26-2.カノンとラオの一夜
ラオはまだ完全に目覚めきっていない屋敷の中を走る。また窓から出るのはさすがに御免だった。起きている使用人もいたが、外の騒ぎに気を取られていて、ラオにはあまり関心を払っていない。
ラオは外に出ると、豹から預かった小さな笛を出して短く鳴らした。するとすぐにも豹が現れた。
「カノンはどうした?」
「それが……」
カノンは公爵夫人を逃がすために残ったという事を伝えると、豹はやっぱりかと頷く。そして「まあそれはともかくとして」と言いながら、ラオの肩に腕を回し、頭を突き合わせてくる。
「昨日はどうだったんだ?」
「今それ聞く?」
ラオは呆れたようにしながらも、思い出すように視線を逸らす。そして少し頬を染めて言った。
「まあ想いは告げられたというか、遂げたというか」
それを聞くと、豹は笑いながらラオの背中を叩く。
「ハハハ、そうか。よかった。いや、ほんと気になってたんだ。うまくいってよかったな!」
「ハハ、ええ」
ラオも思わず笑顔になって答えた。二人が話しているところへ獅子も現れる。
「兄者、ラオ、まずいぞ。決起軍の規模が思っていたより大きい。正面にいる者の他、裏から来ている集団もいる」
「まさか……」
ラオは真剣な表情に戻って、顎に手を当てて考える。
「決起軍のこの勢い。もしかして公爵家を処刑する気では」
「まずい事態だな。国も黙ってはいまい。戦争が長引くぞ」
豹が言っているのはこのままではカノンを連れ出すチャンスがなくなるという事だ。ラオはそれが分かって首を振る。
「今日で連れ出すよ。下で働いているけやきの事は頼める?」
「獅子、おまえが行け。おれは鷹常様の元へ行き、町を出る準備をさせる。もはや長居は無用だ」
「わかった」
三人が散らばった瞬間に正面の門が突破され、決起集団がなだれ込んでくる。その中には血気盛んな他の者と違い、悠々と歩いている銀狼ギネスの姿があった。門の前にいた公爵家の護衛があっさりとやられたのはこのギネスのせいだ。
「さて、ラガーナがいるという情報があったが。あまり出くわしたくはねえなあ。あのパワーは厄介だもんな」
ギネスは言いながら、使用人を襲おうとしている仲間の頭を抑える。
「おいおい、非戦闘員は逃がしてやれよ。虐殺は夢見が悪くなるぜ?」
仲間はギネスの手を払いのけながら叫ぶ。
「公爵家の者が使用人に化けて逃げるかもしれない! 生け捕れとの命令だが、使用人は殺しても構わないと上の者が言っていた!」
「ん~そうか。雇い主がそう言うんじゃしようがねえなあ。あ、あんたは逃げていいぜ。おれに見つかってよかったな」
ギネスが行け行けというように手を振ると、襲われそうになっていた使用人は礼を言う事も忘れて逃げていく。仲間は歯ぎしりしてギネスを睨む。
「魔族五強ともあろう者が、ずいぶん甘いんだな」
「おれは人殺しは嫌いなんだよ。覚悟してる奴とは戦うし、依頼人に逆らう気はないけどな。だが戦意がない奴が襲われるなんて、かわいそうで見てらんないぜ」
「魔族五強は非道で残虐じゃないのか」
「おれは雇い主次第さ。他の魔族五強はどうか知らねえが、本当に怖い奴は別にいるぜ。左頬に傷がある男には気をつけな」
ギネスが話している中庭の上で、クリスティーナの横についているカノンがギネスを見ていた。
「なんだ、あの男。強いぞ」
その佇まいから直感的にそう感じた。ラガーナの連れてきた手練れの護衛達が突破された理由も分かる。
「クリスティーナ様、先に行っていてください」
「カノン、どこに行くつもりですの!?」
クリスティーナの声が背中に聞こえたが、カノンはもう窓から飛び降りていた。一度下の小屋の屋根に降りると、そこからそのままギネスに向かって剣を向けながら飛び降りる。
ギインっと音がして、ギネスはカノンの体重が乗った剣を受け、そのまま弾き飛ばす。完全に不意打ちだったはずだが、ギネスは反応して見せた。
「おお、空からとはやるな」
ギネスが呑気に言っている間に、カノンは建物の中に入って身を隠した。
「くそっ、わたしが敵う相手じゃなさそうだ」
僅かに剣を合わせただけで力量の差が分かった。カノンは悔しそうに顔をしかめながら、ギネスに見つからないように逃げる。敵わない相手からは逃げる。それは母のリックから叩き込まれていた。傭兵は生き残ったが勝ちなのだ。とにかくカノンはクリスティーナ達が逃げる事になっている場所まで走っていった。
屋敷の裏から来た決起集団は、ラガーナがほぼ壊滅させていた。ウォートン公爵達の退路を確保した後、ラガーナは屋敷の中を通って正面の方へ向かう。その途中でギネスに出くわした。二人とも「あ~会っちゃったか」という顔をする。
「世間は狭いな。前に顔を見てから一年たってないぜ?」
「本当ね。まさかあんたと戦う事になるとは思わなかったわ」
ラガーナは腕の筋肉を膨らませて、黒いマントの下から巨大な棍棒を取り出す。
「またいかついのを持ってるな」
「あんたにはこれぐらいないと相手にならないでしょ」
「じゃあまあ本気で行くか」
ギネスが長剣を前に構えると、先手必勝とばかりにラガーナは瞬時に距離を詰め、棍棒を振り下ろす。ギネスはそれを受けるも、そのパワーに押される。
「こっの、馬鹿力!」
ギネスは地面を滑る。体勢を立て直す前に、ラガーナの次の一撃が襲ってくる。ギネスはもうそれは受けずに、バク転をして避けた。
「力負けしたのなんて初めてだぜ。魔族五強の名は伊達じゃねえな」
「あんたもね、よく避けたわ」
「これはすぐに決着がつきそうにねえな」
「それでいいわ。あたしはあんたの足止めができれば充分よ」
ラガーナは屋敷を破壊する勢いで戦うが、ギネスの俊敏さに徐々に押され始め、潮時だと判断した時に撤退した。
決起集団の行動は早く、カノンがクリスティーナの元に辿り着いた頃にはすぐそこに敵の手は迫っていた。




