10-1.誘拐事件
北エルフの国の首都を進んでいったカノン達は、町の真ん中にある役所に来ていた。その役所で二十代後半くらいの男の役人が、鷹常から渡された書状と刀剣に施された家紋を見ていた。
「なるほど。確かに弦の国の姫、緒丹薊鷹常様でお間違いないようだ。よくこちらへ来ましたね」
「城の入り口では門前払いされたもので……」
「ハハァ、それでおれに回されたわけだ」
鷹常の代わりにラオが応対している。その北エルフの男性は畏まるように背筋を伸ばして、鷹常に向き直った。そして胸に手を当て名乗る。
「おれはブコ・プリマス・セーシェル。ブコと呼んでください」
「セーシェル……? この国の国王陛下と同じ姓ですね」
「はい。おれはミヨ・セーシェル国王陛下の孫ですから」
それを聞いて鷹常やラオ達は少し驚いたように目を見開く。
「ミヨ様の子や孫は役人になってる者が多いですよ。おれも町の相談案内室の担当ですし」
相談案内室の担当というだけあって、ブコは親しみやすそうな笑みを見せる。一通りの自己紹介が終わったところで、ブコはちょうどカノン達の後ろを通りかかった青年を呼んだ。
「ハマ! ちょっとこっちに来な」
生真面目そうな顔をしているその青年は、書類を抱えながら近づいてくる。
「この子はハマ・サイエ・コープルク。まだ十九なんだが、飛び級で学校を卒業するほど賢い子で、今は役所の事務として働いている。おれの遠縁で親友なんだ。よろしく頼みますよ」
なぜその青年を紹介されたのか分からないまま、カノン達は会釈する。ハマという青年は頭を下げ、淡々と「それでは失礼します」と言って歩いていた方向に向き直った。そして去り際にカノンを一瞥していった。
入国カードに滞在期間延長の判を押してもらったカノン達は、ブコと共に城に入っていた。門から宮殿までの長い道のりを歩きながら、ブコは城の成り立ちの説明をしてくれている。カノン達はそれを聞きながら、きょろきょろと広場を見渡していた。
「ミヨ様には会えるんでしょうか?」
ブコの説明が一段落ついた時に、鷹常が質問した。ブコは前を歩きながら、困ったように頬をかく。
「実は……今ミヨ様は体調が優れなくて自室にこもっていらっしゃるので……だから謁見は不可能ですかね……」
気まずそうにそう答えるブコに若干引っかかりを感じつつも、鷹常は「そうですか」と返事する。
「代わりにおれの従兄で秘書官であるキコ・ルーマニィ・セーシェルを紹介します。後はキコがいろいろしてくれるはずです」
カノン達は石造りの宮殿に入っていく。ブコは国王ミヨの孫である事から城内でも顔が利くようで、簡単な説明をすると、衛兵達は道を開けてくれる。そして、「城の中は冷えるんだよな」と身震いしつつ、どんどん奥の部屋へ入っていく。
「さて、秘書室にいると言っていたが……」
ブコは部屋のドアをノックして、返事が聞こえると中に入っていった。中では二人の中年男性がこちらを振り向くようにして立っていた。ブコはその二人を見て丁寧に頭を下げる。
「これはムカラー様、と、ドム伯父さん」
「こら、職場では伯父さんと呼ぶなと言ってあるだろう」
ドム伯父さんと呼ばれた男性は、ブコを軽く叱咤する。ムカラーと呼ばれた男性は、ブコの後ろにいる十代半ばの子供達の集団に目を向ける。
「そちらの子供達は……?」
「あ、はい。ちょっと皆様に紹介しておきたくて。キコの兄さん、兄さんも来てください!」
ブコは部屋の奥にいた三十代半ば頃の青年にも声をかける。「こら、ここでは兄さんという言い方も慎みなさい」というドム伯父さんの叱咤を軽く流しながら、ブコは鷹常を紹介する。
「弦の国の姫様ですって?」
三人とも驚きを隠せないように鷹常をまじまじと見る。
「弦の国の皇様がお亡くなりに……それで新の国に姫様は狙われ、亡命なされてきたと」
その説明を聞いて、「このような時に……」と、ドムが小さく呟いたのを鷹常は聞いていた。
「わかりました。とりあえず弦の国の姫様がいらっしゃると公にするわけにはいきませんね。部屋は用意させますので、そちらでしばらくお過ごしください」
「はい、わかりました。それで……やはりミヨ様には会えないのでしょうか」
鷹常はブコにした同じ質問をキコに問いかける。キコはぴくっと眉を動かすが、冷静な顔で「ミヨ様は激務により臥せっておられるため、お会いにはなれません」と答えた。
役所にいたはずの青年ハマは何もない白い空間を歩いていた。その現実味のない空間から、これは夢だという事は本人も理解している。これはもう何度も見ている不思議な夢だ。
地面があるのかないのかも分からないその空間を歩いていると、甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。それを嗅ぐと、頭の中がぼーっとして、胸が高鳴ってくるような気がしてくる。
香りの先には透けるようなきれいな金色の髪が、風に揺られているのが見える。その金髪の女性が振り向こうとしたところで、いつものように目が覚めた。
頬杖をついていた腕がビクッと動き、乗せていた頭が落ちそうになった。ハマは瞬きを何度かしてから、視界に入ってくる周りの景色と、遠くに聞こえていた周りの人の話し声が現実の光景なのだと気づく。
どうやら寝ていたのは一瞬らしい。誰も周りの人は寝ていたと気づいていない。ハマは軽く深呼吸して、目の前の仕事にとりかかった。
書類の紙をめくりながら、ハマは先ほどブコに紹介された外国人の観光客を思い出していた。白昼夢の中の女性は、北エルフではないような気がする。先ほどの外国人の金髪の女の子のような感じだった。
だからどうだというのだ、と、ハマは自分に呆れたようにため息をつく。今まで予知夢を見る事は何度かあった。崖崩れがあったり、役人の乗った馬車が襲われそうになったり、今回のようにミヨ様が誰かに攫われたり、と。そんな事に比べれば、ただ女が出てくる夢など大した事ではない。
仕事を終わらせたハマは、定時になると椅子からすくっと立ち上がり、ブコの元へ向かった。




