18-2.頬に傷のある男
左頬に傷のある男、イースターは小刀をくるくるっと回して上に投げ、それが手の平に落ちてくると、今度は牢獄のベッドの前でぐったりしているドムの胸に向かって投げつけた。ドムは「ぐううう……!」と、歯を食いしばってその痛みに耐える。
「ハハ、悲鳴を上げないのは見上げた根性だ。それともそんな元気もなくなったか?」
「何……者だ」
既に暴行を加えられた後で、意識も飛びそうなドムだが、なんとかかすれた声で尋ねる。
「報復に来たって言っただろ? その心当たりもあるだろ。ああ、意識を失う前に伝言を頼まれてくれ。次は誰かな、ってな」
ドムは返事なく目を閉じて力なくなった。イースターはそんなドムの顔を覗き込む。
「なんだよ、まさか死んじゃいねえだろ? 手加減ってのはどうも性に合わねえからな」
ドムの息があるのを見ると、イースターはよしと頷き、そのまま牢を後にする。
「さて、王家の者を脅しておけば、予知の力を持つ朝焼けの神の力を借りるはず……」
ほどなくして牢の方で衛兵達の騒ぐ声が聞こえだしたが、イースターは気にせず悠然と歩いていく。
「あのニルマとかいった傭兵共はこれで本格的に賊徒扱いされるだろうが、まあそれはおれの知った事じゃないか」
衛兵に見つからないのが不思議なほど、イースターはゆっくりと歩き、左頬にある傷をぽりぽりと掻いた。
ニルマと共にいる傭兵は、もうニルマを入れて四人になっていた。相手が北エルフ王家の王子だと知った傭兵達の一部は、戦う事を諦め国外へと去ったからだ。
「おれはこの国を追われるわけにはいかないんだ……」
北エルフの貴族の娘と恋仲になっているニルマは、視線を落として呟く。他の傭兵達も「おれも国内に家族がいるんだ」とか、「何もしてないのに追われる身になるなんてごめんだ」と、ニルマの言葉に頷いている。
「直訴……しかねえんじゃねえか?」
追われ隠れているニルマ達は、ドムが投獄されている事すら知らない。見つからないドムを探すのを諦めて、誰か有力な貴族に自分達の無実を訴えるのが得策なように思われた。
誰に訴えるのがいいか、ニルマが恋仲になっている娘には追われている事を知られたくないなと頭を悩ませているところに、ヤマが現れた。ヤマは、「おまえ達、やっぱり国外に逃げた方がいい」と言うが、傭兵達は頷かない。
ニルマが直訴の話をすると、ヤマは難しいぞ、と眉間にしわを寄せる。
「あんたも王家の関係者なんだろう? おれ達を助けてくれるだろう?」
傭兵の一人が切羽詰まった形相でヤマにしがみつく。もう何週間も続く逃亡生活で、家族のもとにも戻れていない男は必死だ。他の傭兵達もそれぞれにヤマに縋った表情を見せている。
「わかった! わかった! 訴えるとしたらトウおじさ……いや、トウ様しかいねえ。おれがトウ様の予定を探ってみるから、おまえ達はそれまで余計な事はするなよ!?」
なんとなく自分の身分を明かす事に戸惑いを覚えたヤマは、伯父さんと呼びそうになったのをごまかしながら、傭兵達をなだめた。ニルマは少し視線を落として呟く。
「頬に傷のある男……」
「なんだ?」
ヤマが何か言いかけたニルマの言葉に反応するが、ニルマは「いや」と首を振った。
ニルマは、報復はおれに任せろと言った傷の男の存在に少し不安を覚えたが、それをヤマに伝えるのはなんとなくはばかられた。それに自分達がこれだけ探して見つけきれなかったドムという男を、あの男が簡単に見つける事もないだろう。ニルマはそう思って、アジトを出ていくヤマを見送った。
数日して目を覚ましたドムは、もう全ての事を母親のミヨに喋ってしまっていた。ドムはベッドに横になったまま、子供のように涙を流してしゃくりあげる。
「わたしは恐ろしい。左頬に傷のある男……。あの男、人間じゃない。人の命などなんとも思っていない。まだ喉仏を締め付けられているようだ」
ミヨは眉をひそめてドムの話を聞いていた。何の罪もない傭兵団を、賊徒として貶めようとしていたドムの目論見は、もともとは貴族院の者達の目論見だ。人を人とも思っていない。それはドムも同じだったが、命を狙われた事でようやくドムは自分の犯した罪の重さに気づいたようだった。
「騙された傭兵達が復讐に来る……」
ミヨが呟くと、ドムはまだ泣きながら首を振る。
「あんな男、いなかった。あの獣のような目、一度見たら忘れられるものか……!」
「傭兵達が新しく雇ったのか……?」
ミヨは頭を捻らせたが、答えは分からない。
「その男は次があると言っていたのだな……? ならば朝焼けの神のお力を借りてみよう。何かわかるかもしれない」
ミヨはそう言いながら立ち上がり、ほんの少しだけ母親の顔に戻って「今はゆっくりお休み」とドムに声をかけた。
その頃の貴族達の間では、ドムは傭兵達に報復されたのだという噂が流れていた。心当たりのある貴族達は、自身の警護を強化し始める。ドムの兄、トウも怯えてイラついていた。
「賊徒どもを捕らえるのに、どれだけの時をかけてるのだ!」
興奮して物を投げるトウの傍らには、複数の警備兵とカノンが控えていた。どういう経緯なのかカノン自身にはわからないのだが、なぜかカノンはトウの警護につく事になった。カノンは視線を落として、感情を表さない兵士の表情で膝を折っている。
トウはどさっと椅子に座ると、警備の兵を外に出し、カノン一人を残した。そして声を落としてカノンに声をかける。
「娘、そなた、ハマとずっと一緒におったろう。ハマは何か言っていなかったか……?」
「何か……とは、なんですか?」
「例えば、わたしが襲われる、とか」
カノンは少し考えて、ハマとの会話を思い出す。
「そう言えば、何か恐ろしいものが現れる、という話をしていた気がします」
「やはり、か」
トウは自分を抱くようにしながら体を震わせる。
「そなた、定期的にハマと連絡を取り、ハマの話を聞いておくのだ。そうだ、朝焼けの神にも神託を頼まなければ」
最後はぶつぶつと言っているトウを見ながら、カノンはハマとの連絡役に使われるために呼ばれたのだという事が分かったが、なぜハマの言葉がそんなに重要なのかの理由は、いまだにカノンは知らなかった。