1-2.父と母
敵の小隊が木々の間から続々と姿を見せ始める。リックは敵を迎え撃つために立つ。その上空を白い魔石がリックを追い越して飛んでいく。
「バカだな、わたしの前に出してどうする」
リックはばっと翻るように、敵に背を向けた。その瞬間、魔石が強烈な閃光を放った。
「うわあ! 目が!」
強烈な光の不意打ちを受けた敵兵達の歩みが止まる。白色の魔石の能力は閃光魔法だ。まともに食らえばしばらく視力は回復しない。リックは魔石を背にしたおかげで、食らわずに済んだ。
「くそ! 魔石使いがいるのか!」
後方で敵兵の一人が叫んだ。魔石の光が薄れていく間に、敵兵は魔石使いの所在を確認しようと目を凝らす。その時には、前にいた兵士達のほとんどが崩れ落ちていた。
「貴様は……!」
敵兵は剣を構える。
「リック・アンジュー」
リックが答える。
「人形、か!」
リックの通り名を口にしながら突進してくる敵兵の攻撃を、リックは華麗に避け、剣を首元へ滑らせた。後続の兵達も驚きながら現れてくる。囲まれてはさすがのリックも無事では済まない。カノン達がうまく姿を隠した事を確認すると、リックは早々に背を向け、木の影をうまく利用しながら逃げた。
夕暮れ時、戦闘の終わった大地に太陽が長い影を作る。小国同士の小競り合いとも言える小規模な戦争だったが、それは思った以上の戦果を挙げたらしい。リック・アンジューは報酬を受け取った。同時に正規兵としての勧誘もあったが、断った。
カノンはマクに手を引かれながら、やや前を行くリックの後ろについていく。
「マク、今度はどこへ行くの?」
「とりあえず今日は宿に泊まって、明日からは北にある国に向かう。リック、分かっているだろう?」
マクは確認するようにリックにも声をかける。リックは微かに振り向いただけで、返事はない。
「久しぶりにあいつから連絡があったんだ」
「あいつって誰?」
母と同じ金色の目をマクに向けて、カノンが問いかける。母リックの目はその色味通りの冷たさを感じさせるが、カノンの目には子供らしいあどけなさがある。
「おまえの父親だ」
「お父さん? わたしにお父さんがいるの?」
カノンに父親の記憶はない。側にいたのは最初からリックとマクの二人だけだった。マクが父親でない事は知っていたが、本当の父親の事を今まで特別考えた事はなかった。
「お父さんってどんな人なの?」
「頭がよくて、優しいやつだよ。なんでも上手にできて、頼りになる」
説明するマクの表情は緩み、優しい顔になった。それを見てカノンはすっかり嬉しくなった。「お父さん」はマクに好かれている人なのだ。それだけでカノンは「お父さん」に会う事を楽しみにできた。
カノンは母のリックも、マクと同じように「お父さん」を好いているのだろうと思い、期待を込めた目でリックを見た。後ろからのリックの顔はいくらも見えなかったが、いつものようにただ笑みを浮かべているだけなのは分かる。
カノンの気持ちは急速にしぼんだ。怒り……憎しみ……それに近い感情が、リックの背中から感じられる。他の人には分からない、リックの子供のカノンだからこそ分かる感情がそこにあった。リックはカノンの父に会う事を望んでいない。リックの感情の起伏は、ずっと一緒にいるマクですら気づかない。
「あいつに会えたら、きっとカノンもあいつを好きになるよ」
嬉しそうに語るマクに、どうリックの感情を気づかせてあげればいいのか、カノンには分からなかった。言葉にならない声で訴えるが、当然のようにそれは伝わらない。
不意にリックが歩みを緩めて、マクの横に並んだ。
「マク、今日は金が入ったんだ。豪勢においしいものでも食べに行こうよ」
リックは二人の会話など聞いていなかったかのように、にやりとした表情でマクにじゃれついてきた。
「な? いいだろう?」
リックはマクより少し背が高い。マクの肩に手を回し、耳に触れそうなくらい、唇を近づける。
「やめろ、子供の前で」
少し顔を赤くして、マクはリックを制する。しかし本気で嫌がっていないのは、カノンだって分かる。カノンの本当の父親がいようといまいと、この二人は二人なのだ。まだ本物の男女の関係でないのは、言葉でなく感覚でカノンは知っている。だがリックはそれを求め、マクがかろうじて踏みとどまっているだけに過ぎない事も、またよく分かっていた。
「あ、あのさ、わたし、お父さんに会わなくてもいいよ。マクと母さんがいればそれでいいんだ」
カノンは精一杯の気持ちを伝える。それはほとんど本心だ。だがそれもマクにはなかなか伝わらない。
「何言ってるんだ。あいつだっておまえに会うのを楽しみにしてる」
カノンは歯がゆさを感じながら、視線を落とした。
リックはその気持ちを知ってか知らずか、軽く肩を竦めて、再び前を歩き出す。その背中を見つめ、ふと思いついたようにカノンはマクの手を振り払い、リックの隣に駆け寄った。
「ねえ、お母さん。わたしにもっと戦い方を教えて。わたし、お母さんみたいに強くなりたいんだ」
リックは変わらぬ表情で視線だけを動かしてカノンを見下ろす。唐突にも思える要求だったが、カノンには考えがあった。
リックは娘であるカノンにも、優しいとは言えない。表情がそうであるせいか、感情や愛情の起伏も乏しい。カノンはいつも母と通じ合う何かを求めているのに、父親の話が出てもそれは成らなかった。しかし一つ思い出した事がある。先ほどの戦場でカノンが剣を取って戦った時、偶然ではあろうが母は駆けつけてくれた。それはカノンとリックの間に唯一、繋がりを持たせてくれるものだと、カノンには思えた。
そしてそれはあっさりと受け入れられた。
「いいわ。ただし、やるなら誰にも負けないくらい強くなりなさい」
その言葉を聞いたカノンはすっかり嬉しくなり、顔をにやつかせた。ジャンプしながらマクに並び、またマクと手をつないだ。