21-3.石楠花慶雲伝
ほどなくして満の国の天子、石楠花重慶が病死した。
その後、馬山や慶雲が危惧していたような後継者争いは起こらなかった。長子のかずらは皇の座につき、内政に才を見せ、次兄のいけまは武に才があったため将軍になったからだ。三男は地方の太守で満足していた。かずらとそう歳の変わらないいけまは政に口を出してくる事こそあったものの、それでもその兄弟達の関係は良好だった。
慶雲はなぜ義父の馬山は自分を殺さないのだろうと考えていた。自分が重慶の隠し子であるとの噂が、皇家の内部にまで届いている。家臣の中には慶雲に春夏秋冬の付け届けをする者もいた。
馬山は慶雲に重慶様の子である事は忘れろ、と言いながら、事あるごとに「さすがは重慶様の子だ」と言うようになった。慶雲には馬山の心がわからなかった。わからなくてイライラしていた。ただ知っているのは重慶が亡くなってから、馬山は明らかに覇気がなくなったという事だけだ。馬山は重慶の家臣であったという以上に、重慶の事が人として好きだったのだと、それだけは慶雲も感じていた。
満の国は度々、北にある半の国からの侵攻を受けていた。半の国は東隣にある豊かな国、新の国とは争おうとはせず、国力の強いとは言えない満の国の領土をかすめ取ろうと、いつも画策していた。
満の国は満の国で、南方の国との交易に邪魔となっている朔の国へ侵攻を繰り返していた。北と南に挟まれる形になっている満の国の国力は弱まる一方だった。そこで満の国は同じく朔の国を邪魔に思っている弦の国と同盟を結んだ。
朔の国との総力戦を予感した慶雲は、戦いの拠点の一つになるであろう城に来た。堀を深く掘らせ、もろくなっている外壁の修繕等を指示する。その夜、城主の駒繋に招かれ、食事を共にした。
その食事の席で、駒繋の娘が慶雲に酌をしてくれた。娘は寿陽という名で、歳に似合わぬ落ち着いた雰囲気を持っていた。男達が戦の話で盛り上がっている間も、決して口を出さず、そして嫌な顔もせず、ただ笑みを浮かべて静かに座っていた。
慶雲はいつの間にかその寿陽という娘を目で追っていた。慶雲のその視線に気づいたのか、駒繋は「年頃というのに、どの縁談も断ってしまって」と、説明しだす。どうやら親ばかで、娘の意思に沿わない無理な結婚をさせる気はないらしい。民豊も「美しい女性ですね」と、慶雲の肩を押す。
いつの間にか慶雲は寿陽の部屋で二人きりになっていた。
「子を作る事は許されない」
昔、馬山が言ったその言葉を思い出したが、慶雲はまるでそれが必然であるかのように自然に寿陽に触れた。
寿陽となら共に死んでもいい。慶雲は今度こそ殺される覚悟で、馬山に女性を抱いた事を報告した。しかし馬山は静かに「そうか」と頷いただけだった。それどころか「おまえには以前から縁談が来ていたな」と、結婚を勧める素振りすら見せた。
慶雲は結果的に寿陽以外の女と結婚した。そして弦の国の力を借りて朔の国を落としている最中、長男が生まれた。慶雲はその長男の顔を見た時思った。
「そうか。父上は、生まれた子ごとおれを殺せばいいと考えているのだ」
慶雲にはそうとしか考えられなかった。ならばいつ殺すのか?
戦が本格化してからというもの、皇のかずらを差し置いて、弟のいけまが政を決定する事が多くなってきていた。かずらはいけまへの処置が甘く、どちらが当主なのかわからなくなっている。そのため家臣団は戸惑い、朝廷が割れるようになってきた。
馬山はおれにいけまを暗殺させたがっているのではないか? そして天子の一族殺害という罪を負うおれを家族ごと処分する。そうする事で国は割れずに済む。
慶雲は自分の死に場所を見つけた気がした。
「民豊。貴様、弓の腕には自信があると言っていたな?」
「はい、武将。弓なら武将にも負けないですよ」
民豊はいつものようににこにこしながら答える。慶雲は声を低めて民豊に問う。
「貴様、おれと死ぬ覚悟があるか?」
民豊は少し目を丸くしたが、すぐににやっと笑って見せた。
「もちろんです、武将」
「ならば聞け。おれは石楠花いけま将軍を暗殺する」
民豊は話さずともその理由に勘づいたのか、黙ってうなずく。
「今すぐというわけではない。だがいずれはそうなる」
「確かにまだ戦で戦い続けるにはいけま将軍の力は必要ですね。しかし時を長引かせる事はよくないと思います。できれば今の乱世の内に」
「そうだな。その時の指示はおれが出す」
「了解です」
朔の国を滅ぼした後、南方の交易の拠点と言える裾野城には弦の国が居座った。満の国ではその拠点が取られたままな事に対する不満がつのっていった。近年、半の国の攻勢が落ち着いていたのもあって、満の国は弦の国と対立する道を選んだ。
「ここ数年……半の国の皇家で不審死があるとの噂があります」
慶雲は書き物をしている馬山の背中にそう話しかける。
「父上は、鬼人を使っているのですか……!?」
鬼人。それは満の国の西側にそびえる山脈――竜の背と呼ばれている――に、隠れ里を持つ一族を総称してそう呼ぶ。大陸式に言えば、魔人に分類される。
鬼人は一族ごとにそれぞれ魔石などを使った異能の技を持っている。一部の者は皇家などに仕えて出世し、鬼人の名から逃れたが、山奥の村で滅びを待つだけの一族も多い。それはいつしか鬼人は穢れを持った一族だと認識されるようになり、鬼人を使役する事は武士道に反すると考えられるようになったからだ。
生粋の武人である慶雲も、鬼人を使う事に難色を示した。馬山に対して珍しく強い抗議をしていった慶雲の背中に、馬山は同じく鬼人を好いていなかった重慶の影を見た。
「天子の血は、純粋すぎるな……」
馬山は少し寂しそうに慶雲を見送った。