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カノン伝記  作者: 真喜兎
外伝② 月夜の神
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22-3.緒丹薊秋草伝

 秋草は以前、父にねだって造ってもらった離れの家に来ていた。


 城の片隅に造られたその離れは、城の中の暗い廊下を通った先にあり、秋草の許可がなければ何人たりとも、女官さえ近寄れない。護衛の馬廻衆も、離れの周りにいる事を許されているだけで、お呼びがあるまで中の様子を窺う事もできない。


 秋草はその離れに無断で近づく者がいないよう、糸の結界を張っていた。それは元々この国の鬼人――忍びの家系であった七竈(ななかまど)家に伝わる異能の技だ。


 親指の先ほどの小さな魔石に糸を繋ぎ、糸を自在に操る。秋草はこの離れに七竈の姉妹を呼び、こっそりその技を習っていた。こっそりと言うのは、この月国地方ではあまり魔石を使った技が好まれないからだ。


 秋草は自分にできる事ならなんでも吸収したし、勉強を惜しまなかった。山桜桃梅(ゆすらうめ)家が教えてくれる人の心も、人心を操るには必要と、熱心に聞いていた。






 ある時から敏重(とししげ)皇は風邪をこじらせ、長く咳が続くようになっていた。手指の痺れを訴え、体が疲れやすくなった事で覇気がなくなり、すぐに横になる事も多くなってきていた。


 気弱になってくると、気がかりなのは子供達の事だった。長男の敏藤(としふじ)に安心して皇の座についてもらうためにも、秋草を早くどこかに嫁にやらなければと思っていた。その候補に挙がったのが秋明菊(しゅうめいぎく)会寧(かいねい)。弦の国の北隣にある新の国の第二皇子だった。


 しかしこれには秋草が激怒した。にたりと笑っていたが、激怒していた。秋草は会寧を嫌っていたわけではない。ただそれぞれの国の皇はお互いに張り合う存在であり、血を混じらせあおうなどとは根底から頭にないのが普通だった。秋草にとっても他国の皇家は良きライバルであり、俗な言い方をすれば恋愛対象ではなかった。


 それがなぜ秋草の婿候補に名が挙がったかと言うと、会寧は二十一の時、この弦の国に外交に来ていた。そこでまだ十歳だった秋草を見て一目惚れしてしまったのだ。既に嫁も子供もいた会寧だったが、一瞬でそれを忘れて、兄達と共に蹴鞠(けまり)をしていた秋草に求婚した。


 求婚された秋草は最初きょとんとした顔をしていたが、すぐににたりと笑った。


「あなたと結婚するより、蹴鞠の方がおもしろい」


 それを聞いていた者達は、秋草はまだ子供なのだと笑ったが、会寧は顔を真っ赤にしていた。会寧には分かったからだ。秋草がすべてを理解した上で、自分を嗤ったのだと。ただそれで会寧の心は冷めなかった。嫁と離縁し、月に何通も文を書いて秋草に求婚し続けていた。


 敏重皇はその手紙の量にうんざりし、読まずに捨てさせていたが、秋草はその手紙を拾わせておもしろそうに読んでいた。


「人の心とは不思議なもの。邪険にすればするほど、熱を上げてくる」


 秋草はころころと笑っていた。


 その止まない手紙の雨に、敏重皇が折れた。それはもちろん敏藤の心の平穏のために、秋草を遠くにやるのがよいと思ったからだ。強国、新の国と同盟も結べる。これ以上の縁談はないと思われた。






 秋草は自分しか入れない離れに威海(いかい)を呼び出した。秋草はにたりとしたまま、体を強張らせていた。緊張を悟らせないようにしながら威海に問いかける。


「威海、そなた、わらわを抱けるか?」

「御冗談を」


 威海は大して驚きもせず、呆れたように首を振った。いつもの秋草の戯れの言葉だと思ったのだ。秋草は手の平に汗を握りながらも、表情を崩さない。


「そなた、わらわのために死ねるか?」

「それはもちろんですよ。わたしはあなたの侍従ですから」

「ならばわらわを抱いて、死んでみよ」


 威海はなぜ秋草がそんな事を言うのか分かっているかのように、ため息をついた。


「秋草様、新の国との縁談の話をなしにしようとしているのですね? 自棄を起こすのはおやめください。そこまで嫌がられているのでしたら、この威海も皇様にそう申し上げてみますので」


 秋草はくくくと笑った。


「威海、そなたはつまらぬなあ」

「どういう意味です? そのような言いぐさはおやめください」


 秋草はまだくくくと笑いながら、威海に「さがってよい」と言った。威海が一礼し、去って行った後、秋草はむせび泣いた。一人、誰にも気づかれぬよう泣いていた。


 その後、翔葉(しょうは)の秋草を思う心を聞いた秋草は、翔葉にも威海に言ったものと同じ事を言った。翔葉は手を震わせながらも、秋草を抱いた。「あなたのためなら、死んでみせます」と答えた。






 秋草は知っていた。敏重皇に渡される薬がいつも、何か別のものとすり替えられている事。敏藤の元に来た新参者の護衛が、不審な動きをしているのを知っていた。


 敏重皇は遠からず死ぬ。それに気づいていた秋草だったが、どうしても一言言いたくなって、(とこ)の上の敏重皇の前で刀を抜いた。


「あ、秋草、何の真似じゃ」


 だいぶ瘦せ細った敏重皇は床の上で後ずさりする。


「父上、わらわを新の国に売ろうなどという考えはお捨てください」


 秋草はにやりと笑った表情のまま、刀に灯りの光を反射させる。


「わ、わしを殺そうと言うのか、秋草」

「ふふ、まさか。わらわは手を出しませぬ。この刀はわらわが死ぬためのもの」


 秋草は自分の腹を撫ぜた。


「父上、わらわの中にはややこがおります」

「な、なんと!? 相手は誰じゃ! 即刻、処罰せねば!」

「ふふ、それはわらわ可愛さから? それとも新の国に売れなくなるから?」


 敏重皇が言葉に詰まると、秋草はくくと笑う。


「わらわはこの国の皇になる! そうでなければこの命、生きている価値なし!」


 刀を前に宣言する秋草に、敏重皇は恐ろしさを感じたが、同時に憐れも感じた。


「秋草、あえて修羅の道を選ぶか。修羅は孤独ぞ。いずれ孤独の内に死ぬ」


 秋草はにやっと笑った。


「わらわには命を懸けてわらわに心を捧げる者がおります。なればこそ、わらわは修羅の道に足を踏み入れる事ができる」

「秋草、そなたの覚悟は分かった。だがそれだけじゃ。下がれ、秋草。わしを寝かせておくれ」


 敏重皇は布団にくるまり、その翌朝起きてこなかった。


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