2-2.強襲
魔帝ディアンダはゆっくりと歩きながら街へ入っていた。逃げる人々や、襲う魔人達には目もくれない。他の魔族五強ですら、どうしていようともはや興味はない。目的は懐かしき「家族」に会う事。
カノンは完全にふてくされていた。マクにまで置いてきぼりにされた上に、それを追おうとすると双子が必死に止めるのだ。
カノンは今回の紛争がどういう意味を持っているのか、全くわかっていないし、そんな事は考えようともしていなかった。カノンにとっては、とにかくリックと同じ戦場に立ち、肩を並べて歩く事が重要なのだ。それは簡単に叶いそうなものなのに、叶わない。
今までリックに直接不満をぶつける事などあまりなかったが、今度ばかりは思い切り文句を言ってやろうと思っていた。マクにも言いたいだけ言ってやる。そんな風に思いながら、カノンはリック達の帰りを待っていた。
リックはディアンダと再会していた。魔帝ディアンダは金色の髪と金色の目を持つ痩身の美青年。好んでロングコートを羽織っているのは昔から変わらない。髪は以前会った時より長く、背中の中ほどまで伸びている。
「久しぶりだな、リック」
にこやかな笑顔を見せているディアンダを見て、リックは頭の中を混乱させていた。
(なぜ、こいつは……)
数週間程前から、リックは魔人達の襲撃を予感し、その意味を探していた。襲撃に参加するであろう魔人達を見つけては、話を聞き出そうとしていたが、その魔人達は首謀者が誰なのかすら、まともに分かっていないようだった。
魔人達の襲撃が、自分とマクに対する制裁であろう事は、薄く感じていた。無関係なこの街を巻き込む理由は分からないが、そうする力がある事は知っている。
(ディアンダはわたし達を殺すつもりなのか?)
リックとディアンダ、そしてマクはかつて家族だった。家族のように暮らしていた日々があった。そしてその中で培われてきた絆とか情とか言えるものが、「ディアンダがそんな事するはずない」と訴える。
魔族五強で、魔帝なんて呼ばれていても、ディアンダは自分達が知っている家族のはずだ。だからリックはずっと探し続けていた。自分の感情と相反する予感の矛盾を解決する答えを。
だが実際にディアンダを目の前にしたリックの頭からは、それらの葛藤は全て吹き飛んでいた。
リックはカノンを若くして産み、今は三十四歳になる。マクはリックより年上で三十九歳になる。
(ディアンダ……ディアンダは……?)
リックは口角を上げて、にやりとした表情になった。笑っているわけではない。混乱しかけた頭を冷やし、冷静さを保とうとするリックの癖だ。
リックがディアンダと出会い、暮らし始めたのは八つの頃。そのとき既にディアンダは二十代前半頃の大人だった。明らかにおかしい。今目の前にいるディアンダもあの頃と同じ、二十代前半に見える。昔からあまり歳を感じさせない男だったが、二十六年もの月日が経った今、はっきりおかしいと感じた。
「久しぶりだと何を話せばいいものか迷ってしまうな」
ディアンダはあくまでもにこやかだ。リックは返答せず、ディアンダが歳を取らない姿のままで、自分の目の前に現れた事の意味を考えていた。
リックは母が死んだ日を思い出していた。それはディアンダと初めて出会った日でもある。その時のディアンダの表情は覚えていない。ただ微かな異臭が鼻につき、リックは子供ながらにこの男を逃してはならないと感じた。この男に母は殺されたのだ。その直感を信じて、リックはディアンダについていく事を決めた。
リックは復讐心を胸に秘めながらディアンダと生活していく事になるのだが、その多感な成長過程の日々を共に過ごしてきた事で、ディアンダに対して家族の情も芽生えていた。復讐と情の狭間でリックは生きてきた。
その後、ディアンダと夫婦になったのは、リックの望んだ事ではなかった。リックはその時も絶望と情の間で苦しんだ。ディアンダはカノンが生まれた後、姿をくらましたが、それでもリックの中から家族の情が完全に消える事はなかった。それなのに……
(こいつはきっとわたしの事も殺す)
ディアンダ・ンデスという男の異様さに気づいた時、全ては繋がっている気がした。憎悪と親愛の情が入り混じり、深い嫌悪感が湧き出てきた。
(これはわたし達の裏切りに対する制裁という単純な事じゃない。こいつにはもっと違う目的がある。わたしの母、わたし、そして……)
リックはずっと自分の子供から目をそらし続けてきた。それは憎い……憎まなければいけない男の子供だったから。その子供を受け入れる事は、母への裏切りのような気がして、まっすぐ見る事ができなかったのだ。
リックは体中の毛が逆立つような気がした。
(こいつは決して生かしておいてはならない)
リックは剣を強く握りしめた。
マクが帰ってきたのは日が落ちる頃だった。カノンはだいぶ待ちくたびれていたが、まだ機嫌は直っていない。
「おかえりなさい、マク様。ご無事でしたか」
双子が声をかけるが、マクは返事をしない。まっすぐカノンの元へ歩いていき、カノンの肩を強くつかんだ。
「この街を出ろ」
マクの雰囲気がいつもと違う。文句の一つも言ってやろうと待ち構えていたカノンだが、気圧されて言葉が出てこない。
「リックが死んだ」
カノンはマクが何を言っているのか分からなかった。マクの顔には涙の跡が残り、泣きはらしたように皮膚が赤みを帯びている。体は小刻みに震えていた。
「双子、カノンを連れてすぐにこの街を出るんだ。絶対に魔帝にだけは見つかるな」
「は、はい!」
双子もマクの様子に驚きながらも、用意してあった荷物を持ってくる。
「母さんが死んだって……? 何を言ってるんだよ、マク」
カノンはようやく声を出した。
「母さんが死ぬわけないだろ? 母さんが誰かにやられるなんてありえないよ!」
声を上げるカノンを、マクは強く抱きしめた。
そんなマクの様子を見て、カノンは絶望した。マクは決して悪い冗談を言っているわけではないのだ。体から力が抜けそうな気がした。だが力を抜けば、マクまで倒れてしまう。カノンは目に涙を溜めながらこらえた。