていきながら、意外そうな顔をしていた。
――あんたの事だから無理やりやっちまうのかと思ってたけど――
「相変わらず下品な女だな。おれは女を泣かせながらやる趣味はねえよ。そんな事よりあのガキ、村のある場所を知ってるな。ちょっと様子を見るか」
――ふうん。気に入らないねえ、あんた。なんか愛想が尽きちまったよ。あたしは別行動を取る事にしよう――
青空を映す神はそう言ってどこかへ姿を消した。
「何を怒ってるんだ?」
イースターは頭に疑問符を浮かべたが、追う理由もないのでそのまま歩いていった。
カノン達は次の竜人の村へ入っていた。そこでも前の村と対応は同じようなものだった。ダーダンはひそひそっと飛脚らしき男と話している。男は「わかった」と言うと、村の外へ走り出して行った。
「寝ろ」と提供された村の宿の中で、湯あみの終わったカノンはベッドに倒れこむ。長旅は慣れているとはいえ、空気が薄く、勾配の激しい山道を連日歩くのはなかなか辛い。カノンほど体力があるとは言えない鷹常はなおさらなはずだ。それでも疲れた顔を見せずによく歩いている。
カノンは半分目を閉じかけていたが、鍛錬を欠かすと落ち着かなくて、また起き上がる。外に出ると恐ろしいくらい真っ暗だったが、そのおかげで人は見えない。ただそれでも何か騒ぎになっても困るので、剣を振るのは諦めて、剣を構えたまま精神統一する事に没頭した。すると暗がりから獅子の声が聞こえてくる。
「カノン、鷹常様はお疲れじゃないか?」
「……少し疲れているかもな。今日もすぐに寝たよ」
カノンは獅子がどこから声をかけているのかわからないので、剣を見つめたまま答える。獅子は「そうか」と答える。
「獅子は大丈夫なのか? 食べ物はあるか?」
「保存食はおれが持っていたからな。それに鷹常様が道中、握り飯を残しておいてくださっている」
「そうなのか?」
「ああ、お優しいお方だ」
カノンはそれなら鷹常はもっと疲れているかもなと思う。
「獅子はどうして一緒に歩かないんだ?」
「……おれは竜人を信用していない。竜人は他種族にひどい敵対心を持っている。何かあった時のため、すぐ敵の背後を取れるように身を隠している」
「……そうか」
カノンはダーダンの事もあって、それくらい用心している方がいいのかなと考える。ニルマだってすぐ攻撃する姿勢を見せていた。山道を歩く事だけに一生懸命になっていたが、気を引き締めておかなきゃなと思う。
「夜中の鍛錬とはご苦労な事だな。眠れないのか?」
不意にダーダンの声が聞こえて、カノンは驚く。獅子はすぐに息を潜めたようだ。ダーダンは獅子に気づいた風はなく、小さな灯りでカノンを照らす。
「明日はゆっくり出るつもりだが、それでもちゃんと休んでおいた方がいいぜ」
ダーダンはいつものように右側に歪んだ口でにやっと笑っている。カノンが少し警戒しながら「はい」と答えている間に、ダーダンは懐から小さな袋に入れられた赤い鱗を取り出し、それをカノンに渡した。
「これは返しとくぜ。おまえが持ってきたんだろ? おまえが最後まで面倒見てやりな」
カノンはその中身を確認し、灯りの中に光る赤い鱗を見つめた。それを見ていると、なぜか心がほぐれていくような気持ちになってくる。
「あなたは……人が好きなのか?」
カノンが思わず呟いた言葉にダーダンは目を丸くする。
「驚いたぜ。何をどうひっくり返したら、おれにそんな言葉が出るんだ?」
カノンは「わからない」と呟く。
「ただ……なんか母さんを思い出したんだ。母さんはいつもにっこり笑っているだけで、自分の気持ちを表に出す事ができない不器用な人だった。あなたも……そういう人なのかなと、少し思ったんだよ」
「理由になってないぜ」
カノンは自分でも「そうだな」と思いつつ、視線を下げる。なぜ急にそう思ったのか本当にわからない。ただ赤い鱗が、カノンの怒りや不安を消してくれる。
ダーダンは腕を組んで家の壁にもたれ、空を見上げた。
「見ろよ、この空。美しいだろう」
カノンは顔を上にあげて、思わず「うわっ」と感嘆の声を上げた。そこには無数の星が光っている。月はどこに行ったのか見えない。星だけが今にも降って来そうなほど輝いていた。
「死ねばおれ達の鱗はあの輝きの一部になる。魔石になるなんて言う奴もいるが、おれは信じちゃいない」
ダーダンは一度そこで言葉を止めた。カノンもただ上を見上げたまま喋らない。
「おれ達はもっと自由でいていいはずだ。ただそのためには犠牲が必要なのかもしれない」
「犠牲? 何の?」
カノンは聞いたが、ダーダンは「さあな」と肩を竦めた。それから「さあ、もう寝ろ」と言い、宿の中に入ろうとするカノンの頭をぐしゃぐしゃっと撫ぜた。




