20-1.八大神の姿を探せ
カノンは動揺していた。十六のカノンから見たら充分、大人なはずのヤマという青年が、ぼろぼろと涙を流している。その青年に殺気なんか最初からない。始めこそ恐怖に押されて、ヤマに攻撃をしかけたカノンだったが、攻撃する理由に迷って動きが止まっていた。
ヤマは何度も目をこすっているが、湧き出てくる涙は全然止まらないようだった。後ろに座っているはずの男は、動きの止まっている自分達をどう見ているのだろう。カノンが背中で男の無言の圧を感じていると、すぐ側を何かが飛んでいった。
慌てて振り返ると、男が矢を受け止め、それを片手でぼきっと折ったところだった。
「いい腕してるな」
矢を飛ばしたのは、ニルマと一緒に少しカノン達から距離を取っていた傭兵の一人だった。男の恐ろしさは充分に伝わっているようで、矢を飛ばした男とニルマは、恐怖に怯えた顔で叫ぶ。
「ヤマ! 逃げよう! その男、普通じゃない!」
傭兵達は王家の人間であるという正体を隠していたヤマを、最初こそ不審な目で見たものの、見捨てるという選択肢は捨てたようだった。ヤマはまたごしごしと目をこする。
ニルマも魔石を飛ばして魔法を発動する。丸い赤い魔石が炎を発生させ、黄色い魔石が衝撃波をまといながら、カノンの周りを飛び回る。
ニルマら傭兵達には、カノンも男も同じ敵に見えているようで、魔石も矢も、カノンと男を牽制するように飛んでいる。状況に固まっていた残りの護衛兵達のところには青い魔石が風を巻き起こしながら飛んでいる。
その時、カノンの耳にハマの声が聞こえた気がした。魔石と矢を避けながら、カノンは目の端に馬車から降りて走ってくるハマを見た。
魔石が飛んで来ようと、矢が飛んで来ようと、黙って座っていたイースターは、カノンの名を呼んだ白髪に近い髪色の青年を見て、ばっと立ち上がった。カノンのもとに走り寄ろうとしたハマの胸倉を掴み、その顔を覗き込む。
「間違いない、白エルフだ。まだ生き残りがいたのか!」
「なんだ、あんたは!? 離してくれ! カノンが危ない! カノン!」
暴れるハマだが、イースターは掴んでいる手を緩めない。
「ハ、ハマを放せ!」
ハマとイースターに気を取られたカノンの肩を矢が掠める。カノンが痛みに顔を歪めたのを見たハマは、なおも暴れる。
「離せ! 頼む、離してくれ! このままでは!」
「ふん、それがおまえの予知の力か? いいだろう、さあどうなる」
カノンに向かってさらに矢が飛んできている。イースターが手を離すと、ハマはカノンに駆け寄り、カノンを庇うように抱きしめた。
どすっと鈍い衝撃がハマを襲った。ハマの背中に矢が突き立っている。
「ハマ!」
カノンが呼ぶと、気を失ったハマがずり落ちるように倒れていった。イースターはきょとんとハマを見ている。
「おいおい、おまえが死ぬのが予知か? 死ぬなよ、おい、おい」
イースターはハマの頬を何度か叩くが、ハマは目を覚まさない。カノンは頭がかっとした。自分に好意を向けてくれた青年。自分の強情な態度に呆れもせず、自分を心配してくれた人だ。まだ矢は飛んでくる。カノンはますます頭がかっとしてきた。
カノンは落ちている矢を拾って、思い切り振りかぶり、矢を飛ばしている男に向かって投げた。矢は大きく上空を弧を描いて飛んでいく。
「あぐあっ!」
悲鳴を上げたのはニルマだった。カノンの投げた矢が、右頬に突き立っている。ひとしきり痛みに悶えた後、ニルマは血が噴き出る頬を抑えながら怒声を上げた。
「あんのくそアマ! 絶対に許さねえぞ!」
温厚で物静かだったニルマが、怒りのあまり口汚く叫んでいる中で、ヤマは壊れた馬車の中に入り、トウを抱えていた。ヤマはなんとか気を失ったままのトウを背負う。
「ち、伯父さん、もらしてるのか」
軽く舌打ちし、まだ涙の痕が残るヤマは鼻をすすりながら馬車の外へ出ていく。イースターの注意がこちらに向かない事を確認しながら、トウを護衛兵のところまで連れていく。
「さて、おれはトウ伯父さんを守らなきゃな」
護衛兵にトウを預けたヤマは、トウを背に防御の姿勢を取る。刃先をイースターに向けるのはまだ恐ろしかったが、それでも精一杯の強がりで槍を構えていた。
傷を負ったニルマを見て、ヤマは先に逃げろとニルマ達に合図する。しかしニルマは怒りが治まらないように、「まだだ!」と叫んで、魔石を回転させ始めた。ニルマが特大の魔法を発生させてカノンを攻撃しようとした時、ふっと魔石から魔法が消えた。
「え?」
ニルマが驚いている間に、浮遊していた魔石が地面に落ち、きらきらと微かな光だけを放つ。
「な、なんで魔法の力が消えたんだ……?」
「八大神……朝焼けの神が来たな。やつらは魔石の力を食うからな」
ニルマと離れたところにいるイースターは、ニルマの言葉に答えたわけではないが、ぼそっと呟く。
「ニルマ、出血が酷いぜ。早く手当てしねえと」
「でも、おれの魔石」
頭のくらくらしてきたニルマはそう呟いたが、仲間達はニルマを支えながら後退する。トウを抱えている護衛兵達はニルマ達を追おうとはせず、ニルマ達はそのまま退散できた。
イースターは立ち上がって朝焼けの神の姿を探す。
「近くにいるはずだが、姿を見せないな。おれを誘ってるのか」
イースターは通りの向こうに目をやると、「向こうか……?」と走り去っていった。
ニルマ達とイースターが去った事でようやく頭の冷えてきたカノンは、脱力するようにハマの横に膝をつく。
「ハマ、ハマ」
呼んでみるが、やはりハマは目を覚まさない。だが息はある。カノンが少しだけほっとしている間に、ふと上から薄絹が降ってきてカノンの頬を撫ぜた。
カノンが上を見上げると、そこに長い白髪を結わえた女性が浮かんでいた。女性はそっと腰をかがめて、ハマの頭の上に手をかざす。
「この子はこの先数年は目を覚まさないだろう。薄くでも自分の運命を知っているのだ。下手に目覚めればあの男に利用される」
カノンが言葉を発する事ができずにいると、女性はさっと立ち上がり、後方に跳んだ。
そこには再びイースターが飛び降りてきていた。