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カノン伝記  作者: 真喜兎
外伝① 月夜の神
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21-7.石楠花慶雲伝

 慶雲は兄弟の中で唯一残ったさくらのもとへ向かっていた。さくらは神社の中の、月夜の神の像が置かれた祭壇の前で祈りを捧げていた。慶雲は刀を抜いてさくらの名を呼んだ。さくらは少し振り返ったが、すぐに顔を背けた。そしてぎゅっと数珠を握りながら声を上げる。


「どうしてかずら兄様を殺さねばならなかったのです。そして今、わたくしの事も殺そうと言うのですか」


 慶雲は答えなかった。さくらは慶雲に向き直り、震えながら言葉を続ける。


「わたくしには三つにしかならぬ子供がいます。その子も殺すのですか? かずら兄様の子は? あの子もまだ十二にしかならぬのに……!」


 慶雲はさくら達と兄弟として育ってきたわけではない。だからさくらに対しても兄妹の情があるわけではない。ない、はずだったが、慶雲は思い出していた。兄弟が増えたら楽しそうじゃありませんか、と言って朗らかに笑っていたさくらの事を。


 天子の血は一つでなければならない。馬山の言葉も思い出される。しばし頭の中で葛藤していた慶雲は、刀をずんっと床に刺した。


「尼に入ってもらいたい。かずら様の子と、さくら殿の子はおれが養子にもらい受ける」


 さくらは目を閉じて涙を流した。


「それが最大の譲歩、というわけですね」


 神社の外に出た慶雲に民豊(みんぽう)が声をかける。


「慶雲様、わたしが始末を」

「民豊、おれが決めた事だ。さくら殿とその子、そしてかずら様の子には手を出すな」

「……御意」


 慶雲は外を歩きながら天を仰ぐ。


(どうしてかずら様を殺さねばならなかったのか、か。おれはいつの間にか自分の運命以上のものを望むようになっていたのだろうか)


 馬山はもう慶雲に余計な事は何も言わなかった。ただ陰ながら、慶雲の当主としての基盤を整えようとしてくれているのは知っている。さくらを殺せなかった自分をどう思うのだろうと慶雲は思った。


 もう慶雲は名実ともにこの満の国の当主だった。






 慶雲は共の者もつけずに一人、馬を走らせた。昼も夜も馬を変え、走っていった。そして以前訪れたことのある城の前に立つ。門兵が「何者!」と行く手を塞ぐ。


「石楠花慶雲である! 駒繋(こまつなぎ)に用がある! 開門せよ!」

「こ、これは失礼しました!」


 門兵が慌てて門を開くと、慶雲は馬を置いてずかずかと歩いていく。しかし慶雲は城主の駒繋のところへは行かなかった。駒繋の娘、寿陽(じゅよう)のもとへ向かっていた。


 就寝しようとしていた駒繋は兵の慌てた報告を聞く。


「山粟武将、いや、石楠花慶雲様が、寿陽の部屋に?」


 駒繋は慌てずゆったりと頷いた。


「よい、騒がず静かにして差し上げよ」






 慶雲は不思議と誰にも見咎められず、寿陽の部屋まで来た。襖を開いた寿陽はまるで慶雲が来るのが分かっていたかのように、優しい笑顔で「お待ちしておりました」と、慶雲を部屋に招き入れた。


「お酒でもお持ちしましょうか?」


 慶雲に来た理由を問いただす事もなく、寿陽は柔らかい声をかける。慶雲は「いらぬ」と答えた。


「部屋にいさせてくれ」


 ただそれだけを言い、部屋の壁を背に膝を立てて座る。寿陽も何も言わずに慶雲の隣へ座った。


「眠れ。何もしはしない」

「わたくしは平気です。慶雲様こそお疲れでしょう。どうぞ(とこ)をお使いください」

「汗と泥で汚れている。おまえの床を汚したくはない」

「なればわたくしもここで充分でございます」


 少し沈黙が流れた。慶雲はぼそっと呟くように尋ねる。


「結婚は?」

「いいえ」


 寿陽はゆっくり首を振る。


「以前会ってから何年になる?」

「四年……もうすぐ五年です」

「そうか」


 慶雲は目を閉じた。これまでの人生の記憶が湧いては消え、湧いては消える。その中で消えないのは自分をずっと見送っていた母。


「おれはもう石楠花慶雲なのだ」


 頭の中でその言葉を叫んだ。母にそう叫びたかった。






 気づけば部屋の中に光が差し込んできていた。鳥が朝を告げる声が聞こえる。寿陽は隣で座った姿勢のまま眠っていた。慶雲は膝を立てた上に腕を乗せている。


 少しうつむきながら、呟くように寿陽の名を一度呼んだ。寿陽の返事はない。微かに寝息が聞こえるだけだ。


「寿陽……」


 慶雲はまた静かに寿陽の名を呼んだ。


「おれの嫁になれ」


 返事が返ってくるとは思っていない。ただ別の嫁を貰い、子が産まれても、心の片隅にあるのは、寿陽の落ち着いた雰囲気だった。だから言いたかったのだ。


 慶雲は息を深く吸って、ゆっくり吐いた。ざわついていた心はもう落ち着いていた。慶雲がまた目を閉じようとした時だった。隣から声が聞こえた。ただ一言。


「はい」


 慶雲はゆっくり首を回して隣を見た。寿陽は微笑んでいた。そしてまた言った。


「はい」






 慶雲と側室になった寿陽の間には子が生まれた。養子を含め、四人の子の父親となった慶雲は、家庭を顧みる男ではなかったが、それでも子らは子らなりに慶雲を慕った。それは慶雲が内政を安定させ、弦の国に奪われていた裾野城を奪い返し、満の国を月国地方一の強国に押し上げたからだ。


 慶雲は母が思い描いていたような天子になり、馬山が夢見ていた強国を作り上げ、多くの家臣達の期待に応えた。


 慶雲は確かにやり遂げた。もう死に場所など探していない。なおも満の国を強くしていく事。それが慶雲の望みとなった。


 外伝①石楠花慶雲伝・終


 いつもお読みくださりありがとうございます! 実はこれ外伝の外伝なので、慶雲は本編に登場しません。次の外伝②には登場いたします

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