32-2.邪法と呼ばれる呪術
「邪法とは……子を作り、その子を作った相手の心臓を食う……そして……」
その声は抑揚も何もなく、ただ静かだった。ラガーナは慄いてその部屋の奥に座っている声の主を見つめた。それは魔帝と呼ばれる男、ディアンダ・ンデスだ。
ラガーナは今月の収支の報告に来たところだった。その時ふと気になり、邪法の事をディアンダに尋ねた。人の肉を食わされている。そんな事実を否定してほしい気持ちもあった。だがディアンダが口にしたのはもっと恐ろしい事だった。
「子……間、子を作り……、また、繰り返す」
ラガーナは崩れ落ちそうだった。足ががくがく震えているのがわかる。もはやおぞましいという言葉では足りないくらいだ。後ずさろうとしたが、後ろにあったテーブルが邪魔をする。
「なぜ……そんなに怯えている……? おまえも、おれと同じなんだろう……?」
いつもやつれているディアンダの瞳にある光が揺れる。ディアンダは「同じなんだろう?」と縋る気持ちだった。だがラガーナにはそれは強い殺気のように思えた。
「こ、殺さないで」
思わずそう呟く。ディアンダはラガーナから目を背ける。
「おれ、親父も……、だから、おれは、母さんの仇……」
ディアンダのぼそぼそ言った声はラガーナにはほとんど聞こえていなかった。ラガーナは恐怖を紛らわすように慌てて喋る。
「あたしは子供なんか作った事はない。あたしが食べさせられているのはたぶん全然知らないやつの肉。あたしの邪法と、あんたの邪法は、違う……!」
ラガーナは最後だけ小さく言った。ディアンダの瞳が再びラガーナを見る。
「違う? 食べさせられている? どういう事だ……? 説明しろ」
ラガーナはイースターの事や、青空を映す神に会った話をする。ディアンダは背中を曲げたままそれを聞いていた。
「不老長寿を手に入れるのには、おれの言った邪法でなくともいい……? バカな……!?」
ディアンダは相変わらず静かな声だったが、一瞬パニックになりかけたのか両手で頭をがしがしと掻く。
「いや、だが親父はおれと同じはずだ。おれは母さんに聞いたんだから。じゃあ親父は何のためにこれを……?」
「親父……?」
静かなディアンダの声を聞くのは一苦労だ。だがさっきから出てくるその単語は気になった。ディアンダの表情が長い前髪に隠れて見えなくなる。
「イースター……イースター・ンデス。おれの……親父だ」
「冗談……冗談でしょ?」
ラガーナは面白くもないのに笑ってしまう。そんな関係が? 確かにイースターの言動を思い返せば思い当たる事はある。イースターはディアンダをガキと呼んでいた。
「もし……今度、会えたら探ってみるわ。あんたの父親が何をしようとしているのか」
ラガーナは自分の命を繋ぐため、そう言った。
「……そうしろ。おれは……親父には会いたくない」
ディアンダは低く答えた。そしてラガーナが去ってからディアンダは胸の服を握りしめた。
「シュヤ、カミア、リック、カノン。おれはもう、親父に振り回されたくはない……」
ディアンダの声はひたすら掠れていた。
宿に戻ったカノンはレイアに魔界について聞いてみた。レイアは「実はわたしもよくは知らないの」と言う。
「魔界は物も人も情報もほとんど行き来がなく、神の加護もない場所と言われています。魔族五強と呼ばれる人達は魔界出身じゃないかと言われているけれども、確かな事はわかりません」
レイアは「ただ……」と言葉を続ける。
「百五十年くらい前、魔界から一人の男を追って討伐軍が出てきた事があると言います。その男は魔界の王家、貴族を虐殺した罪で追われていたのだとか。男自身、王家の近縁であったらしいです。男は恐ろしい強さで討伐軍を退け、その後も近隣の国で強者を求めて暴れまわっていた。そのため男は当時の魔族五強として恐れられた」
そこまで言ってからレイアは少し困り顔で「実はこれ、作り話という噂もあるのよね」と言った。
「男が恐れられたあまり、尾ひれのついた噂話が作られたんじゃないかと。その男は神に逆らったとかいう噂もあるくらいよ」
「ふーん」
カノンは頬杖をついたまま相槌を打つ。神は本当にいるようだしそんな事もあるかもなあと、なんとなく考える。ニルマもレイアの話に頷く。
「おれもその話は聞いた事あるよ。魔界の王家うんぬんや神様に逆らったとかいう話はわからないが、討伐軍が出てきた事は事実だと」
「へえ。その男の名前は?」
獅子の質問にニルマがわからないと首を振ると、代わりにレイアが答えた。
「確か、イース……イース・タンデス、だったかな?」
イースターは晴れ渡る空を見上げ、大きく手を広げた。
「新天の神、おれの敵はおまえだけだ。おまえのクソのような理想を、今度こそぶち砕いてやる」
町を出たカノン達はまたしばらく旅を続けた。そして向こう岸が遥か向こうの大陸一の大河に当たってその川沿いに歩いていた。
「このまま行くと大樹の森というところに入るみたい」
地図を見ながらレイアがそう言うと、カノンが「それはまずいなあ」と答える。
「どこかで川渡してもらえるところあるかなあ」
「どうして? このまま川沿いに森を抜けていけばもうカラオ国よ?」
「川を渡ってしまってはまた川を渡る事になりますね」
鷹常も地図を覗き込んで言うが、カノンは首を振る。
「わたしは十歳くらいまでカラオ国にいたけど、大樹の森に入った事はないんだ。大樹の森は獣も多くて危険と言うし、何より……翼人がいる」
「翼人!」
「本当にいるんですか?」
翼人とは文字通り翼を持った人という意味だ。レイア達はそれをおとぎ話の中だけの話と思っていたようで興奮を隠せない。
「わたしもお祭りの時に見た事があるくらいなんだけどな。とにかく翼人は縄張り意識が強くて、大樹の森に人が入るのをとても嫌うんだ」
「でもお願いして通してもらうくらいなら……」
「お願い? お願いなんかしてもなあ」
カノンが難しそうな顔をしているのを見て、それほどに気難しい人種なのかとレイア達は顔を見合わせる。しかし大樹の森に着くまでにもう人の住む集落は見当たらず、しかたなくカノン達は大樹の森へ進む事にした。
いつもお読みくださりありがとうございます! 邪法のおぞましさに不快感を覚えてしまっていましたら申し訳ありません。これはそういうダークファンタジーなのです……




