15-2.ディアンダの思い出
ディアンダは女性が苦手だった。特に女性の悲鳴が苦手だった。それはかつて目の前で殺された母を思い出すからだ。シュヤが狂気的に声を上げるたびに膨らんでいく女性による女性のための隊を、ディアンダは自分の意思とは反すると思いながらも、守らざるを得なかった。
武器を持つ者すらまばらで、ましてやまともに戦える者などいない女性の兵団。それをイラついた顔をしながらも身を挺して守るディアンダ。宿営地でディアンダとシュヤが口論しているのはよく目撃された。
「わたしはわたし達から家族を奪い、尊厳すら踏みにじっていくモルゲン王国軍を許さない! 奴らを倒し、全ての女性が笑って暮らせる世の中を作る! わたしはそのためなら死んでも構わない!」
シュヤの目に光る狂気。意思は固いのに、どこか焦点が合ってる気がしない。誰の事も、目の前にいるディアンダの事も見ている気がしない。ディアンダは頭に血が上るのを感じ、思わずシュヤを引っぱたいた。
「おまえが死んだら、おれも死ぬからな!」
ディアンダは自分が何を言ったかわかっていなかった。
「子供を連れて従軍している女もいるんだぞ! そんな奴らに何かあったら、おまえのせいじゃないか! おまえはおまえを慕ってくる女達を……!」
そのまま文句を並べているディアンダを、シュヤは叩かれたほっぺを抑えながらきょとんと見つめていた。
「……なんでわたしが死んだら、あなたも死ぬの?」
「は!? おまえが好きだからに決まっている! おまえが狂っていても優しいのは知ってるんだ! この前だって旦那を失くした女を慰めていたし、その前も親を失くした子供と泣いてい……た……」
ディアンダはそこまで言ってからようやく自分の気持ちと台詞に気がつく。顔がみるみる内に真っ赤になった。
「ぷっ」
ディアンダとシュヤの口論をまたか、と呆れて聞いていたミヨの側近の者が吹き出す。それにつられるように周りの者もくすくす笑い出した。シュヤの父親のシャルゼは複雑そうな顔で二人を見つめている。ミヨも呆れて見ていた。
「夫婦ゲンカならよそでやってくれよ、お二人さん」
誰かがからかう調子で声をかけると、ディアンダはその場に座り込んで、ますます真っ赤になった顔を膝にうずめて隠した。そんなディアンダを見つめていたシュヤは、張りつめていた気がほぐれたように笑った。
「フフ、フ、何よ、それ。フフフ」
シャルゼは久しぶりに娘が穏やかに笑っているのを見た。
ディアンダとシュヤは夫婦になった。シュヤの目から狂気の光は薄れ、無茶な行動もあまりしなくなってきた。そしてまだ数年は続く戦争の中で、シュヤは子供を産んだ。
ディアンダに幸せが訪れた。シュヤが子供を産んだ後も、革命軍と名を変えたミヨの戦いに参加しているのは気がかりだったが、それでもディアンダは変わらずシュヤを守った。生まれた娘はシャルゼの妹夫妻に預けており、時々しか会えなかったが、だが会えた時間はディアンダにとって何にも代えがたいものだった。
革命による戦いも最後になろうかという時、シュヤは死んだ。あまりにもあっけなく。市街地の真ん中で、壊れた彫像に寄り掛かるようにして死んでいた。
ディアンダは声にならない声を上げて泣いた。なぜ自分はこの瞬間、隣にいなかったのか。ほんの僅かな時、離れていた間にシュヤはもう二度と笑わなくなっていた。
泣き崩れているディアンダを、そっとしておこうと誰かが言い、ミヨ達は歩を進めた。その時、声をかけなかったのを後悔する事になると知らずに、シャルゼはミヨについていった。
ディアンダはもうシャルゼ達の前には現れなかった。シュヤの遺体の前からも消えていた。シュヤの遺体を改めて見たシャルゼとミヨ達の部隊は、特に胸の辺りに深い傷があるのを見て、殺したピサ・アペニ・ノーヴィリーグレを憎んだ。
現在の八十二歳のミヨは、孫であり秘書官でもあるキコと話していた。
「市民団のデモはどうなっている?」
「当初はあまり広がりを見せませんでしたが、メザ様やドム伯父さん以外の貴族も少数ですが加わった事により、その規模が大きくなってきているようです」
「貴族院の行動に一貫性がないのは気になるが、市民団に圧力をかける様子がないのはまあいい事なのだろう」
「トウ伯父さんが貴族院議長になれば、その動きも読みやすくなると思います」
「そうだな。トウは市民を軽んじているが、それがゆえに市民党の設立に否定的でもない。市民党など容易に操れると思っている」
「おばあさまは……」
キコが言いかけた言葉にミヨは少し眉を上げる。
「おばあさまという言い方はおよし。わたしはおまえ達の祖母である前にこの国の国王なのだ」
ミヨはドムと似たような事を言う。ドムは息子であるドム達にも同じ態度を取るミヨを嫌っているが、だがその考え方は確かにミヨから受け継いだものだ。
キコは少し頭を下げる。
「失礼いたしました。それでミヨ様のお考えを確認させていただきたいのですが、ミヨ様は市民党の設立には反対ではないのですか? 彼らはミヨ様の退位を迫っています」
ミヨはゆっくり瞬きをした後に口を開いた。
「反対……ではない。だが、協力もしない。市民党が貴族院に飲まれずに並び立つには、市民党の力のみでその存在を確立しなければならない。それだけの力がなければ、その存在の意義を保てない」
「なるほど。ではミヨ様の退位はやはり、市民党設立の後で?」
「そうなるだろうね。わたしは長く王座にいすぎた。そろそろ引退させてほしいよ」
そう言いながらミヨは軽く頭を振った。
ディアンダが娘を預けていたシャルゼの妹夫妻の家を訪れたのは、しばらく後だった。シャルゼはミヨが王座に就いた後、戦争で負った傷の回復が思わしくなく、亡くなった後だった。
雨が降る中、青白い顔をして現れたディアンダを心配しながらも、妹夫妻はシャルゼが残した手紙をディアンダに渡した。それはディアンダをいつまでも息子と思っているという内容の手紙だった。
それを読んだディアンダは半狂乱になったように号泣した。そしてそのまま走り去り、二度と戻ってこなかった。
「おれはもう引き返せない」
その言葉だけが妹夫妻に聞こえた。




