22-6.緒丹薊秋草伝
長らくどの国にも現れなかった角付きが、弦の国に現れたという事実は月国地方の国々に衝撃をもたらした。やがて秋草の娘にも角があるという噂が広がると、信仰心の強い者達の中には弦の国に従属するべきではないかという者もいた。
新の国は政治体制を新しく変えて家臣、国民の信頼を取り戻す事に努め、半の国は虚実混ぜて国内外の情報を操作する事で国外への人口の流出を食い止めていた。
満の国の石楠花慶雲は、角付きの出現を鼻で笑った。
「角付きか。ふん、まさか本当に現れるとはな」
「いかがいたしましょう? その噂に兵達の士気にも乱れが出ているとか」
満の国は戦の絶えない国で、隣国である半の国や弦の国、そして南方の外国とも争い、領地を奪う事でその国力を高めていた。慶雲は信頼する参謀の民豊を前に、にやっと笑う。
「簡単な事。このおれが角付きの女皇を手に入れればいい」
それを聞いた慶雲の長男が眉をひそめる。
「自重しろ、親父殿。だから石楠花家は山出しなどと言われるのだ」
元服しても比較的自由な髪型が一般になっているこの地方で、長男は堅物らしく髷を結っている。対してゆるい髪型の次男が、長男の肩に手を置きながら軽いノリで口を挟む。
「そうそ。角付きの姫を手に入れるなら、年頃のおれ達でしょ」
「あ、あ、兄者、達は、ももも、もう結婚して、おる、では、ないか。わし、わしが、手に入れる、ぞ。その、姫、を」
三男も少し瞳孔の開いた目と、ひどいどもりで身を乗り出してくる。伊春はふふっと笑う。
「じゃあ競争だね。父上と兄者達とぼくの」
「よ、よん、四男坊の出る、まま、幕ではないわ。おや、親父殿、わし、にくれ。その、姫、を」
慶雲は刀の鞘で畳を突いて、三男の言葉を突き放す。
「甘えるな。おれが手に入れると言ったらおれが手に入れる。おまえ達も欲しいと言うのなら、伊春の言う通り、おれと戦って勝て」
慶雲がそう言うと、伊春がぱちんと手を叩いた。
「それいいじゃない。父上と戦って、勝った者がその姫と満の国の当主の座を手に入れる! いい考えだ!」
長男はその提案を一蹴しようとしたが、皇になれる平等なチャンスに、次男、三男は賛同する。慶雲も深く頷いた。
「このおれに勝てるほどの力があるなら、そいつを跡継ぎに考えてやる」
満の国の当主を決める一騎打ち戦の噂は、慶雲や長男、次男、三男が知らぬ内に国内外に広がり、観客まで招待されるほどの一大イベントとなった。
観客には各国の皇も招待され、もちろん弦の国の皇となった緒丹薊秋草も出席した。満の国のお家騒動をそこまでの大きさにしたのは、伊春だった。
慶雲は見世物にされる事を内心では快く思っていなかったが、自分の力を各国に見せつけるいい機会だと己を納得させた。実際、慶雲の強さは本物だった。長男、次男、三男共に弱くはなかったものの、慶雲の前にはあっという間に膝を折った。
観客が盛り上がっている中、慶雲の最後の対戦相手として控えている伊春は精神を統一させて考えていた。自分が父、慶雲に勝てる見込みは十本に一、二本ほど。だがここで負ける訳にはいかない。どんな手を使っても勝つ。
伊春は陰に隠れているカーリンに合図し、この五年の間に自分の味方として取り込んでいた鬼人を会場内に忍ばせた。
慶雲の前に立った伊春は、口上を述べる。
「ぼくは石楠花慶雲に勝つ! そして緒丹薊秋草皇、あなたを手に入れる! このぼくにこそあなたがふさわしい事、この勝負で証明して見せる!」
秋草は「ほほほ」と笑った。この当主決定戦が、秋草を取り合う親子喧嘩から発展したものだという噂は秋草の耳にも届いていた。それを嗤う声も聞こえたが、多くの者はこれが月国地方の歴史を変える一戦になるかもしれないと興奮して見ていた。
「父上、覚悟!」
開始の合図が鳴ると、伊春は距離を詰めて慶雲に打ちかかる。慶雲はそれをいなすと伊春を弾き飛ばした。伊春は少し下がって、慶雲の強さに戦慄しながらもにやっと笑う。
「さすがは父上」
今度は慶雲が距離を詰めてくる。
(今だ!)
カーリンが合図すると、潜んでいた鬼人が伊春の懐に忍ばせていた白い魔石の力を発動させた。それは周りに気づかれないくらいの小さな光を放っただけだったのだが、伊春に突進してきた慶雲の目を眩ませるのには充分だった。慶雲が伊春を見失った隙をついて、伊春は慶雲の刀を弾き飛ばした。
歓声が起きた。新しい満の国の当主が決まった。まさかの敗北に、慶雲は膝をついたまま動けない。しかしさらに強いどよめきが起きて、慶雲は顔を上げた。
「角付きだ!」
複数人の声が重なって、大きな叫びになった。伊春の額に白い角が一本生えている。
「な、なんじゃと!?」
秋草も驚きのあまり立ち上がった。そして瞬時に計算した。
不利、不利だ。慶雲が大きくした満の国の国力は、少なく見積もっても弦の国の倍以上だ。この伊春という男の純粋なまでの野心に満ちた目を見ればわかる。この男はその満の国の力を使って弦の国を、いや、月国地方すべてを征服に乗り出すだろう。その傍らには同じ角付きの秋草を従属させるはずだ。この試合に各国の当主を集めたのもそれを知らしめるため。
弦の国を手に入れるために角を晒した秋草と、全てを手に入れるために角を晒した伊春。秋草よりも伊春が一歩先に行った。
慶雲は放心していた。伊春が角付き? なぜ今まで黙っていた? 満の国、いやそれ以上を手に入れるために虎視眈々と牙を研いでいたのか。一瞬見えた鬼人すらも使って。満の国が奪われる。このおれの満の国が。
慶雲は側近から刀を受け取ると、今度は伊春に真剣での勝負を挑んだ。
「父上、往生際が悪いなあ」
観客の声援に応えていた伊春は、ゆっくりと振り返る。実の息子相手だというのに、慶雲の刃には深い殺気がこもっていた。伊春はカーリンに合図を送る。すると会場内に複数の魔石が飛んできて、それぞれが魔法を放ち始めた。
「さあ、父上、これがぼくの力だ! ぼくに平伏せよ!」




