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カノン伝記  作者: 真喜兎
外伝① 月夜の神
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21-4.石楠花慶雲伝

 慶雲けいうんは弦の国が占拠する裾野城の攻略を命じられた。若くして名を上げている慶雲と腕比べをしようと、裾野城から戦慣れした武将が出てくる。刃を交えた慶雲は、見事にその弦の国の武将を打ち破った。


「大将は討ち取った。これ以上の戦は無意味である。城を明け渡せ」


 城門前の馬上で叫ぶ慶雲の前に、通用門から一人の赤毛の男が出てくる。髪を長くして結わえるのが一般的な月国地方で、めずらしく短髪にしている。格好は明らかに文官で、年齢も慶雲より若い。


黄蝦根(きえびね)(かなめ)と申します」


 要は少し視線を伏せたまま、丁寧に名乗った。


「わたしは今回の戦で軍師を任されました。わたしが大将です。わたしが倒れるまで、この戦は負けではありません」


 慶雲は思わず鼻で笑った。要は平静を装った顔をしているが、声は明らかに震えている。初陣であるのが見て取れる。


「このおれと覇を競おうと言うのか? 貴様達の兵はもうわずかしか残っていまい。どう戦う気だ」

「……わたし達はまだ、城に立て籠もる事ができる」

「ふん。応援を待つつもりか? 残念だが弦の国の本隊は、我が国の将、いけま将軍が抑えている。応援が到着するまでの間に、おれはこの城を落とせるぞ」


 要は分かっていると言うように、やはり視線を伏せる。慶雲はそれでも引かぬ様子の要に若干イラついたが、馬を回して言った。


「一日待ってやる。大人しく投降すればよし。そうでなければ攻城を開始する」






 要はその一日を胃を絞られるような思いをしながら過ごした。本来なら作戦(・・)が成るまで、満の国の山粟慶雲武将を抑えられるはずだった。だが、城の防衛を担っていた自国の武将が功を焦ったため、早々に慶雲に打ち取られてしまった。


 要はまんじりともせず震えながら夜を過ごした。空が白む頃、夜通し走ってきた伝令が要の前に現れ、要の立てた作戦(・・)が成った事を知らせた。


 たった一日の時間で鬼気迫るほど頬のこけた要は、乾いた笑いを上げた。






 慶雲は裾野城の前に陣を敷いた。馬に乗って先頭に立ち、要の返答を待つ。やがて剣をずるずると引きずりながら要が一人で出てきた。そして昨日と同じように少し視線を伏せたまま、軽く頭を下げる。


「何の真似だ?」


 慶雲はどう見ても扱いなれていない剣を握っている要を、不思議そうに見る。


「わたしと戦っていただきたい」


 慶雲は要を見つめたまま、ぶるるんと鳴く馬をたしなめる。


「まさかと思うが、このおれに一騎打ちを挑んでいるのではあるまいな?」


 要はこくんと頷く。慶雲はあまりの事に怒りを通り越して呆れた。文官である要と、生粋の武人である慶雲。どちらに軍配が上がるかなど考えるまでもない。


 慶雲が呆れて物も言えなくなっている間に、要は顔を上げて、少し潤んだような光を湛えた瞳を向ける。その顔には鬼気迫っていた緊張感はない。


「わたしの策は成った。わたしはもう充分戦い切った! もう思い残す事などありません!」


 要の表情は、重責から解放された自由な人間のそれだった。


「策が成っただと? どういう意味だ?」

「言えませぬ」

「……策が成功したから、もう死にたいと言うか?」

「はい。わたしにもう悔いはない。猛将と名を馳せた山粟武将の手にかかって倒れるのなら本望です」


 慶雲はその言葉にイラついた。役目を終えた。ただそれだけで、だから死にたいと言う。それはおれの望みではないか。慶雲は天を仰ぎ、怒りを吐き出すように深く息を吐いた。


「馬を引いてこい」

「わたしは馬を扱えませぬ。このままで」

「つくづくおれを馬鹿にしてくれる」


 慶雲は馬から降りて、要の前に立った。不釣り合いな二人が対峙する。勝ち目のあるはずもない要を慶雲の後ろで嘲笑する者がいたが、慶雲はじろっと鋭い視線を向けてその兵達を黙らせる。僅かに震えながらも、死を受け入れているような要の姿に慶雲はやはりイラついた。


 そこにいたかったのは自分だった。この満の国に来て間もない頃に、故郷の村は盗賊に襲われ壊滅したと馬山から聞かされた。だから必死に生きた。自分だけは殺される事のないように。だがいつしかそれに虚しさを覚えるようになっていた。自分は何のために生きているのか。


 ふと頭の隅で馬山が何か言ったような気がした。慶雲は一瞬で要の剣を要ごと弾き飛ばした。






 要は地面を滑るように仰向けに倒れた。そしてそのまま死を迎える恐怖に耐えた。


「……え?」


 要はいつまでたっても消えない自分の意識に不信を覚えると、とっさに顔を上げ、手で自分の体を探り、傷一つないのを確認する。生かされたのだと気づいた要は驚きの表情で慶雲を見つめた。






 慶雲は思い出していた。自分の背中をいつまでもいつまでも、地面に額をこすりつけながら見送っていた母。なぜ今母の姿を思い出したのかはわからない。ただ今の慶雲からはいつも眉間にできていたしわが消えていた。


「黄蝦根、死に急ぐな。戦はまだ終わっていない。死に場所を求めるには若すぎる。おまえも、おれも……」


 要は目を見開いたまま慶雲を見つめていた。






 要を拘束した後、慶雲と民豊は二人で話し出す。


「ここではない、どこか別の場所に奴の策がある」

「ここは(おとり)という事でしょうか? しかし奴らにとってもここを守る事は重要なはず」

「その割にここにいたのは武将一人に、若い軍師一人か」

「それはいけま将軍が弦の大部隊を抑えてくれているからでは……」


 その時、慶雲の前にひどく慌てた様子の伝令が走ってきた。


「本国急襲! 本国急襲!」


 話を聞いた慶雲は思わず振り返って要を見た。弦の国は半の国をけしかけ、満の国本国を攻めさせたのだ。弦の国の大部隊はいけま将軍が抑えていたのではなく、逆に抑えられていた。守りの兵が少ない本国は、既に皇のかずらのいる城の目前まで攻められていると言う。


「黄蝦根、(しん)が震えた。見事な策だ。だが満の国は滅ぼさせん」

「間に合うわけがありませぬ……!」


 慶雲は内心焦りながらも、それでもにやっと笑って見せた。


「黄蝦根、後悔させてやるぞ。このようなつまらぬ場所で死のうとした事をな」


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