16-1.ローカス離脱
イースターはたった今ぶった切ったばかりの一角獣の頭を、ぶんと投げた。それは存在が虚ろのように半透明で、宙に浮いている月夜の神の足元へ転がっていく。
イースターは月夜の神を殺そうと追っている男だった。金色のぼさぼさの髪に、金色の目。年齢は二十代頃で、左頬に傷跡がある。
イースターは持っていた大剣をも月夜の神に向かって投げつけ、それが何の抵抗もなく月夜の神の体をすり抜けていくのを見ると、忌々しそうに舌打ちした。
「神獣と呼ばれる一角獣を根絶やしにすれば、貴様の力も弱まり刃が届くかと思ったが、やはりそんな事はないか」
――フフフ、ムダな労力を使ったなあ? イースター――
月夜の神は一角獣が惨殺された事には何の感情も湧かないかのように、ただ愚かなイースターを笑う。
「あの時の一瞬だけ刃が届いた理由が、まったく分からない。答えろ。なぜだ」
イースターが言うあの時とは、カノン達が弦の国を出た街道で、月夜の神の存在に気づいた時だ。まったくの偶然にそこにいたカノン達の存在を、イースターはもちろん覚えていない。
――フフ、そんな事わたしが知りたいよ。何百年も前、わたしはわたしの一族……本物の鬼人族を生贄にして神となった。この宙でぷらぷら浮くだけの存在にな――
月夜の神は言いながら、鈴のついている足をぷらぷら揺らす。チリリィン、チリリィンと鳴る音を、耳障りだと言いたげにイースターは眉をひそめる。
――それがあの一瞬、体が現世に近づいた。わたしは現世に戻れるのか? なあ、イースター。神殺しを行う男よ。探してくれよ。わたしが人に戻れる方法を――
イースターはフンっと鼻を鳴らす。
「悪いが手詰まりだ。いろんな文献を漁り、思いつく限りの方法を試してきたが、貴様ら神に刃はまだ届かない。手がかりはあの一瞬だけだ」
月夜の神は少し考えた。そしてすっと東の方向を指す。
――神殺しを行った事のある者などどこにもいない。どんな古い文献にもそんな方法が書いていない事は当然だ。だが未来を知れる者なら……?――
イースターは月夜の神が差した方向を見て思い出す。
「予知能力を持つ一族。白エルフか……! いや、だが奴らは七十年くらい前にある男が皆殺しにしたはずだ。確か名前をピサ・アペニ・ノーヴィリーグレ。白エルフの異端児だった」
――ほう? 詳しいな――
「奴ならおれが神殺しの方法を探すための実験台にしていた。途中でおれの実験から逃げようとしたから、痛めつけてやったら、そこを北エルフの討伐隊に見つかって殺された。五十年くらい前だ。最後の白エルフだったのに……!」
月夜の神はそれを聞いて少し頭を振る。
――白エルフは朝焼けの神の生贄に捧げられたのさ。衰退は必然だった――
「朝焼けの神……」
――朝焼けの神も白エルフ。あの女なら何か知っているかもしれない――
イースターは東の方向を睨む。月夜の神はチリリィンと鈴を鳴らした。
――わたしはこの月国地方から出られない。朗報を期待しているよ、イースター――
北エルフの市民団は、市民党設立を要望したデモ行進を行っていた。その後方に大角を生やした男を先頭にした集団が現れる。大角の男はローカスだ。背の低い四角錐とその倍くらいの高さの四角錐を底面でくっつけ合わせたような形の魔石を七つ浮かせている。大きさは三十センチメートル程で、色は薄紫色だ。
薄紫色の魔石はその周囲にバチバチっと小さな電気を走らせたかと思うと、途端に大きな雷を落とす。
それを見た市民団の後方にいた市民達は、大慌てで逃げ出す。先頭の方にいたメザやギブソンがその襲撃を聞きつけ、駆けつけた時にはもうローカス達はいなかった。
ローカスは一瞬だけ市民団を威嚇すると、さっさとアジトに戻っていた。そこへドムが現れ、半端な襲撃を責めるように椅子に座っているローカスに詰め寄る。ローカスはゆっくり首を傾げてドムを見た。
「なんだかね、あんた、わたしを随分と小馬鹿にしてくれているようじゃないか」
「な、何?」
「あんただろう? 貴族院とかいうものの回し者は。わたしを討伐させるために、市民団を襲撃させる。その理由は何かな……国軍の目的を市民団からわたしにずらせるため、かな?」
「なぜ、それを……!」
「友人が……ああ、と言っても会ったばかりだが、友人が教えてくれたよ」
ローカスは獅子と話した事を思い出す。しかしながら獅子はローカスにそこまで話したわけではない。ローカス自身が話の中でそれを推測し、前金をもらった分だけ働いて、それでさっさと戻ってきたのだ。間抜けたところもあるローカスだが、決してバカではない。
ローカスは立ち上がった。
「さて、わたしは本当はこの国に好きになった女の子を探しに来たんだ。でも探し当てるのは無理そうだし、諦めて去らせてもらうよ」
ドムは部屋を出ていくローカスを追う事はできなかった。顔をしかめて考え込んでいたが、やがて一人呟いた。
「何もあの男でなくともいいのだ。駒はいくらでもいる」
ドムはローカスと共に市民団を襲いかけて帰ってきた傭兵達を見て回る。幸いドムの思惑に気づいたのはローカスだけのようで、他の者達は去る様子を見せていない。
ドムは三色の丸い魔石を磨いている青年を見つけた。肩まで伸びる長髪で、グレーの目をした美形の青年だ。丸耳で魔人でもなさそうだが、顔立ちからハーフエルフでもなさそうだ。
三色も魔石を扱えるなんて、魔石使いとしては上流の方だ。ドムはその青年に近づいていく。青年は大角のローカスがいなくなった事を訝しみ、ドムを不信の目で見たが、貴族院の者がこのデモを止めたがっているのだという話をすると、あっさりとデモ隊襲撃の話を承諾した。
青年は名をニルマと言い、この仕事が終わったらとある貴族にとりなしてくれと言ってきた。話を聞くに、ニルマは北エルフの貴族の娘と恋仲になり、その仲を認めてもらうため、なにがしかの手柄を立てようとこの傭兵団に参加してきたようだ。
ドムはこの青年は厄介払いされたのだろうと確信できたが、それを口には出さず、青年の要求に「よかろう」と、軽く頷いた。




