16-2.ローカス離脱
ハマはまた夢を見ていた。霞の奥にいる男は腰まで届くほどの長い白髪を結わえている。その前には同じく長い白髪を結わえた女性がいる。
「かつては神の子として崇められていた白エルフが、いつしかその威厳を失くし、北エルフの王家に従属するようになった。わたしは北エルフなどにこびへつらう我が一族に嫌気がさし、皆殺しにした」
男はピサ・アペニ・ノーヴィリーグレだ。だがハマはその男の名を知らない。ピサ・アペニは言葉を続ける。
「だが命を失ってから気づいた。その滅亡の運命はもう何百年も前から決まっていたのだ。朝焼けの神よ、あなたが白エルフをそんな運命に貶めたのだ」
朝焼けの神と呼ばれた女性は静かに目を伏せる。
――わたしは……いや、わたし達は泰平の世を願い、神となった。だがその代償は大きいものだった……。自分の一族が犠牲になる……。だからわたしは逆に願ったのだ。白エルフの血を途絶えさせぬようにと――
「図らずもその願いはわたしの願いと一致した。わたしはミヨに会って初めて思ったのだ。普通の人間のように生きたいと。だがもうミヨは人の妻だった。だからわたしはミヨの妹をたぶらかし、わたしの子を宿らせた」
――それもわたしの予知通り……。白エルフの血は絶やさせない――
「胸の悪くなる話だ。わたしはあなたの手の平で踊らされていたのだ。だがわたしはわたしの人生を生きた。ミヨと敵対する王家に加担する振りをして、ミヨを王座につけたのだ。ミヨならば……」
――そう、ミヨならば、そなたの血を宿した子を守ってくれる。そなたの子はそう長くは生きないだろうが、さらにその血を継ぐ子はわたしの呪縛から逃れ……――
ハマは目が覚めた。一筋だけ涙が流れている。その涙の意味は分からなかった。夢で見たもののほとんどは忘れてしまっていた。
カノンは国軍の先頭に立って街中を行進させられていた。興味深げにカノンを見てくる人々の視線に戸惑いながらも、カノンは街道を進んでいく。
「へえー。あいつすげーじゃん。おれもこれが終わったら世界に出てみるかあ」
ヤマ・ノシフカは、槍を握りながらにひひと笑う。ヤマの言うあいつとはローカスの事だ。ドムの思惑を見抜き、さっさと立ち去ったローカスの自由な生き様に、ヤマは感銘を受けたようだ。ドムは不機嫌そうにじろっとヤマを見る。
「何がすごいんだ。これだから魔人というのは当てにならないんだ」
ヤマは(ひでー言いざまだな)と思いつつも、口には出さず、机の上にある書類から誓約書と書かれた紙を取る。
「貴族院のビタルートさん、メーディールさん、レーギンスさん……おお、大物ばかりだな。市民党の設立を認める誓約書か」
「ミヨ様誘拐の罪を賊徒に押しつける他、貴族院の出すいくつかの法案に賛成する事が条件になっているがな」
「へえ、根回しがいい事で。こっちはニルマ・バジリア……? 誰だい?」
ヤマは別の誓約書にあるサインを眺めて、ぴらぴらと紙を振る。
「賊徒の新団長だ。奴らはもう市民団とは別の場所に潜伏させてある」
「国軍の別動隊として、市民団のデモを止めるって書いてあるけど……?」
「奴らにはそういう名目を与えてある。一度あの大角の魔人が市民団を襲いかけている。だから国軍としては今度はその実害が出る前に、賊徒どもを討伐に行く。大角の魔人はまあそれなりの仕事はしてくれた事にはなるな」
「ん~」と、ヤマは頭を捻らす。
「これ、ドム伯父さんが危なくないかい? 賊徒の恨みを買うのはもちろんの事、こんな書面があっちゃあ、賊徒の戯言では済まなくなるぜ?」
「奴らを正式な国軍に推薦するという約束の証明に、作らざるを得なかったんだ。大角の魔人が抜けた事で、奴らも少し慎重になっていたからな。そこでだ、ヤマ。おまえ、どうにかしてその誓約書を、そのニルマという青年から奪い返せないか?」
ヤマはやれやれと息をつく。
「危ない橋、渡ってんなあ、ドム伯父さん。足をすくわれなきゃいいが」
ドムは分かっていると言うように、眉間に深い皺を作って視線を落としたのが先日だった。
カノンを先頭とした国軍は、町はずれの古戦場跡に来ていた。その広場の向こう側に、困惑した様子の傭兵団がいる。僅か四十名ほどの傭兵団に対して、十倍以上の国軍が対峙していた。それはどう見ても傭兵団を国軍の一部隊として迎えようと言う雰囲気ではなかった。
「騙されたんだ……!」
「やっぱり国軍への入隊なんて、眉唾物の話だったんだ……!」
傭兵団の間からそんな声が出だした頃、国軍の将軍が声を上げる。
「市民団を襲った賊徒ども! モルゲン王国軍の名において、征伐する!」
「ち、違う! おれ達は……!」
傭兵団長のニルマが、国軍の言葉を否定しようとしているのは意に介さず、国軍の将軍は言葉を続ける。
「首謀者はドム・アスアガ・セーシェル! 貴族院の裏切り者! 国王を誘拐した極悪犯!」
賊徒に紛れていたヤマは、それを聞いて顔をしかめた。
「やばいぜ、ドム伯父さん。貴族院の奴ら、ドム伯父さんを裏切りやがった……!」
ヤマが槍を握りしめてどう動くべきか悩んでいる間に、国軍の将軍はさらにヤマを驚かせる。
「なお、ドム・アスアガ・セーシェルに加担した、ヤマ・ノシフカ・セーシェルも首謀者の一人として拘束、ないし討伐する!」
ヤマはそう言われてようやく気付いた。貴族院はミヨ国王の身内が起こした不祥事として、この件を処理するつもりなのだ。そうする事でミヨ国王の責任を問い、退位に追い込む。
「これは貴族院、および北エルフ市民の総意である!」
誰に宣言してるのか分からない口上を述べた将軍は、馬上で剣を掲げ、それを突きだす。
「賊徒どもを殲滅せよ!」
捕縛じゃなくて、殲滅かよ!
ヤマは思わずそう叫びそうになったが、雪を蹴散らし殺気立って前進してくる国軍を前にして、考えるより先に槍をくるくる回して戦闘態勢を取る。そうしてから(やばい、これじゃ後には退けねえぞ)と、手に汗を握る。
「全員、退避ー!!」
ヤマはその声を聞いてはっとした。新しい団長ニルマの好判断だ。状況に困惑して固まっていた傭兵達は、弾かれたように国軍から逃げ出す。ヤマもそれでようやく足が後方を向いた。