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カノン伝記  作者: 真喜兎
外伝① 月夜の神
42/141

21-1.石楠花慶雲伝

 外伝①です。全7ページでございます。

 あなたは天子様の血を引いているのです。


 母にそう言われながら育ったのは何年前だろうか。子供が薄汚れたふんどしと、破れかけた布切れを着て走り回っているような貧しい山奥の村で、老虎丸(ろうこまる)は生まれた。


 少し高台になっている場所から、村の子供達が遊んでいるのを十二歳になった老虎丸は見ていた。羨ましいなんて気持ちはもうとっくに失くした。事あるごとに「あなたは他の子と違うのです。その体には天子様の血が流れているのです」と、口にする母のおかげで、村の子や大人からでさえ蔑んだ目で見られる。


 老虎丸が遠くの山を眺めている間に、いつの間にか子供達が高台を登ってきて老虎丸を取り囲んだ。老虎丸より頭一つ分大きくて、いかにもガキ大将という感じの少年が、細い目をにやつかせて老虎丸を見下ろした。その弟と子分二人も同じようににやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべている。


「よう、老虎丸。今日も上等なべべ着てるなあ?」


 老虎丸はこんな田舎の村に似合わない、上等な木綿の着物と袴を着ていた。母が少ない生活費を削って、行商人から譲ってもらったものだ。老虎丸はこの服が嫌いだった。しかしやはり「あなたは天子様の血を引いているのだから」と言う母に無理に着せられている。穴が空いてそこを縫いつくろわれたりしているが、ガキ大将達が来ている服よりよっぽどいいものだ。


 ガキ大将達は老虎丸を小突きだした。


「おらおら、なんか言ってみろよ、老虎丸。天子様よお?」

「そんな服、汚してさしあげるぜ、ほらよ!」


 土を投げつけられ、尻を蹴られ、足を引っかけられる。バランスを崩して膝をついた老虎丸を、子分が「にひひひひ」と嘲笑い、ガキ大将の弟がどもった声で「あ、あ、あんちゃん。こ、こいつ、びびって声もでねえぞ」と、老虎丸の頭をばしばしと叩く。


 老虎丸は泣きもしないし、痛いとも言わなかった。それに黙ってやられっぱなしでいられるほど大人しい気性でもない。老虎丸は笑っているガキ大将の隙を突いて体当たりを食らわせた。どすんっと尻もちをついたガキ大将は、びっくりしたのも束の間、「やっちまえ!」と怒鳴り、老虎丸と乱闘を始めた。


 四対一とはいえ、老虎丸は負けていなかった。生来より見た目以上に力が強いし、頑丈で運動神経もいい。的確に子分達の顔や腹を殴り、怯んだ隙にガキ大将にも散々拳を浴びせた。ガキ大将達が半泣きになって逃げ去っていくと、老虎丸も殴られた頬をさすりながらため息をついた。


「また、母上に叱られるな……」


 子供達とケンカをした後に言われる小言も毎回決まっていた。天子様、天子様。老虎丸はその言葉が嫌いだったが、痩せて骨が浮いてきても、老虎丸に尽くしている母に文句を言うことはできなかった。






 老虎丸があばら家のような家に入ろうとした時、老虎丸を探していた様子の母が慌てて出てきた。


「ろ、老虎丸、大変です! あなたの父上が……天子様がいらっしゃってます!」


 老虎丸は昔は美人と評判だったと言われる母の顔をじっと見た。今は頬がこけ、目がぎょろっとしていて少し不気味に見える。その瘦せこけた母のどこにそんな力があるのかと思うほどの力で、老虎丸は引っ張られていく。


 村に一つしかない宿には人が集まっていた。宿の前には護衛と思われる男が二人、剣を下げて立っている。母は老虎丸を引っ張りながら、その男達の前に出てひざまずいた。


 十二年前、天子様にお情けをいただいて生まれた子がこの子です、と、母はまたどこから出るのかと思うくらいの大声で叫んだ。


 老虎丸は顔がかっと熱くなるのが分かった。本当に来ている客人が天子様であろうとなかろうと、母の妄言としか思えない言葉を聞くのはあまりに耐えがたかった。案の定、周りの村人もせせら笑っている。


 老虎丸はなんとかこの場を立ち去ろうと、母を必死に引っ張るが、母は根が生えたように動かない。やがて宿から濃い顔をした初老の男が出てきた。そして老虎丸をじろっと見下ろす。母がなおも老虎丸は天子様の子だと訴え続けていると、宿の中から五十頃の男が出てきた。母はその顔を見ると、涙を浮かべて「天子様!」と叫ぶ。そしてなおも同じ事を訴える。


「やれやれ、お忍びで湯治に来たと言うのに、これでは意味がないな」


 母が天子様と呼ぶ男は、特に困った風もなくにやっと笑いながら言う。濃い顔の男が天子様に頭を下げながら、「今すぐ黙らせます」と口にした。老虎丸はぞっとした。そこに感情なんかない事に気づいたからだ。


「は、母上、母上!」


 老虎丸が焦っていると、天子様は驚いた事に、老虎丸を連れていってもよいと答えた。


「本当に我が子か、月夜の神様に神託を仰がねばならぬ。のう、馬山(まさん)


 天子様の言葉には老虎丸だけでなく、馬山と呼ばれた濃い顔の男も驚いたが、すぐに「御意」と頭を下げた。そして翌日、本当に老虎丸は天子様についていく事になった。


 ほとんど身一つで老虎丸はついていく。その背中で、母は地面にひざまずき、ずっと頭を下げていた。ずっとずっと、老虎丸が何度振り返っても、母は地面に頭をこすりつけたままだった。






重慶(じゅうけい)様。本当にあの小僧について、月夜の神様にお伺いを立てるのですか?」

「何、城に辿り着けねば神託を受ける事も叶うまい。それにあの女、いや村の始末も任せる」


 天子様――重慶はさらっと答えた。馬山はなるほどとうなずくように「御意」と答えた。その時、老虎丸は重慶の近くまで走り寄って声をかけた。


「天子様」

「なんじゃ」

「おれは、天子様の子でなければ生きている道理はないと思う。だけど、どんなでもお仕えすれば、お仕えできれば、必ず、役に立ってみせます」


 老虎丸の目に子供らしいあどけない光はない。世の虚しさ、厳しさを知っている目だ。重慶はそれを見て吹き出した。


「フハハハハ、おもしろい小僧だ。気に入ったぞ。馬山、この小僧を預ける。使えるように教育してやれ」


 馬山は眉をひそめるが、それでも「御意」と答えた。重慶はそんな馬山をにやりと見ながら、ぼそっと言った。


「この小僧、自分が殺される事を知っておったわ」


 重慶は再びおもしろそうに笑った。


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