24-1.思いの交差
マクはまだ僅かに足を引きずりながら歩いていた。ディアンダと初めて会った森の中の隠れ家から出てきたところだ。そこにディアンダはいなかった。
マクはそこで思い出した。そこは初めてリックと会った場所でもある。八つだったリックを、ディアンダがどこからか連れてきた。かわいい女の子だった。だがその頃のマクは女の子というものをよく知らなかった。
マクは過疎化が進んだ山奥の村で生まれた。両親はマクと村を捨ててどこかに行き、マクは年老いた祖父(本当の祖父かは分からない)と暮らしていた。最後まで村に残っていたのは祖父と同じくらい年老いた血の繋がらないおじさんと、よくマク達の様子を気にかけてくれた隣の家のおばさんとその息子くらいだった。
マクは寝たきりになった祖父と、腰の悪くなったおじさんが亡くなるまで二人の世話をしていた。隣の家のおばさんもとうとう村を捨てるという時、マクは一緒に来るように誘われた。しかし十三歳だったマクはそれを断り、一人旅をする事を選んだ。外の世界に強い興味があったわけではない。ただマクは亡くなった祖父達のように、自分の世話を必要としている人に出会いたかった。
そしてマクは森の中に隠れるように寝ているディアンダを見つけた。マクが見つけてから数日、ディアンダは目を覚まさなかった。マクは寝たきりだった祖父にしていたのと同じように、その顔や体を拭いたり、いつ起きてもいいように飲み物や食べ物を用意した。
「誰だ……何の真似だ……?」
いつものようにディアンダの顔を拭いている時に、ディアンダが目を覚ましてかすれた声で言った。
「あんたの世話をしてるんだ。あんたにはきっとおれが必要だから」
ディアンダは当然のようにマクを追い出そうとした。しかしマクはディアンダに何を言われても怯まなかった。ディアンダがどんなに脅しをかけてきても、ディアンダを恐れる気はしなかった。
「寂しそうだ」
最初に見た時、マクはディアンダを見てそう思ったからだ。ディアンダはマクを追い出す前に自分から出ていってしまったが、半月もするとリックを連れて戻ってきた。その時のディアンダはさらにやつれた顔をして、「リックの世話はおまえに任せる」と言って再び眠り込んだ。
隠れ家の近くの川で、リックに水浴びをさせてやろうとした時だった。裸になったリックを見て、マクは大慌てで寝ているディアンダを起こした。
「なんだ?」
ディアンダは不機嫌そうに体を起こす。
「ない! ないんだ! どうしよう!? どっかで取れちゃったのか!? また生えてくるか!?」
マクは村にいた時のおばさんを見て女には胸があるという事は知っていたが、股には男と同じものがないという事は知らなかった。ディアンダは呆れたようにしながらも、女にはそれがないのだと教えた。
「じゃあどうやっておしっこするんだ?」
マクの疑問にディアンダは面倒くさそうに答えたが、その内おかしくなってきたのか少し「ふはっ」と吹き出した。まじまじとリックの裸を眺めているマクの頭を軽く小突く。
「女の子をあんまりじろじろ見るな。失礼だぞ」
「そうなのか?」
きょとんとしているマクを見て、ディアンダはくっくっくっと声を押し殺しながらもおかしそうに笑っていた。
あれから二十七年、四十歳になったマクはしとしとと雨が降ってくる空を見上げた。
「おれ達は一体何だったんだ、ディアンダ。家族じゃあなかったのか」
マクはそこに一人だったが呟かずにはいられなかった。ディアンダがリックを殺したなんて、いまだに夢じゃないのか? と思う事がある。でも今なら分かる。リックは表情には出さずとも、ディアンダを恐れていた。それに気づかなかった自分が許せない。そしてリックの温もりを奪ったディアンダを憎まずにはいられない。マクは雨に濡れながらも、頬に熱いものが伝わるのが分かった。
そのまま森を抜け、南へ向かう。ディアンダの隠れ家をマクは全て知っているわけではない。だがディアンダのお気に入りの場所が、南の国にある事を知っていた。
川沿いを歩いていると、先の岩の上に十歳くらいの少年が座っているのが見えた。マクはその少年の近くまで来ると足を止める。
「……何をしているんだ?」
マクは静かに聞いた。
「お父さんを、待っているんだ」
少年はぼそぼそと答えた。少年の名前を尋ねると、マルコと答える。
「天に昇らないのか?」
マルコは首を振る。マルコの体は半分透けていた。
「行けないよ。空には怖い人がいるから」
雨がマルコの体をすり抜けていく。
「おじさん、ぼくが見えるんだね」
「こんなにはっきり見えるのは初めてだ」
マルコは少し前に赤い鱗を持った竜人に殺されたのだと言った。
「ぼくを殺した竜人のおじさんは泣いてたよ。自分も家族を殺されたんだって。そのおじさん、ぼくを弾き飛ばした時とても悲しい顔をしたよ。殺すつもりはなかったって感じの。でもお父さんはそれに気づかなかったみたい。動かなくなったぼくの体を見ながら、吠えるように泣いてた。そしてお父さんはその竜人のおじさんを追いかけていっちゃった」
マルコはマクをじっと見た。
「ねえ、マク。マクって呼んでいい? ぼく、マクについていってもいいかな? マクと一緒にいればお父さんが見つかる気がするんだ」
マクは頷いて手を差し出した。
カノンはウォートン公爵家の浴場に入っていた。ウォートン公爵夫人、クリスティーナと一緒だ。クリスティーナは大きなお腹を抱えて、カノンに背中を流させていた。体を洗い終わったクリスティーナは、カノンと一緒に湯船に入る。
「紅貴人をご存じ?」
クリスティーナは少し熱っぽくも見える目でカノンを見つめる。カノンが首を振ると、クリスティーナはくすくすと笑う。紅貴人はかつて大陸中央付近にいた人種の一つだ。
「この大陸を治める八大神の中で最も偉大な創世神、新天の神は紅貴人だったと言われてますの。わたくしはその末裔ですのよ」
カノンは「はあ」と気のない返事をする。それでもクリスティーナはくすくすと笑った。




