21-6.石楠花慶雲伝
慶雲は一瞬の間を置いた後、ふと気づいた。
「まさかこの満の国で天子の血が急死していっているのは、父上が……!?」
馬山は一度だけ目を合わせると、また外を見た。外の暗闇の中の月を見ているのだろうか。慶雲はそれを確認しようとする気は起きない。馬山は静かに呟く。
「天子の血は一つでなければならないのだ」
馬山は月を見ているのだろうという視線のまま言葉を続ける。
「月夜の神の治めるこの地では、血を分けた兄弟を殺せる者だけが生き残る。かずら様はもちろん、血の気の多いいけま様も、実の兄弟を殺そうなどとは考えなかった」
何をおっしゃりたいのか、と慶雲は問いたかったが、言葉が出てこなかった。馬山はまた慶雲を見た。
「おまえは、天子の血。重慶様の子だ」
「何を……」
「意味はない。真実を述べたまでだ」
馬山の言葉に混乱しながらも、慶雲は「仮に」と言葉を絞り出す。
「おれがかずら様を殺したとして、誰がおれを当主と認めましょう! それでも父上はおれにこの国を継いでほしいとお考えなのですか……!?」
「そんな事を言っているつもりはない。だがおまえにはそれを考える権利があり、それを為しえる力もあるのだろう」
馬山の回りくどい言い方に、慶雲はただ混乱したまま退室した。そして少し大きすぎるようにも思える満月を見上げた。
「おれが、この国の王に……」
そんな野心を持ってもいいものだろうか? 慶雲にはまだ分からなかった。少し考えを落ち着かせるように頭を振った。
「ふっ、何を考えている。そんな事あり得るわけがない」
慶雲が自嘲したその時、ふふと頭の上から笑い声が聞こえた気がした。上を見上げると月の中に何かぼやっとした光が見えた。慶雲はまた頭を振った。疲れているのだ。そう考えて、自室へ戻った。
慶雲の思いとは裏腹に、朝廷では慶雲に声をかけてくる者が多くなってきていた。
「慶雲様、かずら様を止めてください」
「なぜおれに言う?」
「それは……」
家臣はもごもごと口ごもる。慶雲に貢物を送る者も増えてきた。慶雲は何も考えないように一日中、刀を振り、倒れこむように眠った。
真っ暗な夢の中に、一人の男が膝を立てて座っていた。その男はにやにやと笑い、その額にある白い一本角を指差す。
「くくっ、知っているかね? 本当はこの角を持つ一族こそが、鬼人と呼ばれたのだ」
「あなたは……月夜の神……!?」
月夜の神は返事の代わりに、にっと笑って見せる。
「今の世を創った新天の神の思惑は、神となるほどの力を持つ一族を滅ぼす事だった。だがそれでは面白くない。我が一族に情などないが、逆にそれが王として生き残ってくれれば面白い。だから鬼人と言う名を、憐れな山の民共に押しつけたのだ。我が一族がわたしの呪いから逃れるようにな」
月夜の神はくっくっくっと笑う。
「しかし難しいものだな。呪いから逃れようともがけばもがくほど、我が一族は殺しあう。それはそれで面白いが、さて、我が一族の愚かさには呆れてしまうなあ」
月夜の神は立ち上がり背を向ける。
「わたしは暇なんだ。親殺し、子殺し、兄弟殺し、貴様の歩む道を高みの見物といかせてもらうよ」
月夜の神の姿が暗闇の中に消えた時、慶雲は目を覚ました。起き上がって今見た夢を思い出そうとする。しかしその内容を思い出す事はできなかった。
「半への出兵の準備はまだ整わないのか!」
すっかり温厚だった面影がなくなり、鬼神の表情のかずらが家臣達を前に怒鳴っている。
「どうかお考え直しを……。今は弦の国の圧力も厳しく、この満の国を守る事で精いっぱいでございます」
「民も疲弊し、これ以上の無理な徴税は内乱を起こしかねませぬ」
家臣達はひたすらに畏まりながら、かずらをなだめようとしているが、ほとんど効果はない。慶雲は黙って控えていた。家臣とかずらのやり取りは続く。その内にかずらは信じられぬ事を口にした。
「下賤な半の者共に、満の天子の血が次々と殺されておるのだぞ? それが許せるか!? 次はわし……いや、慶雲! そなたかもしれぬのだぞ!?」
慶雲は眉をひそめた。
(かずら様、気は確かか? みなの前でそれを言う事は、今まで噂であったものが噂でなくなる……!)
実際、家臣団はやはり慶雲様は、と囁きあっている。慶雲の心の中には何か虚しさに似た風が吹いた。人知れず口角を上げる。
(ここまで来てしまったら、おれの進むべき道は一つしかない)
慶雲は顔を上げて、かずらを見据える。
「かずら様。おれは何よりもこの国の事を第一に考えております。この国を滅ぼそうとする者とは徹底的に戦います。たとえそれが人の道に外れる事であったとしても、そうする事が亡き父、重慶様へ忠節を尽くす事であると思います」
慶雲の言葉に家臣団はひそひそ声を止めて、声高に慶雲様は重慶様の子だ、と叫びだす。かずらは慶雲が自分の政策に賛成しているのだと思って頷いていたが、慶雲がすらっと刀を抜いたのを見て顔色を変えた。
「な、何の真似だ、慶雲」
「申した通り! 復讐に取りつかれ、満の国を滅ぼそうとする悪鬼を打ち払う!」
「く、狂ったか、慶雲!」
「狂ってしまったのはあなただ、兄上!」
とっさにかずらを庇う姿勢を見せた者もいたが、ほとんどの者が驚いて動けなくなっている間に、慶雲はかずらを斬った。
「む、謀反だ!」
かずらが倒れて血が流れだした頃に、ようやく家臣の一人が叫ぶ。しかし慶雲はそれに怒声を上げた。
「口を慎め! おれは石楠花重慶の子、石楠花慶雲! まごうことなき天子の血! 今この時を持って、おれが満の国の当主となる! 異議のある者は前へ出よ!」
家臣団は誰も動く事ができなかった。その静まった中を一人の男が歩いてくる。それは馬山だった。馬山は慶雲の前で膝をついた。
「先々代より預かりし御身、確かにお返しいたします」
慶雲は頷いて刀をしまい、家臣団を見渡した。
「当主としてみなに言い渡す。おれの目指すところは満の国が豊かで強い国になる事。ただそれだけだ。そのためにみなついてきてくれ」
ざわついていた家臣団はやがて口々に「御意!」と声を上げながら、頭を垂れた。




