22-7.緒丹薊秋草伝
月国地方では異端とされている魔石の登場に会場内はざわついていた。赤、青、紫などの魔石が会場中を飛び回る。
魔石を実際に操っているのは会場内に忍び込んだ鬼人達だったが、まるでそれは伊春が操っているかのように伊春の手指の動きで慶雲を攻めていく。伊春が鬼人達と訓練を重ねた結果だ。
会場はそれを伊春の力と錯覚すると、少しずつ声援が戻り始めた。慶雲との激しい攻防の中で、魔石の力が認められつつあった。
しかし慶雲の戦闘力は伊春が想定していた以上のものだった。魔石の放つ魔法に怯む事なく、慶雲は伊春との距離を器用に詰める。そして伊春は地面に転がされ、刀を突き付けられた。
「おれの勝ちだ。おれの満の国だ。貴様らにも誰にも渡しはしない!」
「このぼくが! 負けるわけにはいかないんだよ!」
今度は伊春が往生際の悪さを見せる。伊春の合図で魔石がそれぞれ作用しあい、慶雲を取り囲んで大きな火花のような力を散らしあう。慶雲が魔石に気を取られた隙をついて、伊春は慶雲の脇腹に刀を突き立てる。
「この小童が!」
慶雲は思わず刀を横凪に振った。伊春の首が胴から離れ飛び上がる。
「し、しまった……!」
慶雲の顔にはすぐに後悔の色が浮かんだが、それはもう後の祭りだった。地面に落ちた首は十数秒の間、「このぼくがこんなところで」という言葉を繰り返していた。
「うわあああああ! 伊春!」
物陰に隠れていたカーリンの叫びは、悲鳴の混じる会場内の声に打ち消された。秋草は思わず高笑いを上げた。
「ほほほ、ほほほ、慶雲のうつけ者め! 己の息子を殺めおったわ!」
試合は波乱の内に幕を閉じた。
秋草は帰ってすぐに戦の準備をし始めた。伊春という秋草の立場を脅かした存在は、死んだ後もなお秋草に焦燥感を抱かせていた。
「息子を殺め、深い傷を負っている慶雲を仕留めるにはこの時をもって他にない!」
秋草はそう言って徴兵を急がせていた。
ただこの間に秋草の想定外の事が起こった。実の子供を殺してしまった慶雲は、一人部屋の中で酒を食らい続けていた。飲んでも飲んでも酔えぬ頭にイラついて、何度も何度も首を振っていた。
「酒!」
慶雲は襖の向こうに控えている側仕えに荒々しく叫ぶ。やがて酒を持った女性が静かに慶雲の部屋に入ってくる。慶雲にはそれが誰かすぐに分かったが、顔を上げきれずに再び「酒」とだけ言って盃を持つ手を伸ばした。
女性は丁寧に酒を注ぐ。慶雲はやはりその女性を直視する事ができず、顔をしかめたまま酒をあおった。そしてしばらく女性が注ぐ酒を飲み続けていた。
「す、すまぬ、寿陽」
慶雲はようやく口を開いた。その寿陽という女性は伊春の母親だった。寿陽はとすっと慶雲に体を寄せた。慶雲は自分の胸元を見た。寿陽の手には小刀が握られていた。
「ゆ、許せませぬ。わたしはあの子に大きな地位など望んでいなかった。ただ健やかであればそれでよかった」
慶雲はいつも穏やかに笑みを浮かべている寿陽が、ぼろぼろと涙を流すのを初めて見た。その途端に出会った頃のような愛しい気持ちが慶雲の内に湧き出てきた。胸に刺さった小刀など何の気にもならない。慶雲は寿陽の肩を抱き寄せて、涙の流れる頬に自分の頬を寄せた。
「すまぬ、寿陽」
慶雲は再びそれだけ言って、その命尽きるまで寿陽を抱きしめ続けていた。
満の国に間者を忍ばせていた秋草は、慶雲が妻と心中した事を知ると、こらえきれぬと言うように笑った。
「ほほほほほ、全てはわらわのために動いておる。わらわこそ月夜の神に選ばれし者。この月国地方を統べるはわらわじゃ」
そう言ってから、秋草は毛烏らに慶雲の子らを徹底的に殲滅せよと指示を出した。
慶雲が死んだ事を知り、弦の国だけでなく半の国も南方の国もその領土をかすめ取ろうと戦を仕掛けてきた。慶雲の子供達はその三方からの攻撃に対応できず、敗走を繰り返した。そしてとうとう城さえも捨てざるを得なくなった状況に陥ったが、長男は最後まで城にとどまった。執拗に追ってくる弦の国の部隊から逃げきれないと悟った次男は、三男を逃がすべく弦の国に最後の戦を挑む。
カーリンは伊春の面影を探して、慶雲の子供達に加勢していた。しかしうまく連携も取れない状況では、カーリンの力もうまく発揮できなかった。力及ばず、カーリンはとうとう三男まで弦の国に殺されていくのを見た。カーリンは泣きながら、山奥まで逃げた。
そして満の国の領土の半分以上が弦の国のものとなった。
カーリンは涙を流さない日はなかった。心の底から信用できる友人であり、自分達鬼人に夢を与えてくれた伊春。その伊春を失った痛みは大きく、無気力になる日が続いていた。だが久しぶりに山を降り伊春と出会った市まで来た。そこはもう弦の国と名を変えていたが、その活気が好きだった伊春の笑顔を思い出して涙が出た。
伊春の夢を思い出したカーリンは、山にこもって修行するようになった。そして何年もして巨大な棒状の魔石を二本操れるようになり、自身の体をその魔力で浮かせる事さえもできるようになると、多くの鬼人を従えるようになった。
カーリンは伊春が好きだったピエロの格好にこだわった。目、鼻、口に紅を塗り、二股に割れてぽんぽんのついた大きな帽子をかぶり、へその見える丈の短い緑色の服と、同じ色の短パンを着て、恐怖の道化として戦う。
伊春が死んだ原因の一つである緒丹薊秋草に異様に敵意を示し、弦の国と争う半の国に加担するようになった。そしてすぐにその名は「道化のカーリン」と呼ばれて有名になり、魔族五強にも数えられるようになった。
秋草は満の国を撃ち滅ぼした事で、弦の国を月国地方一の強国とした。その後、魔帝と呼ばれる男の力を借りてカーリンを破り、半の国をも傘下に置いた。
秋草は着実に覇者の道を歩んでいった。
外伝②緒丹薊秋草伝・終
秋草のその後は本編の「5-1.5-2.騒動」に続いております。覇者を目指した者達が次々と退場いたしました。そこに続く者はいるのか……!?
次回から本編に戻ります。続きもお楽しみいただければ幸いです!




