28-1.別れ
豹は情勢が悪くなってきたから早めに町を出た方がいいと言っていた。だがラオがケガをしたのでしばらく町を出られなくなったと、鷹常はまだ働いている理由を話した。
ラオがケガをしたと言ったところで、カノンはまた涙を流した。鷹常はカノンの肩を抱いてあげた。カノンは宿のおかみさんの娘の、少しつんつるてんな服を着ている。筋肉のついているカノンにそんなスカート姿はあまり似合わないわねと思いながら、鷹常はカノンの話を聞いていた。
「わたしはラオを斬ってしまったんだ。ラオはわたしを好きだと言ってくれたのに」
そう言いながら小さくなって泣くカノンを鷹常は抱きしめる。
「大丈夫。ラオは安静にしていれば大丈夫だと言っていました。わざとじゃない事はラオも分かっているはず。謝ればきっと許してくれます。大丈夫。あまり自分を責めないで」
鷹常は「大丈夫」という言葉を繰り返す。カノンを慰めながら、鷹常はなぜか笑みを浮かべるのをこらえる事ができないでいた。そして額から角が生えてくるのも感じていた。カノンを心配しているのは本心だ。だがそれと同時にその体に流れる血が、抗えない野心を呼び起こす。
北エルフの国で、カノンは魔帝の血を引く者だと聞いた。魔帝とうまく通じる事ができれば、弦の国での権力を取り戻す事ができる。いや、それどころか月国地方統一、引いてはその先も夢ではないかもしれない。そのためにカノンを手懐ける。カノンが弱っている今は鷹常にとってチャンスだった。
鷹常は悲しそうな顔を作ってから、カノンの手を取る。
「大丈夫。もしラオが許してくれなかったとしても、わたくしだけはあなたの味方です」
にっこりとほほ笑むと、微かに涙が浮かんだ。なぜそんなものが出てきたのか分からなかったが、それはカノンの信頼を得るのに充分だった。「なぜ角が生えてるんだ……?」との問いに、「感情が昂っているせいでしょう」と答える。それも鷹常が本気でカノンの事を心配しているのだと思わせた。
カノンはようやく立ち上がる気力を取り戻し、自分の着ている服を引っ張る。
「これ、変じゃないかな? もう親衛隊の服を着ていくわけにもいかないし、このまま行こうかと思うんだけど」
鷹常はにっこり笑って、「似合ってますよ」と答えた。
ラオは一週間ほど病院のベッドに寝ていた。やっと面会できたカノンはあまりラオに近づく事もできず、震えながら「ごめんなさい」と伝える。ラオは傷の痛みに呻きながらも体を起こし、カノンに視線を向ける。
「気にしないでくださいっていうのも無理でしょうけど、とりあえずは水に流しますよ。それより今後の事ですが」
カノンは一瞬で気づいた。ラオのカノンを見る目の温度、その言葉遣いと言い方、それらがもう二人の恋が終わったのだと告げていた。
カノンは目が潤んでくるのを感じたが、涙が落ちるのは必死でこらえた。それでもその様子に気づいたレイアに心配されたが、「ラオが無事でほっとしただけだ」と無理やり微笑んで見せた。
ラオの話はやはりこの町に滞在するのはもう危険なので、早めに出た方がいいという事だった。なにしろ国の兵隊が決起集団のメンバーを探していて、この一週間の間にも衝突があったという話があるのだ。ラオはうまく隠してもらっているが、いつ兵隊が話を聞きに来るとも限らない。
「レイアと相談したんだけれど、ぼくは弦の国へ帰ろうと思います。この傷で歩きは無理なので、ちょっと割高になりますが馬車を使っていきます」
「そうか……レイアはどうするんだ……?」
カノンはやはりラオの気持ちはもうなくなったのだと確証を得て頷き、レイアへ目を向ける。
「わたしはカノンと一緒に行くわよ」
カノンの顔が心配そうに見えたのか、安心してと言うようにレイアは力強い瞳を向ける。
「どうしてだ……?」
カノンは問いかけながら、レイア達が弦の国の命を受けてカノンについてきていた事を思い出す。レイアはそれが理由ではあるけれどと思う。
「わたしはカノンがマク様に再会できるのを見届けたいのよ」
カノンの心は傷ついている。クルド王国で母は死に、北エルフの国で好意を寄せてくれた男性、ハマ・サイエは起きぬ眠りについた。そしてこの町で主人だったクリスティーナを処刑という形で失い、さらには心通わせたはずのラオとも別れ別れになろうとしている。誰かの命を受けた者ではない、カノンを本当に想ってくれる人の温もりが必要だと、レイアは考えていた。
カノンはレイアの思いやりを感じて、たどたどしい笑みで「そうか」と頷いた。
「マクとは誰です?」
鷹常は少し眉を寄せて尋ねる。名前だけは聞いていたが、カノンにとってどういう人なのか鷹常はまだ聞いていなかった。
「わたしの父だ」
カノンはマクの話題が出て少し元気が出たのか、しっかりした声で答える。鷹常は首を傾げた。
「……? その人が魔帝の息子という事ですか?」
「ん? いや、違うぞ?」
レイアは北エルフの国でカノンは魔帝の血を継ぐ者だと鷹常に聞かれてしまっていた事を思い出す。カノンの素性をごまかしていた事をなんとか取り繕おうとレイアは口を開きかけるが、その前にカノンは鷹常にあらかた説明してしまっていた。
「……なるほど。魔帝が実父で、マクという人が育ての父。そして魔帝はあなたを探している」
「ん、いや、どうかな? 魔帝の部下に会ったけど、わたしの名前を聞いてもわたしを捕まえようとはしなかったな」
「魔帝の部下に名乗ったんですか!? あ、いてて」
ラオは驚いて口を挟んでくるが、傷が痛んで呻く。カノンはラオの痛みが治まるのを待ってから、困ったように答える。
「いや、名乗った後にその人が魔帝の部下だと知ったんだ」
ラオはそう聞いても「はあ、何やってるんですか」と呆れたようにため息をつく。
「やはりこの町から早く出た方がいいですね。馬車の手配は豹達にお願いしてありますから、さっさと荷物をまとめましょう」
ラオは顔をしかめながらも、無理に踏ん張って立ち上がった。




