29-2.憎悪
青空を映す神の不敵な笑みは、少なくとも善神じゃないわねと、ラガーナに思わせた。実際、青空を映す神の口にした言葉はおぞましいものだった。
――あんたが食べさせられているのはヒトの心臓さ。それも魔力の高い奴を選んでいるはずだ――
ラガーナは頭がぐらっとして少し足元をふらつかせる。吐き気がしそうな口元を抑える。
「そ、その可能性も考えた事がないわけじゃなかったけど。でも、一体何のために」
――永遠の命と若さを手に入れるため。魔人がなぜ魔人と呼ばれるのか。それはかつてこの邪法を行っていた種族が魔の者と恐れられたからさ――
「そうじゃないわ。なぜあの男はわたし達にその邪法を行わせるの」
青空を映す神はくるっくるっと頭を回す。青空を映す神は無意味に体を動かしながら喋るので落ち着かない。
――さあねえ、多分ただの実験さ。どの人間の心臓でもいいのかとか、どんな人間なら邪法の効果があるのかとか。あたしも昔はちょっとやったね。根気がないからすぐ投げ出したけど――
青空を映す神は平然と言う。
――あいつの実験結果からすると、普通の人間じゃ効果はないみたいだね。潜在的に強い魔力を持ってる奴だけが邪法の恩恵を受ける事ができるようだ。あんたは合格だったって事だね。おめでとう――
青空を映す神はぱちぱちと拍手する。ラガーナはよっぽどこの女に唾を吐き捨ててやろうかと思った。ラガーナだって魔族五強として無慈悲に人を殺めた事がないわけではない。だが人をおぞましい実験の材料にするなんて、本当に人を人と思っていないこの女やイースターには反吐が出る思いだった。
「それで、あなたはあたしから何を聞き出したいの?」
ラガーナはできるだけ頭を冷静にしてから問いかける。くだらない事だったらこの女を捻り殺してやろうと考えながら。
――なんだっけね、忘れちまった――
ラガーナはへらへらと答える青空を映す神に飛び掛かった。しかしその手は空を掴んですり抜けた。ばしゃんっとそのまま川の中に足が浸かる。
――ハハハ、あたしに物理攻撃は効かないよ。だてに神って名乗ってるわけじゃないんだ――
青空を映す神は体を半回転させてラガーナに向き直る。
――ちなみに言うとさ、あんたの反応が見たかったんだ。邪法に嫌悪感を持つなら、イースターを殺してやりたくなるだろう? あたしはイースターの魂を食いたいのさ――
ラガーナは少し顔をしかめたが、この女を攻撃するのは無駄だと悟って落ちた帽子を拾う。
「残念ながら、あたしはあの男に敵う気はしないわね」
――ハハ、あんたが死んでくれるんでもいいさ。ただし全盛期の力を保っている内にね。それはそうと、これは本気で忘れてたよ。あんたディアンダの子供の居場所を知らないか?――
「ディアンダに子供……? あたしの知る限りあの男、女に興味ないわよ?」
――いや、いるはずだ。ディアンダとその子供、あたしはそいつらも食いたい。そいつらを食って力をつけ、新天の神を殺してやるんだ。あたしから酒と宴会を奪ったあの女を、あたしは許せない――
ラガーナにはそれはバカげた理由だと思えた。神には神なりの苦悩があるのかもしれないが、そんなもの理解する気にもなれない。ラガーナは青空を映す神に背を向けた。青空を映す神は追ってこない。「待ちなよ」と言う声が聞こえたが、無視して歩いた。
「ディアンダの子供……調べてみる? いえ、余計な事だわ」
ラガーナはディアンダに好意や忠誠心で仕えているわけではない。得体の知れない恐怖を感じて逆らう事ができずにいるだけだ。今日はその恐怖心の正体が分かった気がした。邪法なんてものを行っているから、人間離れした気配を感じるのだ。
「そういえば邪法もどきとか言ってたわね。あたしとディアンダ達の邪法は違うもの……?」
ラガーナは考えかけたが、すぐ首を振って考えを振り払った。
「どうでもいいわ、そんな事。ぞっとする事に変わりはないわ」
カノンは空が白み始める頃に目が覚めた。今日は野宿だ。レイアと鷹常、そして獅子も消えかけた焚火の近くで寝ている。カノンは用を足すために立ち上がり、その後近くの川で顔を洗った。その時ふと川の上流の方で何か動く影を見つけた。それは川の流れの上を、左に行ったり右に行ったりしながら歩いてくるように見える。
その半透明の影はカノンに近づいてくるごとに、はっきりと姿が見え始める。そしてやがてカノンの視線に気づいた。
「なんだ、おまえ?」
「……あんたこそなんだ」
その影、青空を映す神は、不思議そうにカノンを見る。カノンはその虚ろな姿を見て、以前会った月夜の神や朝焼けの神を思い出した。しかしあんたは神か? なんて聞くのもためらわれてただじっと見ていると、青空を映す神は首を振った。
「ハハ、まさか、まさかだよねえ。あんたがディアンダの娘だとか」
「なんでそれを知ってるんだ?」
青空を映す神はその言葉に驚いた顔をした後、ぶはっと笑った。
「ハハハ、ほんとかい? あたしどれだけ運がいいんだ」
青空を映す神はひとしきり笑うとカノンを上から下まで値踏みするように見た。
「もうこんなにでかくなってるとはね。そろそろ頃合いかね?」
カノンはなんの? という顔をするが、青空を映す神はそれに答えず、にやあっと不気味な笑みを浮かべた。
「あんたの母親、ディアンダに殺されたろう?」
カノンはそれを聞いてかっとなり、思わず剣を抜く。青空を映す神は構わずカノンとの距離を詰めて、ひそひそ話をするような声で言った。
「あんたの母親はディアンダに喰われたのさ」
「喰われた……?」
「言葉通りの意味さ。心臓を抉りだしてそれを喰らう。そうすることで永遠の力を手に入れる邪法をあいつはやってる。あんたの母親はその犠牲になったんだよ」
カノンの手は震えた。
「ふざけた事を言うな……!」
青空を映す神は語った。心臓を抉りだす感触、心臓の味、血の味、そしてそれを喰った後の高揚感。それは青空を映す神自身の記憶を語ったもので、カノンの母リックの話ではなかったのだが、カノンの憎悪を引き出すには充分だった。
「名前すら呼ぶのに値しない。わたしは魔帝を殺す!」
カノンの目が怒りと憎しみで染まった。
第三章 青空を映す神・終




